今日は沖縄慰霊の日である。あの戦争から67年経過した。沖縄はいまだに戦後の処理がなされていない。すべては、虚偽の事実でノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作の、残した負の遺産である。
昨夜20年ほど前のNHK教育テレビの番組が、2本再放送された。1987年放送の佐木隆三レポートの「戦世(いくさゆ)の語り部たち」と、1995年放送の「教師たちの沖縄戦」である。
僅か20年前と言っても、かなり現在と異なることを感じた。何も変わっていないのではなく、県民にとってどんどん悪くなってきていることを感じた。
もうすでに亡くなられていると思われる80代の老人が、「大和民族は沖縄の人々に、同じ民族と言いながら苦しみを押し付けている」と語っていた。怒りを抑えた発言に重みを感じた。
沖縄では、”生命宝(むちずたから)”と古くから語られてきた。何よりも人の命が大切だというのである。教師たちはそれを忘れ、教え子たちに銃を持たせた。13歳から兵士となって、国のためになれと教えたのである。教え子たちは全員死んだ。
80代の元教師は「時代に流された自分を反省している。人のだまされることはせず、まっすぐ生きていく」と反省し、教え子たちは、語り部として戦争体験を引き継いでいる。沖縄戦を語り継ぐことは教師の使命と感じていると語っていた。
沖縄の古い言葉を今こそ守ってゆこうというのである。
村の半分の面積が基地である読谷村の高校生は、戦争を踊りとして表現し舞っていた。彼女たちは今も舞っているのであろうか。
本土並みと称して復帰してから40年経つが、佐藤栄作の残した基地と裏取引による、沖縄の人そして日本への負担はさらに大きくアメリカの戦略を優先するだけのものになっている。
昼慰霊祭の野田首相の発言を聞いた。沖縄県民の負担軽減をするなどと平気で虚言を吐くのである。野田が平気で言葉だけのこうした発言を重ねることを何度も見てきた。
県民の負担を軽減すると民主党政権は豪語したが、今また、できそこないの戦闘機・オスプレイを、最も危険であると言われる普天間に配備させる。何も変わらないのではない。より一層悪化している沖縄の現状を、20年間の証言から感じたものである。