ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

ニューカレドニア行:第二次世界大戦博物館

2016-09-20 | 旅行
7月のニューカレドニア旅行記
この調子でいったら9月どころか10月中に終わるかな
ぼちぼちがんばりますわ。


コーヒーブレイクの後も、まだまだ観光が続きます。

やってきたのは
第二次世界大戦博物館
近現代史を検証して、万人に知らしめるという行為にリスペクト


フランス植民地のニューカレドニアにとり、第二次大戦とはまず

欧州戦線のことでした。


多くの志願兵が出兵していき



オーストラリアで訓練を受けて中東、そして前線へ。



白人も



カナックも

共に戦い


共に倒れ



戦争は国には勝ち負けがあっても

個人にはみな悲劇なのだと感じます。


ニッケル鉱山で働くためにやってきた日本人たち



夢と希望と豊かな暮らしを求めて祖国を出たんであろう人々



異国の地にあっても日々の生活というのはどこでも同じようなもの。

移民にとり、昔も今もそれは同じ。私たちも淡々とやってます。


日本人会のメンバー



現地人と結婚し



幸せな家庭を築いた人も大勢いたことでしょう。



しかし、大戦の主戦場がヨーロッパから太平洋に移り



見るもおぞましい旭日旗が翻り

日系人は敵性外国人として強制収容され財産を没収されました。



圧巻だったこのビジュアル



日本がアジア太平洋諸島への侵略を進め



ガダルカナル島、ソロモン諸島での戦いを経て

ニューカレドニアやニュージーランドに最も緊張が走ったであろう時期。


それを期に戦局が変わり

連合軍が優勢に。


日本軍は劣勢となり



連合軍が沖縄へ



そして本土へ



原爆投下



日本はポツダム宣言を受け入れ無条件降伏



日本人の大戦への認識は原爆を投下され多大な犠牲者を出した
被害者であっても、海外から見れば日本人は侵略者。
原爆投下こそなくても沖縄や本土での悲劇を
日本はアジア太平洋で繰り広げていたことも忘れずにいたいです。
その事実を次の世代にしっかりと認識していってほしいと思います。


被害者意識だけでは見失ってしまうものがあまりにも多すぎ、
世界の認識とも噛み合わず、利己的ゆえに孤立してしまうでしょう。


オーストラリア軍



NZ軍



ニューカレドニアは連合軍の負傷兵を受け入れる場所でもあったそう。



終戦



復員



最盛期にはニューカレドニアに米軍関係者が100万人以上駐留しており

こんなんなっちゃう一面も


戦争特需で景気も良く、フランス支配に不満を募らせていた人々に間に
いっそアメリカの植民地になりたい
という運動も起きたそうですが、それはかないませんでした。
今でもニューカレドニアの人たちには親米家が多いそうです。


さすがに1日中歩き回ってクタクタ

バスで宿泊しているアンスバタベイに帰りました。
(※5本書いてもまだ2日目が終わらない


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