ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

ニューカレドニア行:ニューカレドニアの中のアメリカ

2016-09-22 | 旅行
もはや9月は諦め(←諦めいい方)10月の終了目指して、
7月のニューカレドニア旅行記をつづけま~す


第二次世界大戦博物館で知った、ニューカレドニアとアメリカの関係。

米軍上陸50周年を記念して1992年に建てられたアメリカ記念碑


太平洋戦争中1942年3月から1946年2月までの駐留で
ニューカレドニアの自由を守った米軍に敬意を表し
ニューカレドニアの民はここに深く感謝の意を捧げる

と刻まれた碑。
これが戦後50年も経ってから建てられたことに驚き


戦中とはいえニューカレドニアが束の間得たフランスからの自由な時間

それは新鮮で、豊かで、甘美で、自由なものだったのかもしれませんが


結果はニューカレドニアの片思いで終わってしまいました。



記念碑の横にはマクドナルド



ここ以外に2ヶ所あるようです。

滞在中はここしか見かけませんでしたが。


宿泊していたアンスバタベイ周辺には米軍施設があったそうで



このガランとした公園も当時の名残なのか?



その真ん中に米資本のヒルトンがあるのも意味深?



この三色旗がある場所はかつて星条旗があったとか。



他にも戦中に建てられた病院が今でも現役の病院として使われていたり
南太平洋国際機構CPS事務局があったり



南太平洋の国連か

住宅というものがほとんどない不思議な一角なのです。


ヒルトンも宿泊していたラマダもレジデンス棟がありましたが・・・・



米軍もいいとこ選んだよね(笑)



目の前はアンスバタベイ



沖合いにはカナール島とメートル島



とまれ、米軍の抑止力と日本軍の自滅でここが戦場にならずに
よかった

日本軍がここまで到達できず、使われることのなかった大砲。
NZにも何ヶ所もこの手のものがあります。


歴史散策はここまで。
いざ夜ご飯

ヒルトン系でヒルトンに隣接したホテル、ヌバタへ


実は前日の到着日が7月4日のアメリカ独立記念日だったので

ここに飾りつけがあり、バンドの演奏もあって
「アメリカ人観光客ってそんなにいるの?」
と訝りつつ通過したのですが、あれは観光客向けというよりも
地元民向けだったんですね


1階のレキリーブルというレストラン



ここでは前菜とデザートだけのビュッフェがあり
フルビュッフェでは120%喰い負けしてしまう私たちにはピッタリ
(※お年寄り仕様ともいえる

ほとんどサラダバー状態で野菜食べ放題
旅行中は野菜不足に悩まされるのでこれはポイント高っ


デザートも罪悪感を払拭してくれる一口サイズ(笑)

どれもサッパリ系。この2、3倍は種類があったかな?
私にはこれで十分。


コーヒーはお隣のコードバーから。



たくさん歩いて歩いて長い1日でした
でも、少しはニューカレドニアのことがわかるようになりました。
(※というか下調べしてなさすぎ


錆っび錆びの30年前の私のフランス語
チビ~~~~っと復活し始めました


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