海外ホラ話

2024-01-21 | リハビリ
たまたま回復期リハビリ病棟を紹介している、ユーチューブを見ました。回復期リハビリ病棟では、起床したらパジャマ禁止です。リハビリ中は私服です。

一人車イスで行動するといっていますが、無理です(笑)。少しの坂でも上れなくなりますし、段差は2センチもあれば、車いすが動かなくなります。明るく前向きがコンセプトのようですが、「演出」です。

脊髄損傷の障害者は、普通に生活したほうがいいです。毎日チョー楽しい、一生歩けないといわれた時笑っていた、アホらしい(笑)。

一般病棟で、身動きできないのがわかった時、真剣にリハビリをする覚悟ができました。禁止されていた自主トレ(自主練 笑)中は真剣にやっていましたが、担当医が見に来たときは面白いお話し合いをしました。

夜に病室に来て、「よく笑っていられますね」といいうわけです。もちろんその時は、歩行訓練まで進んでいました。独歩までのメドをつけるだけでしたが、家に帰ったら大変なのはわかっていました。

労災に転院したら、通院リハビリはしなくていいからと、ものすごい課題を言われて在宅リハビリに突入しました。

おかげさまで脊髄損傷の体で、ヨーロッパ・中国に行ってきました。

海外ホラ話を、楽しく見たり読ませていただいています(笑)。
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海外旅行

2024-01-20 | リハビリ
もう一度歩きたいという人、病院のリハビリをやると歩けます(笑)。平行棒で起立訓練、ブレーキ付き歩行器で歩行訓練、コツコツとやると立って歩けます。

ミソは実用域に持っていくのに、ものすごい年月がかかることですね。実用域になると、シーズンオフの安い海外パック旅行に、行けるようになります。ヨーロッパのどの国にも、障害者のためのボランティアなんかは、いないのがわかるはずです。

トイレも、車イスで、はいれたらものすごいラッキーです。

車イス一人で海外旅行すると、現地に住んでいる「友人」が出てくるのは、ものすごくいいです。出国の時から、動画を撮る人が一人はいるみたいです。

私は、全部一人カタを付けるようにしています。そのほうが面白いです。

ということで、以前も書きました中国のトラムの女性車掌のことです。私服で車掌台にいたのですが、ツアーガイドが私のことを話したら、私を指さして了解したみたいです。細かなことは気にしていないみたいです。大陸的おおらかさですかね。

長距離列車の中で、段差でつまずいたら、席に座っていた中国人が、とっさに手を貸そうとしました。庶民は言葉や習慣が違っていても、どの国も同じだと思いました。

口ばっかりうまいユーチューバーの方は、ノイバンシュタイン城・モンサンミッシェルに行ってからホラをフクといいです。以前のヨーロッパは、レストランや観光地のそばまで車で行けました。今は離れた場所に駐車して歩いていきます。
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火事場泥棒

2024-01-17 | リハビリ
火事場泥棒は、震災が起きると必ず出てきます。脊髄損傷の世界も同じです。人が困っていると思うと、チャンスに見えるみたいです。みんなから巻き上げた金で、普通のパック旅行より高額な、車いすで行く海外旅行に息子といったみたいです(笑)。

連絡会、在宅リハビリサポートの会、再歩行を目指すジム、中国の粘膜移植再生医療などですね。引っかかるのがおかしいですが、騙されてしまうようです。

再発見、サロン、ファンクラブなどは、おすきにどうぞですね(笑)。

実家の過疎化地域再生といって、600万円のクラファンをやって、自分はクラウンの新車を買う、ビジネスクラスでハワイ旅行、やってみたいです。

クラファンは、知り合い・知人が、付き合いで参加したみたいです。バツが悪くなったりしないんですかね。

ここは、公立の病院のリハビリ科で、証拠書類を出せる状態で、やったリハビリを「無料」で紹介しています。

全部本当です。あきらめるという選択肢しかなかったといっている人は、私の後にけがをしたみたいです。ハワイにいったお姉さんもそうです。みんなここを読んでいると思います(笑)。
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避難

2024-01-13 | リハビリ
東日本震災を経験しました。2種3級の障害者手帳を交付されていますが、いまだに市役所から電話一本ありません(笑)。

警察官も回ってきたので、一応説明しましたが、音沙汰なしです。

というより、はなっから避難所に行くつもりは、ありませんでした。自己導尿などが理由の一つです。食料なんかは、ぜいたくを言わなければ間に合いますし、他県からの応援で電気は3日ぐらいで復活しました。ガス、水道は1か月以上かかりました。

威張ることではないですが、支援物資、支援金はもらっていません。

あまり詳しくはありませんが、障害者の被災体験です。
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能登半島地震で被災された方たちにお見舞い申し上げます。

2024-01-09 | リハビリ
私は東日本や宮城県沖地震を経験しました。災害の専門家ではないのですが、経験上知っていることもあります。災害の専門家がいろいろ言っているみたいですが、ほどほどにしたほうがいいと思います。

羽田の滑走路事故で亡くなった、海保の方の見送りがありました。皆さん、亡くなった同僚に、挙手の敬礼をしていました。

脱線事故を起こして、106名を殺害したJR職員に、同僚が毎年挙手の敬礼をしています。手を合わせる、頭を下げることができない人たちです。事故当日、ボーリング大会や夜に飲み会をやった人たちだから当たり前ですね。

ということで新年早々色々がありましたので、ちょっとした工夫です。
褥瘡になりたての時には、オロナイン軟膏がいいです。手術が必要になるまで、ほっとく人はおかしいです。
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