日本の真実

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日本の記念すべき日 其の十一 5月9日 日章丸事件

2007-05-09 00:04:39 | Weblog
◎出光佐三氏、禁輸措置中のイラン原油買い付けを強行
 (昭和28年:1953年)

オイルショック以前の中東の石油産出国では、石油メジャー、通称セブン・シスターズと呼ばれる7大石油会社(エクソン・モービル・ガルフ・ソーカル・テキサコ・ロイヤルダッチシェル・ブリティッシュペトロリアム)による石油利権の独占が続いていました。イランでも英国資本の石油会社であるアングロ・イラニアン社(現在のブリティッシュ・ペトロリアム(BP))による独占が続いていましたが、これに反発していたモハメッド・モサデクが1951年4月、首相に就任すると、すぐにこれを国有化して、イラン国営石油公社としました。
これに対し、アングロ・イラニアン社を含むメジャーはイラン原油のボイコットを実施。英国はこの行為を国連安保理事会に提訴するとともに、西側諸国にイラン原油の禁輸を呼び掛けました。この禁輸措置はイラン経済に大きな打撃を与え、国民は不況に苦しむことになりました。
そのような状況下の1953年初頭、石油元売会社 出光興産の創業者である出光佐三は、一つの大きな決断をしました。それは「禁輸措置中のイラン原油を出光が買い付ける」ということでした。当時、英国海軍はペルシャ湾を航行するタンカーの無線を傍受して監視し、イランから石油を積み出そうとするタンカーに対しては、拿捕も辞さないという強硬な姿勢を取っていました。更に、出光は当時タンカーを一隻しか所有しておらず、拿捕されれば会社自体の存亡が危うくなる状態でした。しかし出光佐三はそれを押して、イラン石油を購入することを決定しました。
3月23日、出光興産が所有する唯一のタンカー「日章丸二世」が神戸港を出港しました。行く先は表向きはサウジアラビアということになっていましたが、実はイランのアバダン港でした。このことを知らされていたのは船長と機関長の二人だけだったそうです。
4月11日、日章丸がアバダン港に入港。港に集まったイランの群衆は、日章丸を歓呼して迎えたそうです。そこでガソリン、軽油約2万2千キロリットルを満載した日章丸は他船との交信を一切止め、ひそかにペルシャ湾を出港しました。
インド洋を横断する約1ヶ月間の航海の後、5月9日、日章丸は川崎港に帰港。大勢の人の歓迎を受けました。
この行為に対して、英国は日本政府に厳しく抗議。アングロイラニアン社は積荷の所有権を主張し、東京地方裁判所に提訴しましたが、最終的にアングロイラニアン社が提訴を取り下げ、出光側の勝訴が決定しました。
出光佐三が戦勝国イギリスと堂々と渡り合い、勝利したこの出来事は、敗戦で打ちひしがれた私たち日本人を大いに勇気付けると共に、その後のイランとの友好関係を構築するきっかけとなりました。
出光佐三はアングロイラニアン社との裁判の際、東京地裁の裁判長にこう言ったそうです。
「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として俯仰天地に愧じない行動をもって終始することを、裁判長にお誓い致します。」
(信)

1 コメント

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カンブリア宮殿から (琴子)
2009-05-13 14:20:52
つい先日、テレビの経済番組『カンブリア宮殿』で出光が取り上げられていました。
そのときは日章丸事件ってなんだろうってあまりピンと来なかったんですが、ネット検索でこうして探し読んでみるとすごくカッコイイお話だったんですね。
日本は中東に興味のない人が多いですが、もっともっと文化を知って欧米寄りだけではない広い視野を持っておかないと、有事のときに恐いなぁと思いました。
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