日本の真実

日本人自身が知らない「世界に誇るべき日本の真実の姿」を様々な面から紹介するブログです。

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☆音楽の話題を2つ☆

2006-10-30 01:15:26 | Weblog
◎秋吉敏子さん、米ジャズ界の最高峰の賞を受賞

7日、世界的なジャズピアニストの秋吉敏子さん(76)が米国立芸術基金(NEA)のジャズマスターズ賞を受賞しました。日本人初の受賞です。
同賞は米国のジャズ発展に貢献した音楽家に贈られる賞で、これまでにマイルス・デイビス、ハービー・ハンコック、ソニー・ロリンズ、チック・コリアといったジャズ界の大物たちが受賞しています。
秋吉さんは1956年に単身渡米してバークリー音楽院に留学して以来、米国を本拠地に活動を続け、1999年には日本人として初めて「国際ジャズ名声の殿堂」入りを果たしました。またグラミー賞に14回ノミネートされるなど米国で絶大な人気を誇ります。
授賞式は来年1月12日にニューヨークで行われますが、そこでの演奏も楽しみですね。

http://www.sankei.co.jp/news/061008/bun002.htm
http://news.goo.ne.jp/article/sanspo/entertainment/120061008026.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061007-00000049-mai-soci

◎coba、リード楽器演奏家に贈られる世界最高峰の賞を受賞

14日、日本を代表するアコーディオン奏者のcoba(47)にヴォーチェ・ドーロ(金のリード賞)が贈られました。同賞は毎年、イタリアのカステルフィダルドで、世界でただ一人のリード楽器演奏家(アコーディオン、バンドネオン、ハーモニカ等)に贈られるもので、リード楽器のグラミー賞と言われています。これまで欧米の名演奏家たちが受賞してきましたが、今回、東洋人で記念すべき初めての受賞となりました。
今後はヨーロッパで本格的に活動していくそうですが、頑張ってほしいですね。

http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A019465/VICL-62162.html
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20061016-104316.html

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世界で初めて触覚ディスプレイの量産化に成功

2006-10-27 00:25:03 | Weblog
福祉機器製造のユニプラン(島根県東出雲町)は画面の表面に指先で触れて、文字や図形などが分かる「触覚ディスプレイ」を20日に発売しました。触覚ディスプレイはこれまでにも製品化されていますが、主に研究機関向けに販売されており、一般向け製品の販売は今回が世界で初めてということです。
今回発売された「OUV3000」は画面サイズが縦約15cm、横約23cm。画面にはピンが約3000本埋め込まれ、棒の上下による凹凸で文字や図形を表す仕組みとなっています。価格は税込みで42万円ということです。
バリアフリーが我が国は欧米各国と比べてまだまだ立ち遅れている感がありますが、こういったところから少しずつ遅れを取り戻していってほしいと思います。

http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=333434006
http://braininfocast.newswatch.co.jp/cgi-bin/sonetemkt?tid=6001037&sid=jxBJdo2M006095737ab5a60596bb5b8df085743d7f6bff03cab43a9e148b

(信)
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去り行く『皇帝』に感謝!! ブリヂストンと共に戦った8年間

2006-10-25 00:54:26 | Weblog
22日、F1の今シーズン最終戦ブラジルGPが行われ、F1史上最多の7度の総合優勝を誇る『皇帝』ミヒャエル・シューマッハが本レースを最後に引退しました。
シューマッハが96年から所属したフェラーリは99年から現在までブリヂストンタイヤを使用し、シューマッハの7度の総合優勝のうち5回はブリヂストンタイヤで獲得したものです。昨年、フェラーリ以外のトップチームが軒並みタイヤをブリヂストンからミシュランに切り替えましたが、フェラーリだけはシューマッハが支持してくれた為、ブリヂストンを使い続けました。お陰で昨年は苦戦しましたが、今シーズンはミシュランと並ぶ8勝を上げることが出来ました。
シューマッハが僅かの差で今シーズンの総合優勝を逃したのはとても残念でしたが、今まで8年間ブリヂストンと共に戦ってくれたことをとても有り難く、そして誇りに思います。
ありがとう、ミヒャエル。去り行く『皇帝』に感謝です!!
(信)
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JR東日本、世界初のハイブリッド燃料電池電車を公開

2006-10-23 00:39:38 | Weblog
19日、JR東日本は燃料電池と蓄電池を組み合わせた世界初のハイブリッド電車を公開しました。横浜市金沢区の東急車両製造横浜製作所で公開された車両は、通常の電車と違って屋根にパンタグラフが無く、公開運転では約300メートルの試験路を最高速度50キロで走りました。来年4月からは営業路線での走行試験を始めるということです。
先月29日には、鉄道総合技術研究所が燃料電池のみを動力源にしたを鉄道車両の走行試験を公開しており、我が国の燃料電池電車の開発は急ピッチで進んでいるようです。今後が楽しみですね。

http://www.asahi.com/national/update/1020/TKY200610200126.html
http://www.sankei.co.jp/news/061020/kei001.htm
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060929it13.htm

(信)
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世界に誇る日本人の発明 その六 胃カメラ

2006-10-20 21:07:34 | Weblog
◎胃カメラ:杉浦睦夫と深海正治(1950年)

1949年の夏、東大附属病院の外科医であった宇治達郎は高千穂光学工業(現在のオリンパス光学工業)を訪問しました。目的は胃の中を直接撮影出来る装置の開発依頼でした。当時、胃の診断方法はレントゲンと胃鏡の2つがありましたが、レントゲンでは胃の壁の様子は確認出来ず、また胃鏡は撮影が出来ませんでした。
主任技師だった杉浦睦夫はその依頼を受けて、部下の深海正治と共に研究を続け、翌年世界で初めて胃カメラを完成させました。これにより胃の直接診断が可能になり、胃ガンや胃潰瘍の早期発見・治療に大きく貢献しました。その技術は後のファイバースコープやビデオスコープに受け継がれています。
(信)
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世界に誇る日本人の発見 医学生物学編 その四 赤痢菌の発見

2006-10-17 22:40:11 | Weblog
◎赤痢菌の発見:志賀潔

1871年 宮城県仙台市に生まれた志賀は東京大学医学部卒業後、1896年に北里柴三郎の設立した伝染病研究所に入所しました。丁度その頃東京で赤痢が大流行し、志賀は研究所に入院した赤痢患者の糞便から世界で初めて赤痢菌を発見し、1897年に発表しました。赤痢菌の学名は発見者の志賀の名前を取ってshigella 菌属と呼ばれています。
北里柴三郎による破傷風の研究やペスト菌の発見など、細菌学における日本人の世界的な発見は既に幾つかありましたが、それらは全て海外でなされたものでした。志賀の赤痢菌発見は日本国内で初めてなされた世界的発見ということで大変価値があると思います。
(信)
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世界に誇る日本人の発明 その五 マグネトロン

2006-10-13 07:01:04 | Weblog
◎分割陽極型マグネトロン:岡部金治郎(1927年)

マグネトロンは1921年に英国のハルによって発明された真空管の一種で、電波の一種であるマイクロ波を発生するものです。しかしハルの発明した単陽極マグネトロンは電波の発振が弱く、実用に使えるものではありませんでした。
1925年、東北帝国大学の助教授だった岡部金治郎は、ある時ハルの単陽極マグネトロンを使って学生と実験を行っていて、本来電流が減少すると考えられていたところで電流が増加するという結果を得ました。そこで追試をしたところやはり同様の結果を得たことから、何らかの電波の発振現象が起こっていることを確認しました。
岡部はより出力の大きな発振を得るために試行錯誤を繰り返し、ついに強力で安定した電波を発振させる分割陽極型マグネトロンを発明するに至りました。当時、世界中で強力な電波発振装置の開発が競って行われており、岡部の発明は世界をリードする画期的な出来事でした。
その後分割陽極型マグネトロンは1940年代に英国でレーダーの開発を目的として大きく進歩し、現在では電子レンジのマイクロ波発生装置として世界中で大量に使用されています。
(信)
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世界に誇る日本人の発見 物理学編 その五 繰り込み理論の発見

2006-10-11 00:04:52 | Weblog
◎繰り込み理論の発見:朝永振一郎

1930年代から40年代にかけての量子力学の世界では、一つの大きな解決困難な問題が存在していました。それは素粒子の一つである電子の質量を計算すると理論上は無限大になってしまい、実測値と合わなくなってしまうということでした。世界中の物理学者たちがこの問題の解決に取り組んでいました。
当時、東京文理科大学(現在の筑波大学)の教授だった朝永もこの問題に取り組み、無限大の一部を電子の質量に繰り込み、残りの無限大を電子の電荷に繰り込むことで、計算値は有限となり、実測値と一致するのではないかと考えました。これが繰り込み理論でした。
1947年にアメリカのラムが水素原子のエネルギー準位測定に成功し、ディラック理論の予言からわずかにずれていることを発見しました。朝永は繰り込み理論を用いて、この「ラムシフト(ラムのずれ)」を計算し、実測値と一致する結果を得て、繰り込み理論の正しいことを証明しました。
同時期にアメリカのファインマンとシュウィンガーも同様の手法で、実測値と一致した結果を得ていましたが、戦後間も無い復興途上の日本から届いたこの報告は世界を驚かせました。
この功績により朝永は1965年にファインマン、シュウィンガーと共同で日本人二人目のノーベル物理学賞を受賞しました。
(信)
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世界に誇る日本人の発見 化学編 その一 フロンティア軌道理論

2006-10-09 12:42:56 | Weblog
◎フロンティア軌道理論の発見:福井謙一

1918年、奈良県に生まれた福井は京都大学工学部に進学し、化学を専攻しました。当時、化学反応は電子のプラスとマイナスが電気的に引き合うことで起こるという有機電子論が信じられていましたが、これでは電荷を持たない一部の化合物の反応の説明が付きませんでした。
数学や物理学が好きで勉強していた福井は、量子力学の考え方で化学反応を説明しようと試みました。有機電子論は全ての分子軌道が関与しているという考え方でしたが、福井は分子軌道のうち最もエネルギーの高い軌道と最もエネルギーの低い軌道のみが反応に関与すると考えました。そして、この2種類の軌道を「フロンティア軌道」と名付けた「フロンティア軌道理論」を完成させ、1964年に発表しました。発表当初は注目されませんでしたが、翌年、アメリカのウッドワートとホフマンが福井の論文を引用して「ウッドワード・ホフマン則」を発表し、これが脚光を浴びたため、福井の理論も世界的に知られるようになりました。
「フロンティア軌道理論」はとても難しい理論ですが、全ての化学反応に当てはまる画期的な発見であり、1981年、福井はこの業績により、ホフマンと共に日本人初のノーベル化学賞を受賞しました。
(信)
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世界に誇る日本人の発明 その四 八木アンテナ

2006-10-06 00:09:11 | Weblog
◎八木アンテナ:八木秀次と宇田新太郎(1926年)

1895年にイタリアのマルコーニが世界で始めて無線電信の実験に成功し、無線通信の時代が幕を明けました。1920年にはアメリカで世界初のラジオ公共放送が始まり、5年後の1925年に日本でも初のラジオ放送が始まりました。当時のラジオの波長は中波(AM)のみで、短波放送はまだ始まっておらず、まして超短波(FM)や極超短波(VHF、UHF)は実用化にはほど遠い状況でした。
そのような時代に東北大学工学部の教授だった八木秀次は超短波の研究をしていました。そして1925年、ある条件下で電波が強く受信される現象を発見し、八木研究室所属の宇田新太郎の協力によって、指向性を持つ超短波用アンテナを発明しました。
しかし日本の学会ではほとんど評価されず、逆に海外で八木の発明は高い評価を得ました。そしてアメリカやヨーロッパの各国では八木アンテナの技術を利用して、レーダーを開発しました。一方日本はその重要性を認めず、実用化はおろか、特許の延長申請すら「必要無い」として却下してしまいました。このことが第二次大戦の戦局を大きく左右したと言われています。
1942年、シンガポールを占領した日本軍はレーダー装置と技術ノートを押収し、ノートに「YAGI」という文字が書かれているのを見て、八木アンテナがレーダーに使われているのを知り、初めてその重要性を認識しました。
戦後、世界各国でテレビ放送が開始され、八木アンテナはテレビ用アンテナとして世界中に普及しました。21世紀に入って衛星放送の普及やデジタル化への移り代わりと共に、テレビ用アンテナも徐々に別の種類のものに変わってきていますが、それでもなお八木アンテナは現在、テレビの受信用アンテナとして世界中で広く使われています。
(信)
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世界に誇る日本人の発見 医学生物学編 その三 分子進化の中立説

2006-10-03 00:06:53 | Weblog
◎分子進化の中立説を提唱:木村資生

1924年、愛知県岡崎市に生まれた木村は京都大学理学部で植物学を学び、アメリカ留学後、国立遺伝学研究所に入所して、遺伝学の研究に携わりました。
当時、分子レベルでの遺伝子の進化はダーウィン進化論で言われる自然淘汰によって起こると信じられていました。つまり突然変異のうち、環境により適した変異のみが存続し、そうでない変異は生き残れずに淘汰されていくという考え方でした。しかし木村はタンパク質のアミノ酸配列の変異を調べていくうちに、自然淘汰だけでは説明が付けられないと考えるようになり、1968年に「分子進化の中立説」を発表しました。これは遺伝子の進化が自然淘汰によるものだけではなく、生存上は有利でも不利でもない中立的な突然変異が偶然に広がり、固定されることによって起こるものもあるという説でした。
この発表はそれまで絶対視されていたダーウィン進化論を修正する内容であったため、大論争を巻き起こし、世界中の多くの学者たちから批判を浴びました。
しかし、その後DNAの塩基配列が調べられ、機能を持たない塩基配列部分に機能をもつ塩基配列部分よりはるかに多くの変異が生じていることが確認されました。ダーウィン進化論が正しければ、生存に有利な変異が生き残るので、機能をもつ塩基配列部分により多くの変異が生じる筈です。そうでないことが確認されたため、中立説への支持は高まり、現在では中立説は定説として認められています。
木村は1992年、当初猛烈な反発を浴びたダーウィンの母国イギリスで王立協会からダーウィン・メダルを受賞しました。日本人で初めての受賞であり、現在でも木村が日本人で唯一の受賞者です。ダーウィン・メダルは王立協会が二年に一度、優れた業績を挙げた生物学者に授与する世界最高レベルの賞であり、ノーベル賞に匹敵するものです。ダーウィンの母国イギリスでそれだけの評価を得たことが、木村の業績の素晴らしさを物語っていると思います。
(信)
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