日本の真実

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日本の記念すべき日 其の二十三 9月27日 昭和天皇陛下、マッカーサーと会見

2007-09-27 00:14:46 | Weblog
◎陛下の命懸けの御言葉がマッカーサーの態度を改めさせる(昭和20年:1945年)

昭和20年9月27日午前10時前、昭和天皇陛下はGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーとの会見に臨まれる為、皇居を出発されました。陛下は黒のモーニングとシルクハットを召され、石渡宮内大臣、藤田侍従長、筧行幸主務官、通訳の奥村参事官ら6名が同行しました。
午前10時過ぎ、陛下を乗せた車は米国大使館に到着しましたが、マッカーサーは自分の力を日本人を示すため、お出迎えをしませんでした。代わりに2人の副官が大使公邸玄関で陛下を出迎えました。陛下は通訳の奥村と共に中に招かれ、そこでマッカーサーと約35分間、会談されました。
会談の内容について、陛下はマッカーサーとの約束を守り、一切口外しませんでした。しかし、マッカーサーは自らの回顧録「マッカーサー回想記」の中で、会談内容についてこう書き記しています。

「天皇の口から出たのは、次のような言葉だった。「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるため、お訪ねした。」 私は大きい感動にゆすぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである。」
(「マッカーサー回想記」より引用)

マッカーサーは当初、お見送りもしない予定でしたが、会談が終わった後、陛下を玄関までお見送りしました。陛下の御言葉が、マッカーサーを感動させ、傲慢な態度を改めさせたのでした。
翌年1月、マッカーサーは陛下の戦争責任追及に反対する旨の電報を陸軍省宛に打ち、米国政府は陛下の戦犯訴追を見送りました。こうして我が国はその後、復興の道を歩むこととなりました。
世界の歴史の中で、自国の戦争責任を負うと発言したのは、昭和天皇陛下ただお一人です。そのことをとても誇りに思います。更に陛下の御言葉により、国家分断等の大きな災厄を免れることが出来、今を過ごせることを改めて感謝致します。
(信)