二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

開高健の周辺をとぼとぼ歩く

2024年04月12日 | 小説(国内)
読み返しもしないで、その人物の周辺をとぼとぼ、うろうろ。
近ごろこういういやな病気を発症しているな(ノω`*)
ううん、まいったぜ。
そろそろ元の路線に復帰! ・・・といきたいのだが、どうもまだしばらくかかるようだにゃ。

先日買った文庫本「夏の闇」に、新潮社の“お知らせ”が紛れこんでいた。
ふ~~む。
TOPに掲げた一枚が、いわば内容見本である。



2010年5月31日発売で、定価3360円(税込)。
こういう書籍が発売になっていたとは、知らなかった。
3360円で何部刷ったのだろう? さほど売れるとも思えないが。

これを眺めているとだれでもわかるが、開高健さんは、女の子が書くような“丸文字”の人なのでありますなあ。

またこちらの文学全集はたぶん、高校時代に買った本。
買っただけで、恥ずかしながら読んではいない。
新潮日本文学63 (巻 全64巻のうち)
奥付  昭和46年11月30日

1.輝ける闇
2.パニック
3.裸の王様
4.なまけもの
5.流亡記

収録作は以上の5作。
内容については、つぎのような紹介がある。
《旺盛な庶民感覚と、尖鋭な政治意識・・・集団の巨大なエネルギーにたいする期待と徒労感をこめて「集団のなかの人間」を描く開高文学。
純粋戦後派としての出発から今日にいたる開高健の行動と文学の軌跡を示す代表作を収録!》





「輝ける闇」は、ベトナム戦争を踏まえた、まず挙げねばならない代表作で、よくはわからないながら、ほぼ発売時に読んだ。
緊迫感が最後まで持続しているのは傑作のあかしだと、読み了えたときからかんがえていた。世界中に“戦争文学”はたくさんあるが、開高健は「超大国が敗北する」「文明が崩壊する」という、極めて逆説的な清新な一冊を、20世紀後半の文学史に付け加えたのだ。
その遥かな、はるかな遠景にサルトルの「嘔吐」がある。

そして「総勢200名のうち生き残ったのは17名であった」という戦闘に参加する。
開高さんは九死に一生を得て、その後の人生観・世界観を一変させる( -ω-)
彼は傷ついたのだ、そこから結局は、たちなおることはできなかった・・・と、わたしは思っている。シェル・ショック(またはcombat stress reaction)は、物書きとしての彼の精神に、かなり複雑な後遺症を残した。

だから、
「ロマネ・コンティ・一九三五年」文藝春秋社 1980年刊
「珠玉」文藝春秋社 1990年刊
こういった後期の作品集を読むには、ためらいがある。
ノンフィクションはまだいいのだ。
“現実”にすがりつけるから。現実がこうであったのだと、いいわけできる。ところが作品に向かいあうと、そこにはもろく壊れやすい、自己という人間しかいない。
開高さんはそこにぶち当たって、58歳で壊れた(;´д`)


   (単行本「珠玉」 文藝春秋刊 1990年 函入)

「珠玉」のオビにはこんな文句が付いている。
■ 死力を尽くして綴られた魂の自伝
《海の色と、血の色と、明月の色と。
三つの宝石に托された三つの物語。
同時代を疾駆した作家が、
生涯の最後に静謐な受容に到る、悲痛なまでの内なる彷徨。》

そして“三つの物語”とは、
1.掌(て)のなかの海
2.玩物喪志
3.一滴の光

これらが開高健の絶筆であった。
開高さんは最後の方では、か弱い、か弱い自己と直面しながら、作品を書いたのだ。
彼は小説家であった。
そのいわれが、いまだ読めないこの“三つの物語”に書かれているように、わたしは想像している。

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