学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

「子の巣立ち」親の愛はどこまでも

2024-05-10 16:20:19 | 日記
 先日は女房に付き添ったスーパーの入口前の休憩用ベンチでペットロスの寂しさを話す主婦二人の会話を耳にした。ペットロスの乗り越え方をスマホで調べてみると誰かに悲しみを打ち明けることが第一位に挙げられていた。分からないでもない。人に話し、可愛がっていたペットとの別れを自分で納得できるのはきっとこの方法だろうと僕も思う。僕だって子供の頃から何度もペットの死を経験して来たからだ。ただ今日の話は息子、娘ロスである。連休が開けてこの時期になると高校を卒業して他府県の大学へ入学、親元を離れていく息子や娘の話である。
 息子や娘ロスを解消するためにペットでも飼って心の空白を埋め合わせてみてはというアドバイスをする人がいる。これも分からなくはないけれど、僕には考えられないアドバイスだ。ペットと人間を一緒にするような考えは僕にはいただけない。なぜなら人間の場合は必ずどこかで親離れ、いわゆる「子の巣立ち」がなければ大変なことだ。まったく無力で親の手助けがなくては生きていけない赤ん坊の頃からの子育ての愛情を誤解して、子供達を自分の持ち物と考えてしまう親がいることは残念だとおもう。子育ての愛情は、突き詰めれば子供の独立独歩への手助けではなかったのか。子はいつかは自分の部屋を出て行って極端な言い方をすれば親の生活から抜け出していく。親もまた子離れを学ばねばならない。空を見上げていると同じ空気を吸って共に生きているのだから少しキザな言い方をすれば“子への想いは旅する距離を乗り越えていく”。(ヒー、ゾクっとするほどキザな話し!)でも、これ本当の話。

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