志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

愛のむきだし

2010-08-22 11:42:04 | 映画

8月20日もだらだらとすでに提出期限が過ぎた学生の成績評価のために、二階からテレビの置いてある居間に移って、CNNやディスカバリーチャンネルやムービープラスやAXNやそして昨今は甲子園での高校野球の実況を見ながら過ごしていた。(来年からデジタル放送になったらOCNとのテレビ契約は解消する予定!だからテレビも買い替えない予定!)20日で成績を全部入れるつもりでーー。(できなかった!)

長いこと、テレビと縁がなかったのだと、感心したが、ここ2、3日はテレビの前に陣取っていた。そこでOCNの番組表を見ると、なんと桜阪劇場から送られてきたFUNクラブ冊子に紹介されている満島ひかり主演の「愛のむきだし」が番組表にある!「これは見なければ」と思い、一階に個室を陣取っている16歳の少年に「映画見るからね」と念押しして見た。受験を意識している息子が雑音に敏感に反応するゆえの念押しだが、塾のスケジュールも終わったようで、後は宿題だけの状態、文句もなかったので、4時間映画に浸ることができた!全く予期しない「愛のむきだし」の放映はラッキー!だった。さて映画は面白かった!

沖縄出身という女優満島ひかるの存在も知らず、彼女が多数の映画賞を受賞したことも知らなかった。これから「プライド」「クヒオ大佐」「カケラ」「川の底からこんにちは」を見たいと思っている。沖縄出身の女優は結構増えていて、NHKの朝ドラの主役への抜擢もあったし、劇場でも映画でも黒木メイサなどもいて、華やかである!なぜ彼女たちがモテモテなのか、その辺の事柄については別枠で実際の舞台や映像を網羅して見ながら論じてみたい!!(continued!書きながら消えることが多いので投稿を続けながら書きこんでいる!)

「愛のむきだし」は面白かった!すでにネットでもいろいろな評が出ているが、人気度は高い。ベルリン映画祭でも2冠を獲得しているという事だ!シナリオ&監督の園子温のセンスの良さがまず一つ。つまり極端に人間の持つミステリー、家族、宗教、愛(エロス)、暴力、社会の矛盾に焦点を当てている、という事がいい!そしてユウ役西島隆広、ヨーコ役満島ひかり、また新興宗教に淫しているコイケ役安藤サクラがいい。ユウの父親神父役の渡部篤郎、また彼に熱烈なモーションをかける女カオリ役の渡辺真紀子と、奇天烈な役柄の存在に漫画的な面白さが加味される。

何より神父になる男の家族が中心でかかわるキャラクターの家族は、それぞれに壊れているということが、前提に成り立っているのも引き込まれる。いまどき多かれ少なかれ壊れていない家族はない、と思うゆえに、人はそれぞれに誕生から現在に至る「巣への感度」が高いのは最もで、それに神聖なる神的存在と、そこにエロス(生存の基盤)が物語として絡んでくると、もうポルノ映画や小説の単純なストーリ以上のものをそこに加味すると、いけるのである!人々が共通に体験している原罪意識にエロス、その裏の生態、そこに暴力がくると、まさに全存在の痛みがもろに迫ってくるわけで、受けないわけがない。そこにオーム真理教を彷彿させる新興宗教がからむのだからたまらない!

神父の家族が、その主人公の高校生のユウが母の死後、マリアさまのような女性との出会いを心に秘めて父の葛藤・矛盾と生きているという幕開けである。父は神父として生きていて神のことばを人々に伝える役割だが、とある日、カオリという女が登場し、熱烈に彼にコミットし、むきだしの愛で迫る。性欲を押さえることはできない神父は同居を始める。そしてその女が去った途端、神父の父が変貌する。ユウは告白(告解)を毎日父に追及され、罪がない事に苛立ち、やがて罪を創るために悪の仲間入りをし、盗撮のプロにまで腕を上げる。そこへ、ヨーコの父と別れてきたカオリとであう。

その筋に副筋のように登場するのが、新興宗教の一団の女たち、コイケの存在がある。このユウ一家に絡んでくるのである。(早めに書きあげて印刷コピーを取り、那覇の父の長男兄に線香をあげヤンバルに行かなければならない!)さてカオリとヨーコが街にやってくる。そして男どもの襲撃にあう場面でユウは理想のマリア(ヨーコ)に出会い恋する。女装である。同じ高校の教室にやってくるヨーコ、そしてコイケ。神父家族を丸ごと自らの宗教団体に収奪する考えのコイケとユウの闘いが続く。そこは単純に悪と正義の闘いのパターンにも似てはやり引き込まれる。その次の段階は、ユウに成り澄ましてレズもどきの場面も見せながらまさにオーム真理教ばりの物語転回が続く。

変態と呼ばれる盗撮の場面やその写真も面白い(女のスカートの下がターゲット)!エログロすれすれの面白さの核にあるのがユウの純粋さ、である、身体と心の素直さでもある。彼は勃起しない男だった。それがヨーコに会った途端勃起が始まるのである。亡き母との約束!マリアさまのような女性を愛し死んだ母に紹介する!運命の出会いを貫く純愛が底を流れている。ゆえにこの映画はポルノではない。ヨーコはヨーコで壊れた家族の中にあった!暴力的男根主義の父!(娘も犯そうとする)との危機を乗り越え、男への憎悪を抱いていた!

ある面、レズビアンのその心理的背景がうかがわれる!男に対する憎悪!(以前レズの女性と話したことがあるが、彼女は結局Wで男とも付き合っていた。そして詩人の男と別れてまたレズに戻った!)

物語は新興宗教団体に絡め取られた家族、特にヨーコを救い出すためのヒーロー的ユウの活躍が続く。その辺は実際何度も映像で流された過去のオーム真理教の事件をなぞってみていた。集団サイキの中の造形はすべて違和感なく見ていた。しかし映像はフィクションだからそのエキスを見せる。ユウは勇敢に爆弾を持ち、日本刀を持ち、コイケの中心部に突入、漫画的なエキサイトな血なまぐさい場面が描かれる。コイケが目指した理想の家族?はもろく崩れる。残ったのは愛だけである。精神が病んだユウに未来は残されているのか?そしてヨーコは?変態の汚名は返上できるのか?正気に戻ったヨーコは二度自らの命を救ったユウを思いだす。そして次は自分が救うのだとーーー?

最後の場面はネット評では評価が分かれるようで、どちらかというとネガティブが多い?
精神病院へ警察車でやってきたヨーコとユウの再会の場面!病んだ記憶喪失のユウがいる!ヨーコの涙!やがてユウは思い出す。病院の囲い、権力の支配を捨て去るように走り出すユウがいる!走る、走るユウ!ひたすらマリアのヨーコを求めて!ユウはヨーコを思い出し、勃起したのである!「男性の素敵な正直さ!そのもの」がユウの実存の愛らしさ!純愛に満ちていた!

パトカーの窓を腕で割ってヨーコの手を握る!それが最後の場面!良かった!エロスと愛の正直さが良かった!4時間が4時間を感じさせないパワフルな映画だった!その理由は物語の良さである。偽善を突破らった人間の「むきだし」の感情とその奥に秘められた純粋な感情の勝利である!エロスは生きるエネルギーである!人はどれだけ自らの感性に「むきだし」に生きているのだろうか?むきだしに生きたくなったーー?!それにしてもユウの正直さが素敵過ぎた!青春の甘酸っぱい香り、暴力の匂い、青春はいい!人間の愛の輝きを信じたくなる映像である。それはフランクフルトから成田に戻るANAの中でみた「スラムドッグ$ミリオネア」(Slumdog Millionaire)の映画とも共通すテーマ!それは純愛である。運命の女性を思い続ける男の「一途な愛の美しさ」のようなもの!それが生きる力になっている!

いわば「男のロマン」か?女のロマンはどう描かれるのか?基本パターンはどういう物語なのか、気になってきた。「オペラ座の怪人」にしても男のロマンである。女のロマンは?意外とない?のかもしれない。描かれていないのでは、と気になってきた。「女性映像作家」も少ないのである!「男たちのロマン」に多く付き合わされているのではないのだろうか?

コリント人への第一の手紙13章
「もし愛がなければわたしは無に等しい。ーーー。愛は寛容であり、愛は情け深い。またねたむことをしない。愛はたかぶらない、誇らない。不作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない。恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして全てをしのび、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」

(ヨーコが暗唱していた章とは違うかな?以前聖書を持ち歩いて読んでいたが、クリスチャンにはなれない!)

<写真は「愛のむきだし」のテレビ画面から撮ったもの!マリア様のヨーコ!>


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