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審査在り方、見解分かれる!「琉舞・国保持者候補の選考」←芸能インサイド

2016-12-23 20:38:23 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

県保持者に不信感!「沖縄タイムス」に島元さんが投稿して指摘した事柄が「琉球新報」でも取り上げられましたね。
県の保持者の方々の不信感が大きいという事実に沖縄芸能のいびつさと権威に屈さなければならない、つまりヒエラルキーの中の芸能の位置づけが露になってもきますね。芸能の持つ二面性が窺えます。ヒエラルキーの権威の序列に価値を見出さざるを得ないシステムがあり、一方で、芸(能)がヒエラルキーではなくヘタラルキーとして、常に反骨の美・勇気の根としてありえるか、が問われていますね。芸能が権威に供与され、権威に擦り寄っていく性質を持っている事も事実と云えるのは、世阿弥が将軍義満の贔屓(バックアップ)でお能の芸が成熟していった歴史に照らしても、また卑近の例ではアメリカのハリウッドの映画人と大統領とその陣営とのかかわりが、選挙のキャンペーンでも如実に見られたことから明らかですね。芸が権威(権力)に捧げられる特性を持っているのも事実です。

一方で現代演劇やコンテンポラリーダンスにしても、また伝統芸能の中にもそうしたピラミッド(ヒエラルキー)などの権威に常に抵抗し、反骨の創造(想像)・作品によって、権威や権力に対峙し、新たな地平を切り開いていく芸能家(舞台芸術家)が存在するのも事実ですね。

村々の芸能=民俗芸能の場合は地域共同体に繁栄・安寧をもたらす神を称える場であり、共同体の娯楽・再生の饗宴の大事な祭りになります。自然の災害を含め大きな脅威を与える対象でもありうる神的存在の力を慰撫する場でもあるのですね。今それが国家の体制(制度)の中では国による権威付け(ヒエラルキー)が、芸(能)、芸能家の激しい実存の『縁』『糧』にもなっているのですね。国のお墨付きの「国指定重要無形文化財・琉球舞踊保持者」になることは、名誉なことになります。名誉称号を得るための激しい確執が沖縄で起こっているということは、それだけ琉球舞踊に精進している方々、流派が多いということを意味するのでしょう。ある面喜ばしい現実なのかもしれませんね。

芸の誇りや美だけではなく、サバイバルの価値ということになるのかもしれませんね。誰が国指定の保持者になり、誰が選ばれないのか、沖縄の琉球舞踊の党派性、主流と反主流の闘いがそこにあるということなんですね。保持者の方々の舞踊がとてもいいと思えないこともあるのですが、というのは戦後のコンクール時代の始まりと共に、型が統一されて、歴史の推移から払拭された形で整えられてきた琉球舞踊の現代の型があり、それぞれの流派にどれほどの差異があるのだろうか。伝承者の芸能を見ると、昨今かなり型が崩れてきている流れも垣間見えるのだが、戦前の型が取り戻されているのだろうか?それにしては、古典舞踊一つとってみても、戦前とはかなり手が違ってきていますよね。一体どう異なるのでしょうか?玉城盛重流の流れの方々だけが国指定の保持者という現実をまずどうにかする必要があるのでしょうね。同じ手なら多様な流派でも同じですから、まったく異なる手の流派を大事にすることによる多様性の面白さを見たいですね。歴史の捉え返しでもあります。

琉球王府時代の芸は公務員芸であり、どれほどプロの芸だったのか、怪しいですよね。近代になってはじめて一般大衆の感性に磨かれてプロの芸が登場したのですよね。冊封使がやってきた回数も少ないですね。むしろ薩摩や江戸に向かった使節団の回数の方が多かったのですよね。

近世琉球の時代、近代の66年間、そして戦後71年、それも米軍占領期の27年間、復帰後の44年間、其々の時期における芸能の歴史、舞踊も、歌三線も組踊も、また近代以降の沖縄芝居にしても、芸能史の真実、その捉え返しが今問われていますね。でもいつも決まった専門家の先生方の発言が目立ちますが、それらも疑う必要がありそうです。視野の狭い専門家の視点も未来が見えてきませんね。首里方言で古典音楽を歌い、その首里方言の琉歌で踊るのですか?←専門家は今そのレヴェルで発言していますよね。最近姿勢を変えたでしょうか?


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2 コメント

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Unknown (沖縄大好き地元民)
2017-01-20 16:21:59
先日、この問題についての記載を読んで興味を抱いて以来、時間を見つけては、素人ながらにも琉球舞踊について学び、今回の問題に関する新聞記事や記載を多く読ませてもらい、また柄にも無く、この様にコメントを投稿させていただいております。
素人の個人的な意見ではありますが、保持者の問題に対して、現時点におけるベストな選択肢としては、今回推薦を一旦は取り下げて、各流派の『手』の違いを踏まえた選考基準を作成し、公の場でこれを発表し、中立の第三者を入れた監査機関を設置した上で、一部の流派、会派に偏らない、公平かつ適正な再審査を行う事だと思います。
保存会の方々が主張する様に、今現在も公平な選考、推薦が行われてるのであくれば、新たな選考においても、今と同様の選考結果となり、保存会の主張の正統性を示す事ができますし、それは、嘆願書を出した県の保持者の方々も含めて、多くの人が納得のいく結果になると思います。
また、今回推薦を受ける方々も、国の保持者に推薦される名誉に対して、紛糾が収まらないままの認定では、舞踊家として素直に喜び難いのではないでしょうか。
もしも、嘆願書を無視した形で、新たな国の保持者が認定された場合、琉球舞踊保存会は『一部流派会派のための保存会』であることを自ら認めた事になり、その様な会から推薦された人をも含めて、伝統芸能技能保持者の名誉と意義を地に貶め、結果として、琉球舞踊そのものの価値を下げる事になるのではとの不安は、単なる素人の杞憂でしょうか?
この問題についてのある投稿には、親族からの推薦、議員からの推薦もあったとの記載がありました。事の真偽を確認できる立場にありませんが、その様な話しがまことしやかに漏れ伝わること自体が、今の琉球舞踊保存会への信頼性を表していると思いますし、また、この様な事が公然と囁かれる今の選考方法にこそ、最大の問題点があると感じるのは、これまた素人の戯言なのでしょうか。
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ご意見ありがとうございます! (nasaki)
2017-01-20 18:30:45
「沖縄大好き地元民」さんが提言されたお考え『現時点におけるベストな選択肢としては、今回推薦を一旦は取り下げて、各流派の「手」の違いを踏まえた選考基準を作成し、公の場でこれを発表し、中立の第三者を入れた監査機関を設置した上で、一部の流派、会派に偏らない、公平かつ適正な再審査を行う事だと思います。』
はとてもいいご提案だと思います。国の保持者決定にはまだ時間の猶予があるとのことですので、(5月、6月頃に発表でしょうか?)今回の候補者を取り下げて再度公正な選考がなされることを期待したいものです。琉球舞踊全体のイメージが損なわれないためにも、多くの方々の納得のいく優れた保持者が選考されることを念じましょう。
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