電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

藤沢周平没後二十年「小菅先生と教え子たち(下)」を読む

2017年12月10日 06時03分08秒 | -藤沢周平
11月29日付け山形新聞に、藤沢周平没後二十年の特集企画の一環として、「小菅先生と教え子たち(下)」が掲載されました。地元鶴岡に残る教え子たちのまとめ役として、学級委員長みたいな役割を果たしたらしい、元JA鶴岡の理事・萬年慶一氏の回です。氏が語る小菅先生の思い出は、ホームルームの時間に読み聞かせをしてくれたこと。とくに印象深いのが『レ・ミゼラブル』で、ジャベール警視の探索の中、マドレーヌ市長が馬車の下敷きとなったフォーシュルバン老人を救い出す場面です。

中学生のまっすぐな心情として、自己の保身を考えるならば見て見ぬふりをするほうが良いのだけれど、目の前で苦しむ老人を救えるのは自分しかいないというジレンマに陥ったマドレーヌ市長の決断が、価値あるものとしてストンと腑に落ちた、ということでしょう。そしてそれが、かつて自分を救ってくれたミリエル司教の教えに忠実であろうとした、愛ある決断だったことも。

若い日のこうした記憶は、意外なほど深いところで影響を残しているものです。老年期に入ると、記憶の底から浮かび上がるエピソードは、穏やかで優しいものでありたいと願うところです。



学級図書や「脳天コツン」の話からは、若い中学校教師として楽しく過ごしていたことが想像されますし、「碑が建つ話」の関連の経緯はエッセーで親しいところですが、湯田川中学校での教師生活と教え子たちを終生懐かしく思っていたことがうかがえます。

おそらく、紙面に登場しない教え子たちの中には、言い尽くせない不幸や苦難の人生を送った人もいたことでしょう。小菅留治先生の家庭的な不幸からの回復と作家としての成功を、彼らもまた我が事のように喜び、励みにし、勇気づけられていたのではなかろうか。そして、先生もまた、教え子たちの「その後」を気にかけ、幸せを念じながら、様々な人生の哀歓を感じつつ、作品の中にあたたかく投影していたのではなかったか、と思います。

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