電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

アケビの肉みそ詰めを使ったお手軽パスタを作る

2018年09月30日 06時03分12秒 | 料理住居衣服
妻も出かけて老母と二人の昼食となりましたので、残っていたアケビの肉みそ詰めを使って、お手軽パスタを作ろうと思い立ちました。
まず材料は、ありあわせの残り物を使い切ることを優先して、

  • トマト
  • 玉ねぎ
  • ズッキーニ
  • にんにく
  • ささげ
  • あけびの肉みそ詰め(*1)
  • パスタ
  • オリーブオイル

というものです。

トマトは皮をむいてざく切りにし、ズッキーニは荒く破片に、玉ねぎはみじんに切っておきます。あけびの肉みそ詰めは、先日、妻が作ってくれたもので、まだ残っていたものを1個、7〜8mm程度の厚さにスライスしておきます。
パスタをゆでるときは、水の量に対して3%ほど塩を加え、ささげをパスタと一緒に軽くゆでて、取り置きしておきます。



オリーブオイルににんにくを加え、弱く加熱して香りを移した後、玉ねぎをしんなり色づく程度に炒め、ズッキーニ、トマトを加えて加熱し、軽く塩コショウした後、パスタのゆで汁を加えてスープを作ります。
パスタが茹で上がったらスープに加えて混ぜあわせ、これにアケビの肉みそ詰めを加えて、中身が崩れない程度に加熱します。



うん、出来上がりはなかなか美味しい。キノコやひき肉が詰まったほろ苦いアケビの味と、あまりオリーブオイルを強くきかせない和風に近い味付けで、これはけっこうヒットだと思います(^o^)/



ちなみに、ヨーグルトにかけているのは、自家製プルーン・ジャム。

(*1):山形の味:あけびの肉みそ詰め〜クックパッドより
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稲場紀久雄『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』を読む(2)

2018年09月29日 06時05分45秒 | -ノンフィクション
伝染病であるコレラの感染を防ぐためには、上下水道の整備が急務でした。明治政府は、英国から衛生工学の専門家を育てるため、外国人教師を迎えることとします。このとき選ばれたのが、ウィリアム・バートンでした。
1887(明治20)年5月、ウィリアム・バートンは来日し、帝国大学工科大学土木工学科衛生工学講座の初代教授に就任します。同僚のお雇い外国人教師たちが、日本人女性を妻として仕事に勤しむ中で交流を深め、首都東京の上下水道計画の立案を進めていきます。残念ながら、上水道を公設する方針までで財政余力は尽きてしまい、バルトンの下水道計画は幻となりますが、上水道計画は実現に向かって動き出します。

ウィリアム・バルトンの事績を追っていくと、明治の時代に東洋の島国にやってきた青年が、力を振るい自分の持つ理想を実現しようと奮闘する様子がよくわかります。一方で、写真技術を駆使して会津磐梯山の噴火や濃尾大震災の様子を記録・発表したり、浅草十二階タワーを設計したりという話題も興味深いものがありますが、なんといっても後半のペスト禍迫る台湾行きがすごい。「恐怖の悪疫島」と呼ばれた台湾衛生改革の防人として、衛生改革の方向性を定めます。
そして1898(明治31)年、台湾の水源探索行の途中で熱病に罹患、いったん回復しますが、翌1899(明治32)年、アメーバ赤痢に感染・再発し、8月に死去します。

未亡人・満津と遺児・多満らのその後も、歴史の荒波に翻弄されるような波乱がありますが、若いバルトン先生が駆け抜けた明治の日本や台湾の姿が、その後どのように変貌しているかを思うとき、先駆者の姿に心から尊敬の念を覚えますし、それを明らかにした労作に感謝したいと思います。

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稲場紀久雄『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』を読む(1)

2018年09月28日 06時01分11秒 | -ノンフィクション
平凡社から2016年10月に発刊された単行本で、稲場紀久雄著『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』を読みました。副題に「近代化に献身したスコットランド人の物語」とあるように、明治20年に来日したウィリアム・K・バートンの伝記です。帯には、「謎に包まれたバルトン先制の全貌解明!」とビックリマークが踊り、「帝国大学教授としてコレラ禍から日本を救うため、上下水道の整備を進める一方、日本初のタワー・浅草十二階の設計を指揮、さらに写真家として小川一真の師であったバルトン先生。」と紹介しています。そして表紙には、和服を着てキセルを持ち端座するヒゲの異人さんの写真が掲載され、なんとも興味を引く装幀となっています。

本書の構成は、次のとおり。

プロローグ バルトンの夢を追って
第1章 故郷エディンバラ
第2章 知の巨峰、父ジョン・ヒル・バートン
第3章 ウイリー誕生、バルトン幼少期
第4章 技術者への道、バルトン青年期
第5章 永訣と自立と
第6章 ロンドンでの活躍、そして日本へ
第7章 バルトン先生の登場
第8章 国境を超えた連帯
第9章 首都東京の上下水道計画
第10章 日本の写真界に新風
第11章 浅草十二階―夢のスカイ・スクレイパー
第12章 濃尾大震災の衝撃
第13章 望郷―愛の絆
第14章 迫るペスト禍と台湾行の決心
第15章 台湾衛生改革の防人
第16章 永遠の旅立ち
第17章 満津と多満―打ち続く試練
第18章 ブリンクリ一家に守られて
第19章 多満の結婚とその生涯
エピローグ 時空を超えて

著者は京大で衛生工学を学び、建設省で下水道行政に携わっていた方のようで、「米国研修中に日本の衛生工学の原点をよく知らないことに気づいて、明治の近代下水道について調べ、バルトン探索行が始まった、と書いています(p.12)。このあたりの経緯は、なんとなく上林好之著『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』が書かれた事情と似ていると感じます。)



父ジョン・ヒル・バルトンは、スコットランド刑務庁の書記官となり、法律家として「人はなぜ犯罪に手を染めるのか、またどうすれば犯罪を防げるのか」を追求し、「人は皆同じようにこの世に生を受けるが、教育がその人生を変える。教育を受けることは人としての基本的権利であり、学ぶことによって人はより良い人生を生きることができる」と信じ、妻キャサリンが結婚後も女性の教育の権利のために活動することを当然のことと受容したとのこと。(p.53)この夫婦のもとに、1856年5月11日、ウィリアム・キニモンド・バルトンが誕生します。

息子ウィリアム・バルトンの少年時代、少年アーサー・コナン・ドイルが一時身を寄せますが、これはドイル家の父親のアルコール中毒による家庭的困難を支援したもので、これもバルトン夫妻のこうした考え方が基礎になっていたのでしょう。後に大作家となるコナン・ドイルとバルトンとの友情は、この時から始まったと言えますし、ドイルの小説をおもしろがり、励ましたバルトンの存在は、少年ドイルにとって大きな励ましになったことでしょう。

さて、ウィリアム・バルトンは、大型船舶や船舶機械の設計会社に徒弟(アプレンティス)として入社し、技術者の道を歩み始めますが、生涯を捧げる仕事として衛生工学を選び、徒弟修行の終わりとともに祖父コスモ・イネスから写真関連の遺産を受け継ぎます。1880(明治13)年、ウィリアム・バートンは叔父コスモ・イネスJrとともにロンドンにコンサルタント会社を設立します。叔父の母校キングズ・カレッジで分析化学の一ヶ月コースを受講したほか、「古民家の衛生検査と給排水設備の更新」について発表するなど、まず水質を検査し、必要な設備を取り替えるという、基本に忠実な対応を続け、1882(明治15)年に主任技師となると、衛生計画の立案、衛生設備の設計、施工、保守に活躍し、当時のロンドンの衛生状態の改善に貢献します。

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死因は詮索しない

2018年09月27日 06時05分11秒 | Weblog
今年も、ずいぶん多くの葬儀に出席しました。中には、若くして亡くなった方もありました。遺族の心情を思えば、興味本位に死因を詮索しないことが大事でしょう。病気であれ事故であれ、亡くなった本人も残された家族も、じゅうぶんに心を痛め、心配し、悩んだはずです。文字どおり

今日の労苦は今日にて足れり。

なのではなかろうか。残された遺族の幸いを祈るばかりです。もうひとつ、今年の後半は、もう葬儀がありませんように。

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見失っていたデジタルカメラを見つけた!

2018年09月26日 06時04分20秒 | Weblog
過日、見失っていた愛用のコンパクト・デジタルカメラ(*1)を、ついに見つけました(^o^)/
あちこち探したのだけれど、畑に行った後に見えなくなったことは間違いない。では、畑に落ちていないのだから、畑から戻ってきた後に見失ったことになります。で、順次探して行ったら、作業着から普段着に着替えるときに使うハンガーコーナーに、落ちていました(^o^;)>poripori

な〜んだ、要するに作業着のポケットから落っことしたか、自分で置き忘れただけか(^o^)/
でも、見つかって良かった。最後に撮影していた写真は、こんなふうでした。




(*1):デジタルカメラが見当たらない!〜「電網郊外散歩道」2018年9月
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プロシオン(M)が入手できたので白軸カクノの役割はどうする

2018年09月25日 06時05分18秒 | 手帳文具書斎
古典ブルーブラックを中字でも、ということで迷走してきた一連の経過は、この夏にプロシオンの中字を入手出来たことで一段落となりました。こうなると、せっかくCON-70やカヴェコのクリップなどを準備してきた白軸カクノの役割は、さてどうしよう?

とくに、インク量が終わりに近づく頃の、酸化されてかなり黒ずんだインクの色は逆に魅力的な面もあります。パイロットの青やブルーブラックなど、シャバシャバ系のインクに転用するというやり方もありますが、職場の引き出しに常備して郵送物の宛名書きに使うなどの利用場面もしばしばあり、もう少し考えてみましょう。
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今年のお彼岸の中日は

2018年09月24日 06時05分39秒 | 季節と行事
熱はようやく平熱に下がり、多少ふらつきながらも、なんとか日常雑事を少しずつ片付けられるようになってきました。昨日はお彼岸の中日で、朝からデジカメのないのが実に口惜しい。例えば

  • アケビの皮の肉味噌炒め
  • アケビの実のほうに漬けたキュウリの浅漬
  • おはぎ、種類は「納豆」と「胡麻」
  • 内陸風芋煮(牛肉、里芋、キノコ、蒟蒻とネギの醤油仕立て)
  • 自家産の「つがる」リンゴ

という具合です。ようやく食欲もふだんの半分くらいに回復して来ていますので、格別に美味しく感じました。この中では、山形の「あけび料理」が珍しいほうでしょうか



ところで、ようやく平熱に戻ったものの、咳と痰が止まりません。この分では、演奏会の最中に猛烈に咳き込み始める危険があります。秋の演奏会シーズンまでになんとかおさまってくれないものかと、ひそかに祈っているところです(^o^;)>poripori

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音楽鑑賞と健康状態〜今回のひどい風邪では

2018年09月23日 06時04分01秒 | クラシック音楽
これまで、ちょいと風邪気味くらいでは寝床の中で音楽を流し聞くことを諦めることはありませんでした。これまでも、風邪引き音楽鑑賞ネタを何度か繰り返しております(*1)。

ところが、今回は食欲がなくほとんど食事が摂れない期間が続き、とてもじゃないけれど音楽を聴きながら回復を待つような状況ではありませんでした。実際、この期間に聴いた音楽はなし、寝床の目覚まし用ラジカセの電源を入れることもありませんでした。音楽鑑賞も健康状態に大きく左右され、今回のようなひどい症状では、とても音楽を聴く気分にはなりません。

幸いに、昨日は体調も回復の方向に向かい、例年通りピアノ調律の日でもありましたので、後でひそかに音を確かめてみました。シューマンの「交響的練習曲」の冒頭の主題です。やっぱり、調律後の音はだんぜんいいです。

で、聴き始めはやっぱりこの曲からでしょう(^o^)/
作曲家本人の残したピアノロールから、だそうな。

Debussy plays Debussy | Clair de Lune (1913)


(*1):例えば 風邪で寝ているときの音楽は〜「電網郊外散歩道」2018年5月 など。

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ひどい風邪をひき、食事ができない日が続く

2018年09月22日 11時14分42秒 | 健康
先週、ひどい風邪をひきました。最高で 39.4℃まで上がりましたが、検査の結果インフルエンザではないそうです。柴胡桂枝湯やカロナール、アスベリン、テオドールなどを処方してもらい、じっと寝ていました。ただし、今回はいつもと事情が違いました。まったく食欲がないのです。

おかゆを作ってもらっても、わずか二口か三口で食べられなくなります。一方で日中の活動時間には胃酸が順調に出ているらしく、眠っている間に胃液が逆流したのがわかりました。37度台に熱が下がって、入浴・洗髪して気分もすっきり、そうめんを少しだけ食べましたが、翌日は再び食欲絶不振。舌の先端が痛くて、甘いものも食べられません。うどんもダメ。かろうじて葛湯は大丈夫でしたが、食後は30分ほど起きているように心がけたら、胃液の逆流は防げるようです。

本日、再び医者に行き相談したところ、おそらくは解熱薬や咳止めが胃を荒らしたのだろうとのこと。お薬も飲み切りましたので、今後は食欲も回復するとの見通しでした。



もともとは、前日に汗をかいてきちんと着替えなかったのが原因です。翌日、微熱があったのを暑いためと誤認し、エアコンをかけてドライブしたのも悪かった。悪条件が重なったというべきでしょう。いやはや、ひどい目にあいました。

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キャッシュレス社会のアキレス腱

2018年09月17日 06時02分47秒 | Weblog
北海道における震度7の地震で大規模停電が起こり、様々な生活上の不便が生じました。その中でも、クレジットカードや電子決済を主体として現金を持たないキャッシュレス生活を始めていた人は、行列に並んでも何も買うことができないという事態に陥ってしまったようです。以前、某国の中央銀行の総裁が「キャッシュレス社会は戦争や天災にあらがう力がまったくない。膨大な金融システムが一瞬にして崩壊する」と言っていたそうですが、まったくそのとおりになりました。

オール電化の暮らしのあやうさと同じように、何か単一のものに依存しきってしまうことの不健全性に気づくべきでしょう。多様性、冗長性、併存、複合など、無駄と切り捨てられそうな在り方が、実は重要な意味を持っていると言えます。

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デジタルカメラが見当たらない!

2018年09月16日 06時03分50秒 | Weblog
昨日、帰宅後に畑に出て、草刈りをしました。リンゴの状況を撮影しようとデジタルカメラを持参し、自分なりに夕方の光とアングルを工夫して撮影しました。汗だくでしたので、自宅に戻ってからシャワーを浴び、ゆっくりしてからパソコンにとり込もうとしたら、カメラがない! 一緒に持ちだしたはずの農作業メモ帳はあるので、どこかに置き忘れた可能性が高い。まさか、畑に落っことしてきた? あわてて戻ってみましたが、真っ暗で懐中電灯程度ではとてもわかりません。うーむ、どこへ行ったのだろう?

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退職を決意するときは

2018年09月15日 06時04分14秒 | Weblog
人はどんなときに退職を決めるのだろう? 人それぞれに、置かれた状況で決まってしまうことも多いのでしょうが、自分で退職しようと決心するのはどんなときか。家族の病気や介護、自分自身の健康上の理由、あるいは仕事への不満や勤め先の業績不振、職場の人間関係のもつれ等々、それぞれに様々な理由があって、千差万別なのだろうとは思うのですが。

当方は、条件としてはあと数年は働くことができるようです。しかしながら、健康寿命の大半を通勤と仕事で使い切ることに疑問を感じ始めました。例えば冬場の通勤は、実に残念な時間です。自宅で除雪し、渋滞の中を運転し、職場でまた除雪する。あれをまた何年も繰り返して健康な人生を終わるのかと思うと、正直に言って嫌になります。

数年間、某大学で行ったように、たまに非常勤で仕事をするのはいいけれど、フルタイムで働くのはそろそろ潮時なのかも。少しばかり生活上の心配は残りますが、「定年帰農」の言葉通り、亡父と同じようにフルタイムで土に親しむのもいいのかもしれません。春は畑を耕し、夏は草刈りに精を出し、秋は収穫に喜び、冬は翌春を準備する、そういう生活。言葉を変えれば、果樹園の管理をもう少し丁寧にできるでしょうし、今までできなかった野菜作りもできるかもしれません。雨が降れば本を読み音楽を聴き、家の内外の片付けもできるでしょう。いや、まだ終活は意識していませんけれど(^o^;)>poripori

本日は行事のため土曜出勤。写真は、先々週の「つがる」リンゴ。

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リストアップすることの有効性

2018年09月14日 06時05分43秒 | 手帳文具書斎
ビジネス上では、当面する課題をリストアップし、優先順位を考慮したうえで、一つずつ片付けていくやり方をとることが多いです。このとき、手帳の Things-to-do リストが力を発揮するため、ダイアリーとともにこの to-do リストが手帳の重要な構成要素となっています。

やるべきことをリストアップすることの大切さは、プライベートでも同じです。日常生活での雑多なことがらをリストアップし、整理して優先順位をつける。このリストは、ひじょうに有効です。若い頃には記憶に頼ってもまだなんとかなる面がありましたが、今や直前の短期記憶もあやふやな年代です。中高年にとって、リストアップはきわめて大切かつ有効な手法です。

完了チェックし残した事柄をフォローアップするように、以前のリストを眺めながら新しいリストに引き継ぎ転記しますが、あまりに多すぎるリストも考えもので、適当な時期を見て削除し整理する必要があります。手帳に残っている古い To-do リストを眺めると、その当時に課題としていたことが一目瞭然で、懐かしいやら、ほろ苦いやら(^o^;)>poripori



本日は、午後からご近所の葬儀に列席の予定。喪服を持参して、職場からまっすぐ葬儀場に向かいます。

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アタシを威嚇しようなんて20年早いわ!

2018年09月13日 06時04分23秒 | アホ猫やんちゃ猫
部屋から外を眺めていたら、アホ猫(母)がなにやらじっと見ています。どうも、水たまりの中に何かを追い込んでいるらしい。



うん? なにをしているんだろう?



右手の動きは、どうやらカマキリにちょっかいを出しているみたいです。

おっ! こいつ、抵抗する気?
アタシを威嚇しようなんて、20年早いわ!

うーむ、だいぶ衰えが見えるとはいえ、アホ猫(母)19歳の狩猟本能は健在のようです。カマキリ君は、文字どおり「蟷螂の斧」になっていますなあ(^o^)/

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安田祐輔『暗闇でも走る』を読む

2018年09月12日 06時05分45秒 | -ノンフィクション
講談社から春に刊行された単行本で、安田祐輔著『暗闇でも走る』を読みました。不遇な家庭環境で育ち、発達障害のある若者が、様々な偶然と本人の真摯な葛藤・努力で大学に入学、なんとか就職できた総合商社も数カ月でうつ病を発症してしまいます。なんともはや、不遇で不器用な人生ではありますが、逆に自分の mission を見つめることで不登校・中退者の塾を立ち上げ、「やり直しのできる社会」を目指す、という流れです。



たぶん、若い頃の自分であれば、著者個人の葛藤や努力に注目し、自分の生き方の参考にしようと考えたことでしょう。でも今は、著者を取り巻く周囲に、様々な企業や団体、グループや個人が存在したことの幸いを感じてしまいます。たぶん、勉強をして一時的に社会の階層を上昇したために、暴走族の使い走りをさせられたり、理不尽な思いに悩まなくても良い、集団に所属することができたのではないか。また、東北の片田舎で同じような不遇に悩む若者が、同じようにタイムリーに機会をつかむことはかなり期待薄なのではなかろうか。例えばリハビリを兼ねた家庭教師の仕事が始められた背景には、都市部の人口密度の高さや「社会起業家のためのビジネスコンテスト」などに応募可能な仲間の得やすさなど、客観的条件の面において恵まれていたと感じます。



とは言いながら、優れた洞察に満ちた言葉を、周囲や先人の著作の中から選びとっていることに、さすがだなと感じます。たとえば

「仕事には Labor, Work, Mission の3つの面があるんだ。Labor はお金を稼ぐために働くということ、Work は自分の好きなことで働いていくということ、Mission は自分がこの社会でやるべきだと思うことを仕事にしていくということ。人それぞれで仕事に求めるものは違うし、そこに優劣はないけれども、安田君はミッションを求めているんだね。」(p.137、ICU で卒論を担当した毛利勝彦教授の言葉)
「社会の中で不遇な立場にある人の利益を最大にする」ことを"正しさ"とする ジョン・ロールズの政治哲学
「不登校・中退者・ひきこもりの若者たちに必要なのは、物語を紡ぐことだと思うんです」(人は物語を紡ぐ存在:ICUの1年生、名川航太郎の言葉)
「幸福」は他者との比較では生まれないかもしれないが、「不幸」は他者との比較の中で生まれてしまう (p.126)
「人間はどんなに貧しくても『お金や暮らし向き』によってではなく、『尊厳』のようなものによって生きている」 (p.126)

などです。
そして、とりわけ次の祈りの言葉:

神よ
変えることができるものについて
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることができないものについては
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを
識別する知恵を与えたまえ。
  -----訳:大木英夫
  (ニーバーの祈り:アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーの言葉)

が、強く心に残りました。

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