電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

コーヒーと甘味〜塩バタかまん

2021年06月30日 06時01分58秒 | Weblog
さくらんぼの作業が一段落しましたので、少しゆっくりできるようになりました。朝から、コーヒーに「塩バタかまん」でほっとしています。「塩バタかまん」というのは、お嫁に行った娘夫婦のところから「父の日」のプレゼントとして届いたもののうちの一品。「さっくりした食感の塩バタークッキーに、まろやかなカマンベールチーズクリームをサンドしました」という謳い文句の、横浜・宝製菓の製品のようです。



だいぶ小ぶりのクッキーですが、あまり甘すぎないところは好感が持てます。今日で6月も最終日。1年の半分が終わりです。いつものカップにいつもの習慣、こうした普段どおりの生活が貴重なのだと感じる今日この頃です。

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玉ネギを収穫し新小玉ネギでパスタを作る

2021年06月29日 06時01分06秒 | 料理住居衣服
昨年秋に植え付けた玉ネギの葉の部分が倒れ、収穫時期を迎えましたので、全量を収穫しました。見事に育っていたものが大部分でしたが、中にはずいぶん小ぶりのものもありましたので、小玉ねぎだけを別にして乾燥させています。

で、新小玉ネギを使って、例によってお昼にパスタを作りました。半分に切った小玉ねぎをフライパンで焦げ目がつくくらいに焼き、椎茸とズッキーニを加えてソースを作り、斜めに切れ目を入れて炒めたウィンナとトマトとわさび菜のおひたしを飾ってみたら、単純なペペロンチーノの目先が変わり、なかなか美味しそうです。





食べてみたらけっこう美味しかったので、まずはヒットでしょう。
新タマネギは美味しい。もう少し幅広くメニューを考えてみましょう。
(※タマネギ、玉ねぎ、玉ネギなど表記を混在させているのは、検索時にどの表記でも該当するようにしているためです。)

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ストラヴィンスキー「春の祭典」を聴く

2021年06月28日 06時01分12秒 | -オーケストラ
少し前に通勤の音楽として聴いていたストラヴィンスキー「春の祭典」、いわゆる「ハルサイ」を、日曜の午後、自室のオーディオ装置でダイナミックに聴きました。妻から少しだけ苦情が出ましたが、確かに昼寝には邪魔な音楽・音量です(^o^)
Wikipedia によれば、この曲はストラヴィンスキーがペテルブルクで「火の鳥」の仕上げを行っていた1910年、作曲者28歳頃のときに見た幻影

「輪になって座った長老たちが死ぬまで踊る若い娘を見守る異教の儀式」

から着想を得たのだとのこと。もしこれが現実のものであれば、パワハラ・セクハラの極致と言うべきでしょう。あまり趣味の良いものではありません。

この曲に初めて触れたのは、おそらく私が小学生の頃、体育館での「映画教室」で観たディズニーの「ファンタジア」だったと思います。その後、レーザーディスクで「ファンタジア」を買い求め、子どもたちと楽しみましたが、LDのB面第1曲「春の祭典」の印象は、やっぱり強烈なものがあります。



原始地球における火山活動が活発に行われる海中で生命が誕生し、しだいに進化していきます。海から陸への上陸、恐竜の繁栄と砂漠化による絶滅などの過程を描いて、自然の暴威と容赦のなさなどをあますところなく描き、映画「ファンタジア」の代表的なシーンと言って良いでしょう。ステゴザウルスとティラノサウルスの戦いは迫力がありましたし、恐竜の絶滅のイメージはおそらく当時ゴビ砂漠などで発見された恐竜化石などのニュースから、地球の乾燥と砂漠化に理由を求めたものと思われます。現代では、隕石の衝突等により舞い上がった水や砂塵等により太陽光が遮られて起こる大量死滅によるものとされているらしいですが、「ファンタジア」のイメージ全体を覆すほどの知見ではありませんで、少なくとも作曲者ストラヴィンスキーが思い描いていた「パワハラ・セクハラの極致」のイメージよりはだいぶ真っ当です(^o^)/

LPの時代、例えばコンサートホールのブーレーズ指揮ORTF盤は名盤だけれど、CBSソニーのクリーヴランド管の録音が出たら、これが決定盤であるというような情報が、1970年前後には飛び交っておりました。しかし、残念ながら積極的にLPレコードを購入しようとまでには至りませんでした。

5管編成という大規模なオーケストラが要求されるために、当地の二管編成の山響の規模では演奏不能であり、実演に接する機会はなかなか難しいものがあります。したがって、愉しむためにはLPやCDだよりという状態が長く続きましたが、若い頃の廉価盤にはなかなか見つけることが難しく、手元にあるのはズデニェク・コシュラー指揮チェコ・フィルの演奏する全集分売CDのみ(*1)です。おそらく、作曲者ストラヴィンスキーは長生きしたために、死後50年あるいは70年というような著作権保護期間が影響し、いまだパブリック・ドメインにはなっていないためでしょう。

この曲、通勤の音楽としては、弱音部がロードノイズに隠されてしまい、必ずしも適切とはいいがたい面があります。では自室でデスクトップ PC-audio ならば良いのかと言うと、これも必ずしもふさわしいとは言い難い面があります。二人で演奏することを要求されるティンパニなど、パーカッション群のリズムを迫力ある音で愉しむには、やはりメインのステレオ装置で聴きたいところです。では、聴いた後にしあわせな気持ちになる音楽かと言うと、必ずしもそうではない。どちらかと言うと、人を驚かすイベントを盛り上げる音楽のような気がします。

■コシュラー指揮チェコフィル盤 (DENON: GES-9231)
 I=16'00" II=18'11" total=34'11"

(*1): 便利さと不確実性は裏表の関係か〜「電網郊外散歩道」2021年4月

YouTube より、いくつかの演奏を。
Stravinsky The Rite of Spring // London Symphony Orchestra/Sir Simon Rattle


Igor Stravinsky - The Rite of Spring (1913)


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豪雪や霜被害に思う小規模兼業農家の強さ

2021年06月27日 06時01分56秒 | 週末農業・定年農業
我が家のサクランボ果樹園は、今年は2つある園地のうち片方、自宅裏の老木が野ネズミ及び豪雪による被害で倒壊し、もう一つの園地も4月10〜11日の低温と霜で花芽が枯死する被害を受けました。結果的には、前年度の四割強の出荷量となりました。当然ながら、農業収入は減少しますが、今後の他の果実(梅、桃、プルーン等)の出荷でどの程度カバーできるかが焦点になります。ただ、サクランボの単価は他の品種と比べて桁が違いますので、サクランボの落ち込みを大きくカバーすることは難しく、比較的単価の良い、ある程度は収量も見込める桃で若干は補える程度になるものと予想しています。

おそらく、大規模専業農家であったならば、農業共済である程度の補償はあるものの、場合によっては大型の農業機械やハウス等の設備投資の返済に窮するような事態になってしまうことが予想されます。農業は自然が相手ですので、投資に見合う収入が確保できるまで待ってくれるとは限りません。今年のように、自然相手の仕事はなかなか大変で、これが二年も三年も続いた場合は経営と生活の基盤を失いかねません。

ところが小規模兼業農家の場合、多くは勤め人と果樹農業を兼業していることが多く、こうした自然災害があっても、生活の基盤に影響をうけるほどではないのでしょう。意外に「今年はだめだったなあ」で済まされてしまう。農業だけで生活しているのではないだけに、耐性があるのです。

我が家の場合も、亡父の生前は同居の息子夫婦(私たち)が税金も生活費も負担していましたので、亡父は自分の年金の相当部分を、農機具の購入や苗木の植え付けと管理等の農業経費として使っていたのではないかと思います。そういう資産をそっくり受け継いだために、私が週末農業・定年農業をやれている、ということなのでしょう。今年の被害は、むしろ規模縮小、すなわち年齢に見合った適正な経営規模を考える良い機会になったのかもしれません。



政府の専門家が言うように、大規模専業農家の育成はそれはそれとして大きな課題ではありましょうが、実際にはなかなか進まないというのは、大規模専業農家が実は自然災害等に弱く、小規模兼業農家のほうが実はしぶとく強いという事情が背景にあるのかもしれません。

(※:写真は少し前に撮影したもので、ジャガイモの開花の様子です。)

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古いセカンドバッグの金具が壊れた

2021年06月26日 06時00分55秒 | 手帳文具書斎
A5判はもちろん、B5判のノート類も持ち運べるため、重宝していた古い方のセカンドバッグの金具が壊れました。ボッキリ折れたようで、これを修理することは難しそうです。第一、カバンの皮もだいぶ傷んできており、少々みすぼらしくなってきていました。2011年に購入し2015年まで使っていましたが、今年の非常勤の勤務でB5判のノートを使っているものですから、これまで愛用していたA5判サイズの帆布のセカンドバッグが使えないため、急遽引っ張り出してきたものです。充分に使いましたので、これは写真を撮った後に廃棄でしょうか。



では、来週からカバンはどうするか。可能な方法としては、

  1. 再び書類かばんを復活させる
  2. 帆布のセカンドバッグとB5の入る小ぶりのトートバッグを使う
  3. B5サイズのバッグを新調する

あたりか。書類かばんを使うのがオーソドックスでしょうが、カバンの中でノートや書類の他に、文具や老眼鏡や財布、ドライアイ対策の目薬等を入れるポケットが複数あるといいということから、セカンドバッグを使っていたのだったと思いますので、以前のようにバッグインバッグで整理という選択肢もあるかもしれません。ただし、以前はPHSで今のスマートフォンよりも小型だったように、バッグに入るものの中身がだいぶ世代交代しております。さて、どうするか。

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藤沢周平『孤剣・用心棒日月抄』を読む〜7年ぶりの再々読

2021年06月25日 06時00分46秒 | -藤沢周平
軽い風邪を引き、念のために休んだ雨降りの日、枕元の書棚から藤沢周平著『孤剣・用心棒日月抄』を取り出して読みました。奥付に記録した読了年月日を見ると前回の読了は2014年の10月で、7年ぶりの再々読です。何度読み返しても面白い、名作シリーズの第2巻です。

前作『用心棒日月抄』で国元の陰謀を阻止したものの、まだ一味の首魁である寿庵保方の反撃が始まります。青江又八郎は、奪われた一味の連判状と証拠となる日記・手紙類を取り戻すために、新婚の妻と母を残して再び脱藩するはめになります。江戸で剣鬼・大富静馬を追うのですが、なかなか手がかりを掴むのが大変です。しかも、日々の糧は自分で稼げという無責任な条件で、生活に追われて探索どころではありません。探索の尻を叩く間宮中老も、その使いの土屋清之進も、暮らしの費用に思い至らない。それは

禄を離れたことがないからだ。

と又八郎は思うのです。このあたりは、中学校の先生だった作者が結核で療養生活を送り、結局は復職がかなわなかった作者の若い日々、生活上の不安という実体験による実感でしょう。

たまたま江戸屋敷から出てきた短刀術に優れた女忍び佐知と遭遇し、協力を得られることとなりますが、前作では敵味方として戦った相手だったはずが、深手を追った佐知を助けたことが幸いして、今作では一転して貴重な味方となっています。

今回も、細谷と米坂という二人の相棒と共に、吉蔵の紹介する大小様々な依頼を解決するというパターンで話が進みますが、不器用な生き方しかできない細谷も愛妻家(恐妻家?)だけれど、こんどの相棒の米坂も無類の愛妻家で、これは明らかに又八郎と佐知の関係を対比的に浮かび上がらせるための設定でしょう。

「それに、そのようなことで、少しでも青江さまのお役に立てましたら、うれしゅうございます」
 佐知は、いつもの表情の少ない顔でそう言っていたが、声には真情がこもっていた。孤立無援と思って来た江戸だが、頼りになる人間がいた、という気がした。
 又八郎は、思わず手をのばした。すると、心が通じたように、佐知も手をのばして、軽く又八郎の手を握った。だが、それは一瞬のことだった。二人は驚いたように、お互いの手をひいた。

このあたりは、まだ同志的な信頼の中で、わずかに互いを意識し合う場面。しかし、公儀隠密と大富静馬と三つ巴の争いの中で、ときに助け、ときに命を助けられる過程を通じて信頼を深め、やがて切ない愛情に変化していきます。

いやいや、国元の新妻はどうするのかと奥様方は抗議するでしょうし、男どもは都合よくロマンスを夢見るだろうという想定のもとで作者は話を組み立てているでしょうが、しかし男女の三角関係の修羅場を描くことはありません。このあたりは、教え子であったはじめの奥さんを病で失い、残された娘を育てながら生活に苦闘する中で、倒れようとする者が支えを掴むように再婚したという作者の半生(*2)が反映されているところでしょう。

(*1):藤沢周平『用心棒日月抄』を読む〜「電網郊外散歩道」2007年5月
(*2):『蝉しぐれ』、あらためて原作の厚みを思う〜「電網郊外散歩道」2005年10月

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緑陰のマツダ・デミオXD

2021年06月24日 06時00分51秒 | 散歩外出ドライブ
サクランボの収穫と出荷が終わり、ほっと一息。なんだか気が抜けたのか、やや風邪気味で、くしゃみが出ます。たぶん、寝相が悪くて足を出したせいでしょう(^o^)/
そんなわけで、朝食前に「小青竜湯」を服用し、軽トラックで可燃ゴミを搬出した後にゆっくりと朝寝をしました。軽く一時間ほど休んだら、だいぶ調子が戻りました。でも油断は禁物。雨降りのお天気でもありますし、藤沢周平『孤剣』を読みながら終日ゴロゴロして回復を待ちました。夕方から、起き出してデジタルカメラの写真をパソコンに取り込んで整理していたら、サクランボ収穫作業に来てくれた雇い人の人たちの車が停められるように、愛車マツダ・デミオを梅とスモモの樹の間に移動していたときのものを見つけました。あらためて、いい色ですなあ。



今年は非常勤のため通勤で走る距離がごく少なくなり、日常用途では荷物が運べる軽トラックのほうが断然便利ですので、デミオ君の給油もほぼ2ヶ月に1回のペースになっております。本当は、サクランボのシーズンが終わった今、骨休めにどこかロング・ドライブにでも行きたいところですが、そんな気分にもなれずにいます。せいぜい緑陰のマツダ・デミオXDを眺めて、爽快なドライブの夢でも見ることにしましょう。

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老母、ワクチン接種2回めで少し腕が痛いが特に不都合ないらしい

2021年06月23日 06時01分04秒 | 健康
我が家の元気老母は、先日、新型コロナウィルスに対するワクチン接種の2回めを済ませました。人によっては、発熱や倦怠感など副反応が強く出ることもあるようですが、老母の場合は1回目はほとんど変化なし、2回めとなる今回は、少し腕が痛いだけでとくに不都合というか、重篤な変化はないようです。少し休んだだけで、畑に出てキュウリの苗をひもで結ぶ仕事をしておりました。私の2回目は、7月3日(土)の予定。



ところで、子供の頃から「BCG接種」で接種跡がぐちぐちと痒かったり、インフルエンザ・ワクチンで風邪症状が出たりしました。なんともなかったのはシロップ状の「ポリオ・ワクチン」だけかも。最近は、インフルエンザワクチンも肺炎双球菌ワクチンも、全くと言っていいほど無問題です。年齢と共に鈍感力が高まったのか、それともワクチンの精製度合いが良好になり、副反応が起こりにくくなっているのか。そのあたりは不明ですが、多少の影響は出るものの、病気になるよりも良い、と割り切ることも必要かと思います。
中には、運悪く強い副反応が出るケースもないとはいえないでしょうが、それは事故や災害や犯罪被害と同じように、本人の責任ではなくたまたまそうなってしまっただけでしょうから、応急処置の体制を設けると共に、万一障害が残ったような場合には社会保障制度でしっかりサポートすることが重要でしょう。

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ネット上でブリテンの「ディヴァージョンズ」を探してみる

2021年06月22日 06時00分52秒 | -協奏曲
先日の山響第294回定期演奏会の2曲めに登場したブリテンの「左手のピアノと管弦楽のための主題と変奏"ディヴァージョンズ"Op.21」がとても良かったので、もう一度聴きたいと思い、ネット上で探してみました。

Britten diversions op.21

これで、動画をあたってみたら、ジュリアス・カッチェンのピアノ、作曲者であるベンジャミン・ブリテン本人の指揮によるロンドン響による録音(1954年)を見つけました。そういえばブリテンは指揮もうまかったみたいで、1970年代にブリテン指揮のLPがレコード会社からプッシュされていたはず。あれは何の曲だったのだろう? パーセルの主題による変奏曲? シンプル・シンフォニー? はて?

Britten - Diversions - Katchen / LSO / Britten


うーむ、やっぱりカッコイイぞ。詩情豊かで表情も生彩がある。パソコンから USB 経由で DAC を経てミニコンポのアンプに接続し、デスク奥の両サイドに設置したミニコンポの小型スピーカを鳴らす PC-audio では、先日のピアノとオーケストラによる生体験にはとてもかなわないけれど、曲を何度も聴いて味わうにはたいへんありがたいものです。

サイモン・ラトル指揮バーミンガム交響楽団による演奏、こちらはステレオ録音。
Britten Diversions for Piano [Left Hand] and Orchestra


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山形交響楽団第294回定期演奏会でシューベルト、ブリテン、モーツァルトを聴く

2021年06月21日 06時11分31秒 | -オーケストラ
雨が上がった日曜日の午後、山形市の山形テルサホールで、山響こと山形交響楽団の第294回定期演奏会を聴きました。今回のプログラムは、

  1. シューベルト:交響曲 第3番 ニ長調 D.200
  2. ブリテン:左手のピアノと管弦楽のための主題と変奏「ディヴァージョンズ」作品21
  3. モーツァルト:交響曲 第38番 ニ長調「プラハ」K.504
       阪 哲朗 指揮 山形交響楽団、舘野 泉(Pf)

というものです。

シューベルトの曲はまだ若い頃の作品で、モーツァルトの曲は依頼を受けて書かれた曲としては最後の交響曲になるとのこと。ブリテンの曲は、第一次世界大戦で負傷し左手のピアニストとして活躍したヴィトゲンシュタインの依頼によって書かれた、ラヴェルやプロコフィエフやコルンゴルト等の「左手のためのピアノ協奏曲」と同様に、ブリテンがヴィトゲンシュタインのために書いた「左手」協奏曲に相当する音楽のようです。シューベルトとモーツァルトの曲はCD等でおなじみですが、ブリテンの曲は初めて聴く音楽で、今年の曲目の中で楽しみにしていたものの一つです。

本日のお客様の入りはまずまずで、満席とはいえませんが空席はあまり目立たない。愛称付きの有名曲を含まない、ややマニアックなプログラムとしてはかなりお客様が入っているほうなのではなかろうか。

第1曲:シューベルトの交響曲第3番。ステージ上の楽器配置は、指揮台を中心にして向かって左から第1ヴァイオリン(8)、チェロ(5)、ヴィオラ(5)、第2ヴァイオリン(5)、左手奥にコントラバス(3)の対向配置、正面奥にフルート(2)、オーボエ(2)、その奥にクラリネット(2)、ファゴット(2)、最奥部にはトランペット(2)、右手奥にホルン(2),左手奥にバロック・ティンパニ、というものです。典型的な二管編成。
第1楽章:アダージョ・マエストーソ〜アレグロ・コン・ブリオ。重々しく始まりますが、昭和の頃のように重々しすぎることはありません。アレグロに移行するあたりは音楽の連続性を重視しているようで、ごく自然に滑らかに、いかにも若いシューベルトらしい旋律、澄明な響きです。第2楽章:アレグレット、穏やかで軽やかな音楽で、山響の弦楽セクションの魅力が感じられます。第3楽章:メヌエット、ヴィヴァーチェ。明るい表情の明快な音楽は、寄宿舎神学校時代に熱心に写譜し研究したハイドンがお手本か。第4楽章:プレスト・ヴィヴァーチェ。沸き立つような音楽は、当時流行していたロッシーニの影響でしょうか。バロック・ティンパニの抜けの良い音が気持ちいいです。

そしてステージ正面にピアノが引き出され、いよいよブリテン。
楽器編成はけっこう多彩です。1st-Vn(8), 2nd-Vn(7), Vla(5), Vc(5), Cb(3) の対向配置の弦楽5部に、Fl(2), Ob(2), Cl(2), Fg(2), Hrn(4), Tp(2), Tb(3), Tuba, Hrp, モダンタイプの Timp. それに加えてステージ右手の Perc. がシンバル、スネアドラム、バスドラム、シロフォン、ゴング、タンバリン、トライアングル、といった具合です。本日の独奏者、舘野泉さんが車椅子で登場、84歳という年齢なので、思わず大丈夫かなと心配しましたが、懸念は無用でした。
オーケストラの演奏は、最初の主題がでっかいミュートを付けたチューバとバスドラム等の迫力ある低音で始まります。うわー、カッコイイ! オーケストラが静まると独奏ピアノが入ってきますが、これがまた自由でセンシティヴで、カッコイイ! 主題と11の変奏曲からなるそうですが、今がどの変奏にあたるのか全く考える余地もないままに、ひたすら「いい曲だ〜!」と一気に引き込まれてしまいました。舘野泉さんのピアノも素晴らしいし、山響の演奏も素晴らしい。初めて耳にする20世紀に作曲された曲で、これほど魅力的に感じられるのもあまり例がないことです。どうやら、大阪「さくらんぼコンサート」も同一プログラムでの公演になるようですが、関西在住の皆さん、6月26日(土)のザ・シンフォニーホールは要注目の演奏会ですよ!

聴衆のすごい拍手に応えて、ソリストがアンコールを。梶谷修編曲による山田耕作「赤とんぼ」です。これがまた、実に詩情豊かな音楽と演奏で、中高年は思わず胸が溢れるような思いがいたしました。



ここで20分の休憩。
後半は、第3曲めのモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」。楽器編成は 8-7-5-5-3 の弦楽5部に、Fl(2), Ob(2), Fg(2), Hrn(2), Tp(2), Timp. というもので、Tp と Hrn はナチュラルタイプのようで、ティンパニはバロックティンパニです。個人的に注目したのは、クラリネットが含まれないこと。そうなのか。40番はクラリネットの入った改訂版があるけれど、クラリネットという楽器の進歩と普及はいつ頃なのだろう? このあたりは、実演ならではの発見でしょう。
第1楽章:アダージョ〜アレグロ、ここのテンポが変わるところの接続もごく自然にスムーズに、音楽の呼吸は途切れずに連続しているように感じられます。やっぱり山響のモーツァルトはいいなあ。第2楽章:アンダンテ。転調によりやや不安げな要素を持ちながらも、全体としては穏やかでやわらかな音楽です。第3楽章:プレスト。いきいきとした音楽。弦楽の中で管楽器が活躍しそれぞれの響きをきかせます。例えば Hrn - Fg, Ob, Fl - Tp, そして Timp. という具合。特に小鳥が歌うようなフルートが印象的。

今回も、良い演奏会でした。若いシューベルトの交響曲やモーツァルトの後期三部作でない充実した交響曲の中にブリテンの「左手」を組み合わせたプログラムは、少々マニアックなのだけれど後に満足感が残るもので、こういうのもいいなあ。

もう一つ、添付のチラシの中に、宮本亜門演出の二期会オペラ公演、モーツァルト「魔笛」が入っていました。10月9日(土)14時から、やまぎん県民ホールにて。これはぜひ聴いてみたいものです。

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父の日に届いたもの

2021年06月20日 06時00分40秒 | 季節と行事
父の日の日曜日、夜に玄関で「ピンポーン!」の音。昨冬に二匹の老猫母娘を亡くしてペットロス中の妻は、テレビの猫番組に釘付けで動く気配がありません。デスクを離れて受け取りに出ましたら、娘夫婦が送ってくれた「父の日」のプレゼントでした。




中身は「山梨の白ワイン」「パスタ三種」「お菓子」「調味料ハリッサ」などの詰め合わせでした。ワインとパスタはありがたい。お菓子と調味料等は初めての物ですので、おやつタイムや料理に試してみましょう。




昨日の雨で、畑はだいぶ助かっているようです。サニーレタスやブロッコリーは毎日のように使っていますし、ナス、キュウリ、ズッキーニ等は少しずつ収穫できるようになりました。遅く植えたジャガイモもようやく花が咲き始め、ホッとしたところです。問題は、サクランボ果樹園の管理作業に力を取られて放置しているサトイモ畑です。さて、どうなっているのか、考えるのもオソロシイ(^o^)/

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1日を2日分に暮らしていた亡父の生活スタイルは賢明だった

2021年06月19日 06時01分28秒 | Weblog
晴耕雨読という言葉があります。引退後の理想の生活として、退職の挨拶状などには多用されるものです。実際、現職の頃は理想の生活スタイルに思えたものでした。ただし、フルタイムの仕事を離れ、実際に晴耕雨読の生活が可能な身分になると、現実との食い違いが見えてきます。つまり、晴耕雨読という言葉を唱えた昔の人は、概ね50代から60歳くらいでこうした生活に入ったのだろう、ということです。ということは、体力的にもまだまだ頑張りがきく年代ですから、晴れた日には終日畑を耕し、雨の日には終日書に親しむということが可能だったのかもしれません。ところが、70歳を目前にした今、終日畑を耕すと翌日には確実に体が言うことを聞かない、終日書を読むほどの気力・根気が続かない、目が疲れてごろりと横になりたくなる、というのが現実です。

思い出すのは、昭和20年8月に広島で救援に入り、爆心地から2.2kmほどの距離でテント生活を余儀なくされ、入市被曝による原爆症に悩まされた父の晩年の姿です。朝、涼しいうちに農作業に従事し、ゆっくり昼寝をして体を休め、午後、風が出てきて涼しくなってきた頃に読みかけの本の続きを読む、という生活です。昼寝によって1日を二分し、まるで2日分のように過ごすと、体力的にも気力の面でも持続可能な、賢明な生活スタイルだったと思い出します。もしかしたら、あの生活スタイルならば、私もまだ無理なく晴耕雨読に準じた生活を送ることが可能なのではなかろうか。例えば晴れた午前には畑を耕し、午睡の後には書に親しむ。雨の午前に音楽を聴き、午睡の後には料理をする。1日に1つの仕事とは限らない。1日を2日分に分けて暮せばよいのかも。

※写真は、もぎ残しのサクランボ。

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こんどの山響定期はシューベルト、ブリテン、モーツァルトで

2021年06月18日 06時00分10秒 | クラシック音楽
こんどの週末は、山響こと山形交響楽団(*1)の第294回定期演奏会の予定です。今回のプログラムは、

心に届く旋律美が彩る一夜・・・巨匠 舘野泉が ”いま、最も弾きたい曲” ブリテンの傑作とともに

ということで、

  1. シューベルト:交響曲 第3番 ニ長調 D.200
  2. ブリテン:左手のピアノと管弦楽のための主題と変奏「ディヴァージョンズ」作品21
  3. モーツァルト:交響曲 第38番 ニ長調「プラハ」K.504
       阪哲朗 指揮 山形交響楽団、舘野泉(Pf)

というプログラムになっています。楽団ホームページでは、今回の定期演奏会の予告として、

84歳の巨匠舘野泉。コロナ禍を経て、待望の山響定期登場となる。ブリテンが、第2次大戦の不安の渦中で創造した左手のための傑作。2019年の常任指揮者就任以来、呼吸感あるフレージングや自由な遊び心を山響にもたらしている阪哲朗。郷愁を誘うような歌に溢れたシューベルト初期の傑作と、モーツァルトで旋律美を描く。

としていますが、若いシューベルトが当時流行していたロッシーニ風の快活な音楽を取り入れたシンフォニー(*2)やモーツァルトの「プラハ」交響曲を、しなやかで弾むような音楽を得意とするように感じる阪さんが指揮するのは、とても楽しみ。それに、舘野泉さんによるブリテンの「左手」協奏曲は今年のプログラム中でも期待が大きいものの一つです。

定期演奏会まであとわずかな日数ですが、土曜日には雨の予報もあり、残りのサクランボをせっせと収穫して出荷しましょう。目指せ、出荷数量:昨年の五割!

(*1):山形交響楽団ホームページ
(*2):スウィトナーの指揮でシューベルト「交響曲第3番」を聴く〜「電網郊外散歩道」2009年6月

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田舎の小規模自治体ほどワクチン接種が早い理由

2021年06月17日 06時01分43秒 | 健康
我が家のサクランボ収穫の助っ人を毎年お願いしている雇い人の皆さんに、新型コロナのワクチン接種は済んでいるかどうかを尋ねてみたところ、65歳以上の人たちは皆さんすでに2回の接種を完了しているのだそうです。当地はまだ1回めで、私は7月初旬に2回めを予定しているところで、同じ県内とは言え同地の自治体の素早い仕事ぶりに驚かされています。

よくよく話を聞いてみると、役場から地域ごとに接種日時を示して通知され、バスが迎えに来て接種会場に向かう集団接種方式とのこと。その日に都合が悪い人は希望の日時を調整することになりますが、多くの人はなんとか都合をつけて接種を終えたとのことでした。人口減少地域でもあり、接種をする医師の人数も限られていることから、都会のような一人ひとりの希望を調整する方式が主流にはならなかったようですが、考えてみれば集団検診も同様のやり方であり、高齢者にとってはおなじみの方式だったのかもしれません。

役所のお役人も、高倍率の公務員試験を突破した有能な人が多く、なんでもこなすマルチタレントが多いようです。また、住民たちの方も、あまりむずかしいことを言わないで決まったことには従うという地域性もあるのかもしれません。通常はこうした特性は「田舎の閉鎖性」の象徴のように言われることが多いように思いますが、パンデミックへの対応ということを考えると、逆に大都市部の「遅さ・難しさ」を感じてしまいます。機動力に関しては田舎のほうが優れている、どうやらそういう面もありそうです。

(※:写真は数日前に撮影したもので、亡父が愛したピンクのシャクヤクです。)
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【業務連絡】サクランボを順次発送中。

2021年06月16日 06時01分04秒 | 週末農業・定年農業
6月も中旬に入り、サクランボの収穫作業も佳境に入ってきました。今年は、2つある園地のうち1つは老木が野ネズミ被害や大雪で倒壊するなど、ほぼ全滅。当然のことながら、収量は半減の見通しです。さらに4月の霜のせいで花芽が凍死する被害(*1,2)があり、我が家の場合、全体としては ×0.5×0.8=0.4、昨年の4割強の収穫になる見通しです。さらに予定外、予想できなかったのは、全県的に収量が減少する中で野鳥は被害の少ない地域の露地物サクランボに集中して群がるようで、真っ赤な実ほど野鳥の食害を受けています。猛禽類を模したカイトを立てるなど、いくつか対策しましたが効果はわずかで、腹立つなあ(^o^;)>poripori

それでも、収穫と出荷は待ったなし。収穫の減少を見越して、パッケージの変更を行ったのが功を奏して、なんとか無駄なくスムーズに作業は進行中。こんどの新パッケージはこんなふうなものです。



1パック(200g入りが基本)に220〜230gを詰めて、4パックまたは8パックで1箱とし、順次発送中。ご近所・親戚・友人におすそ分けするには便利かも。8パックの場合、箱が幅広になるためか送料が少し割高になるようですが、その分お値段を下げたので、現在のところ市場出荷価格(*3)を下回る状態になっているようで、かなりオトクな産直になっています。まあ、毎年のことですので長い目で見ると平均してトントンになるでしょう。ここ数日以内に到着することと思います。

(*1): 霜被害深刻で記録的不作予想のサクランボ現状取材〜山形テレビ東日本各地で凍霜害・雌しべ枯死広範:山形〜日本農業新聞 〜いずれもYahoo!ニュースより
(*2): さくらんぼ収穫量減少でギフトにも影響・霜被害や天候不順で〜6月8日付NHKニュース
(*3): 参考までに、Lサイズの佐藤錦「秀」品の場合、6月10日ころに200gパック1個700円(8パック1箱で5,600円)、6月15日現在で550円(8パック1箱で4,400円)くらいだそうです。

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