事のなりゆき

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29年目の夏・・・番外編7話(新潟県を支えるOB)

2012-08-29 11:05:29 | Weblog
大學での野球部進学が近年では当たり前になってきた。むしろ大學で野球をやりたいから明訓や文理、中越等の野球部を選ぶという選手も珍しくない。先駆者は数少ないが、優秀な人はいる。全国的に有名なのは、今NHKのニュースキャスターを務めている大越健介さんだ。新潟高校から東大文学部、右のアンダースローのピッチャーとして活躍し、東大野球部としては珍しく、ベストナインに選ばれている。早稲田大学で活躍した大渕隆さんもベストナインに選ばれている。大渕さんは一度紹介した土田先生の教え子だが、十日町高校から早稲田大学に進学し、ベストナインに選ばれIBMに就職、一旦は新潟県の教職員になったものの、その後日ハムのスカウトに転職、今は部長を務めている。プロ野球の経験のないスカウトは珍しい。小生が知る限りではこの二人だがりっぱな経歴の持ち主だ。
 近年では明訓、文理に限らずに大学の野球部に進学して一つの上のクラスでがんばっている球児は少なくない。こうした現象は単なる一個人が大學に進学している、という話ではなくネットワーク作りに非常に役立つということがポイントになる。今の大學で活躍している生徒たちがいずれ何人かが指導者として新潟県に戻ってくる。そして全国に野球人ネットワークを持った指導者としてグランドに立つことができる。野球の幅も人間としての幅も広げられることはまちがない。明訓の佐藤和也氏も積極的に県外でも練習試合を行い、野球の幅を広げてきた。佐藤氏は日体大で培ったネットワークを持っている。また文理の大井監督は早大で培ったネットワークを持って、練習試合も行なっている。選手が育ってくれば監督の枠を超えてもっと選手たちは様々なところへ羽ばたいていく。阪長の立教主将もそうかもしれない。明訓、立教という道筋をつけたのも阪長が先鞭をつけた。そして高校は別でも新潟県出身ということで、県つながりで先輩後輩という立場から面倒を見たりしている現状もある。あの甲子園決勝を沸かせた文理ナインで2年生だった高橋準之助は今明治大學でがんばっている。今年同じ文理から当時1年生だった湯本翔太が明治大学に進学した。なかなか明治大學でやるのは大変だが、先輩が1人いればなにかと相談にも乗ってあげられるし、初めての東京暮らしというハンディも乗り越えられる。
 異色もいる。その準優勝メンバーでショートを守っていた主将の中村大地は駒沢大學でマネジャーに転身をしている。一度電話で話す機会があった。小生てっきり野球ではついていけないために、プレーヤーからマネジャーに転身したのかと思った。話を聞いてみるとマネジャーの仕事にあこがれていたらしく、入部後すぐに監督に申し出てマネジャーになったと話していた。マネジャーの仕事は極めて多岐に渡り、リーグの運営などにも携わる。4年生になり主務となれば監督、部長の次のポストでチームのナンバースリー。チーム運営など経営に参画する重要な仕事が任される。主将は試合や選手を管理するが、主務はリーグや野球部そのものを管理する役目を追う。過去には長岡高校出身の三本氏が早大の主務をやったことがある。
 青森、北海道、秋田、山形は県外出身者をスカウトしてその地の野球を変えてきた。それは悪いことではないと思っている。三沢高校で準優勝した大田幸司氏は青森に多くの優秀な指導者が来るようになって野球が変わった。うれしい限りだと歓迎している。新潟県内にも県外出身者が来て、がんばっている。しかし新潟の場合は上記のような地域とちがって自らが大學などで学んだ野球を指導者として高校球児に学ばせている。積極的に大学進学をしてそこで学んだことを新潟県の球児たちにも教えることで、もっと強いチーム作り、もっと才能を見出せる指導者が出てくると確信する。

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