気ままな日々を 思いつくままに

旅の様子や
今日の庭
思いついたことなどを
気ままに 気楽に綴ります

バラの手入れ

2006-07-31 23:11:16 | 我が家の庭
一応庭の手入れが済んで、ほっとしたのもつかの間、今朝庭に出てみると、一番メインのバラの葉が、黄色くなり黒い斑点が生じていた。昨日 屋上で園芸の人に、バラは大変だよ・・・ と言われたことが早速現実になっている。とりあえず小型の薬剤散布の用具を利用して、薬剤を1リットル作り散布する。先日散布したときにはこれほど酷くなく、少しでも斑点のある葉は全て落としたと思っていただけに、ショックでした。何処に落とし穴があったのでしょう。今年は全てが経験です何をすればバラが元気になるのか、きれいな花が咲くのか、果たして何時咲くのが本当なのか、勉強と実践だと言われたばかりです。大変なものに手を出した想いが少しありますが、何のこれしき、結婚していることを考えれば、物の数でもありますまい。・・・・どこかで、バラの手入れなぞ簡単よ!あなたの世話をする、わたしのほうがもっと、もっと大変よ! などと言う声が聞こえる気がしますが、これは無視しましょう・・・・ 
バラに話を戻しましょう。どうもよくわからないことがあります。花がどんどん咲くものと。一度咲いてしまうと、次のつぼみが付いてこないものとあることです。これが一季咲きと、四季咲きの違いなのでしょうか。それにしては納得できないのは花の寿命というか、咲いている長さは次々につぼみが付くバラの花も、一度しか咲かないバラの花も、しぼんでしまう期間に違いが無いことです。一度しか咲かないのなら、せめて一ヶ月くらいは満開の素晴らしい状態を続けて欲しい所です。
3度目の花が目の前にあるのはやや小ぶりの黄金色のバラと、やはり小ぶりですが白の花です。さらに期待しているのは、ビロードのような朱色の花が咲くかも知れないということです。もしもう一度咲いたら必ずここにアップします。期待しないで時々見ていてください。
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首都高雑感

2006-07-30 23:39:08 | 生活の中で
車で日本橋まで出かけた。勿論助手席です。このところ車で出かけると渋滞に巻き込まれることが多かったが、今日はほぼスムースに到着した。途中気になったことが有る。今まで飯田橋の出口を含め、左側の走行車線の方が、比較的流れが良かったのだが、ここ3回くらいは連続して右側の車線の方の流れが良いような気がする。環状道路も4号線のあたりまで混雑や渋滞が表示されているにも係らず、右側車線の方が流れが良いのはなぜか、よく理解できません。先日鎌倉まで行ったときは、何と竹橋まで我が家から2時間の掛かってしまいましたがそれでも、右側車線の方が流れが良いようでした。そのときは3連休の中日でしたが、3号線の、用賀まで渋滞にもかかわらずです・・・・ 
いつもの所に顔を出し、何時もの人達と挨拶をしたが、会いに行った人とは会うことは出来なかった。まあ皆の顔が見られたことをよしとするか・・・・
屋上に上がり、園芸売り場に寄る。今の興味はバラ・・・ 端境期なので苗はそれほど置かれていない。それでもミニバラ系の苗や、オールドローズ系の苗は置かれている。しかし今日は周囲に植えられているバラをどんな風に処理しているかが関心の的だ。バラ園などと違い、やはり病気にかかっている株もある。条件の悪いところに植わっている株は園芸の専門家が手入れをしていてもなかなか難しいところがあるのだろう。難しさを再確認に行ったような按配であった。
帰りもすいていて、日本橋から45分で帰り着いた。
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気持ちのゆとり

2006-07-29 09:37:53 | 生活の中で
一週間ぶりの稽古に参加して、今日は体のあちらこちらが、ギスギスしている。
もし本部道場の暑中稽古に参加していたら今日までの予定で有った。我ながら、今回参加を見送ったのは正解だった。自分としては、14日で終ったアルバイトの疲れが抜けず、中止したのであったが、やはり自分は小心者なので有ろう。素直に、疲れたからためたとは言えず、むしろ暑中稽古に参加しなかったことによるメリットを、利用する毎日であった。何と言っても、庭の状態が改善されたことが大きい。昨日も草取りや枝落しをしで、たまったゴミ袋は9袋に達していた。さらに、今朝はバラへのうどんこ病用の薬剤と、庭の樹木への毛虫用の薬剤を、散布することが出来た。本来バラへの薬剤散布は2・3度やっていなければいけなかったのですが・・・・ それでもこの10日間半分くらいの時間を費やした甲斐はありました。気持ちにも少しゆとりを持てるようになりました。
今週は、日曜日の稽古も休みです。暫くぶりに大山へでも行くか、あるいは高尾山にでも行ってきましょうか・・・・・・
今回のことで改めて思い知ったことがあります。体には無理をさせてはいけない!体のゆとりがあって初めて、気持ちにもゆとりが出来ると言う事です。今更なんだといわれそうですが、6月・7月の総括がこんなことに為りました。気持ちを新たにして毎日を過ごして行きたいなと思うこの頃です。
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75歳に成ったても 塀を乗り越えているか

2006-07-27 17:32:21 | 我が家の庭
5日ぶりに、一応の庭仕事が終了した。一番大切なときに約2ヶ月も放置したあとだけに、大変な目にあったといえる。考えようによっては、自分が今必ず、しなければ成らない事は、いまや庭仕事しかないのだから、為さなければ為らない事が有ることだけ ある意味、幸せなのかもしれない。勿論一年間 ほっておけば、草は枯れ、元に戻ってしまうそこまで放置できる覚悟が有ればそれはそれで成り立つのだが・・・ 我が家ではどうしての隣家に剪定した枝などが落ちてしまうところが、一面ある。一方は道だし、生垣のある面は、むかし奥の家が使っていた水路跡で今は全く利用されていない。だからこんな都会地でも、この面は隣家と接していないのです。もう一方は我が家が何も植えていない。今日もピラカンが伸びているので、切り詰めました。当然隣家の敷地にも枝が落ちます。そこで塀を乗り越えて、落ちた枝を回収に行きます。当然のことです。塀には藤が絡まっているのでスムースに足が上がりません。少しばかり苦労して塀を乗り越え、落ちたピラカンの枝を回収しました。
終わってふと考えました。75才になっても、塀を乗り越えることが出来るだろうかと・・・・ こんなことを思ったのは初めてのことです。今まで塀を乗り越えることなぞ、全く眼中にありませんでした。ピラカンやシュロの手入れをすればそれが一部隣家の庭へ落ちるのは当然であり、それをとりに塀を乗り越えて掃除するのは当たり前だったからです。今回はややとり辛い所に落ちたので苦労したといえますが、まさか10年後にも塀が、乗り越えられるかどうかなぞ、考えもしませんでした。考えてみると、65歳の爺さんが塀を乗り越えていることも、決して見よいものではないでしょうが・・・・ こんなことを思ったのは、アルバイトへ行った時の31ショック・・・ 要するに昨年まで2・3人はいたはずの昭和11年生まれの人達が全く見えなくなっていたことに有ります。勿論正規の雇用ではなく、経験を買われて、週に何回か働いていたのでしょう。32年入店の人達には、何人かに会いましたし、元気に働いているようでした。まさか来年になったら全員が居なくなっていたなどということは無いよね・・・・ 自分の同期で亡くなった人も、会社・学生時代の同期を問わずもう10指を使わねばならないほどになっています。前後の世代を比べても、決して少ないほうではありません。しかしそれでも自分的には、人の寿命について、何も感じることはありませんでした。病気を持っている人が身の回りに居ても、若いときからあれこれ行っていたからとか、少し運が悪かった、位の感覚でした。 ところが75歳になった時に、この塀を乗り越えて枝を拾いに行けるだろうか??? 突然こんな問いかけを自分が自分自身に発していたのです。75歳までの10年間長い!! と感じました。初めてのことです。自分としては70歳までの目標はありました。70歳の時には合気道の帯の色を変えていると言う目標でした。ふと それ以降の目標が立てられていないことに、今日気付かされてしまいました。若いときと違い、全てに『今は』と言う言葉をつけなければ為りません。しかしそれを乗り越えるために何をしたら良いか、考えてみようと思います
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今年のブルーベリーは 不味い!!!

2006-07-26 23:17:59 | 我が家の庭
予定していた庭の草取りがやっと終わった。今日は天候が回復して急激に暑くなってきた。大雨の降った被災者の方々には申し訳ないことだが、今回の手入れは
従来通りの梅雨明けで有ったらとても実行できなかったろう。
庭を眺めていると、何時の間にか庭には花がなくなっている。先日まで5・6輪小さな白い花を咲かせていたタマホロシもすっかり散ってしまっている。アメリカジャスミンも咲き残りの一輪があるだけです。今年は紫式部の花が元気があるません。バラは一株だけあと一週間くらいで花が咲きそうです。確かこの株は真黄色の花が咲く株です。今度で3回目の花です。こんな元気な株に対してはどんな手入れをしておけばよいのでしょう。来年になったら駄目になっていたなんてことは絶対に避けたいです。どなたか教えてください
夕方になるとママが網戸を洗い始めた。晴れるのを虎視眈々と狙って居たらしい
明日は予定を変更して、朝から家の窓拭きです。窓のついでにサッシも洗っておくと、年末の大掃除が大変楽になります。これ 経験者の体験談です。
常の手入れがどれだけ大切かは、今回の庭の草取りでも嫌と言うほど思い知らされました。勿論作業効率が、若いときの半分くらいになっているのは確かでしょう。しかし そのためにこそ普段の手入れが大切だったのに・・・・
ところで今年のブルーベリーはまずい!!! これでは猫またぎならぬ、鳥飛び越しです。どうりで今年は普段より沢山の熟した実が落ちていると思った・・・・・
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立ち読みのスピード

2006-07-25 23:09:21 | 生活の中で
今朝はかなり曇ってはいるが、雨は降っていない。チャンス!! 途中で中断されている草取りを続けることにする。しかし草取りも今日で4日目、自分でも腹立たしいくらい、進行が遅い。勿論、一番大変なときに2ヶ月近く手入れをしていないのだから大変なのは分かるし、バラを植えたことによる、草の生える場所も増えていることもある。それにしてもね~~~~~~~~
夕方、いつもの日刊現代を買いに駅まで行く。我が家の周辺では駅へ行くのが、新聞を買ったり、コンビニへ寄る一番の近道なのです。東口の再開発ビルもその姿を現しつつあります。昨日の新聞では大丸が3800㎡の広さで食料品を出品することになったと伝えていた。家を出るとすぐ先に再開発ビルの鉄骨が見えている。感覚的には駅へ行く半分くらいの近さに再開発ビルがある様な気がする。最終的にはどうなるのか知らないが、以前の話だと、フィットネスクラブやシネマコンプレックス、市の中央図書館も入ると伝えられていたので楽しみにしているところです。
夕刊を買いに出たのは良いが、気がつくと小銭入れしか持っていない。小銭入れの中に500円玉はあったので、とりあえず日刊現代を買うのには支障はない。新聞を手に入れてから駅前の参考堂に入る。とりあえずPHPのパンフレットは190円だ。これなら買える。棚を物色していると、綾小路きみまろの4冊目の本が目に留まった。買えないので立ち読みを始める。昔はよく立ち読みしたよね。一冊読んでしまうのはなんでもなかった。よく本屋の親父にはたきを掛けられたものだった。それでもいったんは中断しても終いまで読んでしまったものだ。その癖が付いているから、図書館などでも、書棚の前でよく読んでいた。今日も30分くらい読んでいたか、4・50ページ読んでいたのだろう、ふと読んでいるページ数の少なさに愕然となった。本来こんな軽い本を読むのになぜこんなに時間が掛かるのだ?? そもそも立ち読みは精神を集中できるから、机で読むよりも早く読めるものなのです。それがなんと30分近く立ち読みしていて4・50ページだと!!!! 立ち読みでその本が半分も読めなかったと言って愕然とすることは、本屋さんにとっても、迷惑な話でしょうが、以前なら2日で出来た草取りが4日経っても終わらないことと合わせ、自分の能力に深刻な疑問を突きつけられた一日ではありました。
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不忠・不敬 靖国松平宮司 再び

2006-07-24 16:18:05 | メディアから
意図したわけではないが、昨日から完全な休日モードに入っている。本来は庭の手入れに、今日も行うはずであったが、起きてみると雨。さすがに、雨の中でもとは思わない。ひたすら新聞を読み、PCのメルマガを読み飛ばす。
近頃例の日経新聞のスクープ記事昭和天皇の合祀問題に対する世の中の反応が気に成ってしょうがない。ごまめがどんな歯軋りをしようと、大きな流れのなかで何の意味も持たないのは充分に理解はしている。しかしこの問題に関しては、なんとも納得できないことがあります。わたしは20日のBLOGで「不忠・不敬 靖国松平永芳宮司」なるタイトルで、なぜ一宮司の決定が30年間も覆らないのか、当時の、松平宮司を除名し、決定を無かったものとせよ! と主張しました。もちろんそんなことを主張する論調なぞ、何処にもありませんが、少なくとも筑波宮司と松平宮司の対応の差について語られているのを二つほど眼にすることが出来ました。一つは22日のパックインジャーナルで田岡氏が松平なる人物は、あの戦争中から奇行を辞ってしられ、戦時中は海軍で有ったにも係らず、戦後陸上自衛隊に入っていたこと。
さらには、自衛隊の内部においても、影響力のあるところ、実力を持つ所には、全く配属され無かったと・・・ さらに自分は22日に成ってから知ったのだが、21日の東京新聞 核心なる記事に松平宮司の係りについてのかなり長文の記事が掲載されていたらしい。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060721/mng_____kakushin000.shtml
全文はぜひ上記のサイトで読んでほしいが、46年から靖国神社の宮司を勤めた筑波宮司は、頑としてA級戦犯の合祀を認めなかった。松平宮司がそれを変えた。先の戦争を聖戦だと主張していた。さらにこの記事にはA級合祀に関して面白い事実が記載されている「A級戦犯の合祀は、旧陸軍の流れをくみ、元軍人が仕切った旧厚生省援護局(現厚生労働省社会・援護局)調査課が六六年、事務次官ら幹部に断りなくA級戦犯の名簿(祭神名票)を靖国神社に送ったことに始まる。これを受けて、東条英機内閣で大東亜相だった青木一男氏(故人)ら二人の元A級戦犯がリードする神社の総代会が七〇年に合祀の方針を決定した」
何処までも身内・身内の処理です。何でこんな一部の責任もない人達の決定が、皆を引きずるのか 物凄く疑問です。



 


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雑念あれこれ

2006-07-23 23:47:53 | 我が家の庭
暫く手入れを怠っていた庭の手入れを、遅まきながらぼちぼち始めた。まずはバラの周りの草取り。一ヶ月以上薬をまいていないので、病気が発生しているようだ。とりあえず雑草を抜き取り、斑点のついた葉を全て切り取る。一本などはまったく枝だけになってしまった。それに付けても、3月に植えた二本のつるバラは遂に一輪の花しか咲かず、元気もない。この2本は我が家の庭ではもっとも高価な苗だけに何か割り切れない気分。しかしバラって難しい。自分で勉強していない所為ではあるのだが、何をして良いか判らない。何も手入れをしていないような庭でも、我が家のバラより美しく咲いていたのはなぜだろう。梅雨が空ける前にもう一度薬剤をまいておこうと思っている。ブルーベリーは収穫の時を迎えているが今年はもっぱら、ヒヨドリたちが専門に収穫しているようだ。自分が庭の草取りに専念していても遠慮なく番いできて食べている。しかし食べ方が荒く、熟した実が沢山下に落ちている。見ているとブルーベリーの実は、細い枝についているので、ちゃんと、止まっては啄ばめないようなのです。藤は本来、今はつるを切ってはいけないといわれているが、あまりにも沢山無駄なつるが伸び、藤棚の下の日当たりが悪くなっている感じになってきたのでかなり間引いた。しかしそれでもかなりある・・・ 紫式部やアメリカジャスミンも大きくなりすぎてきたので摘める。
しかし、庭の花が減っているような気がするのはどうしたことだろう。PCのなかにでデジカメのデーターを保存し始めて4年目。最初の頃の方が写っている花が元気で、生き生きしています。自分の僻みでしょうか。
ここ一年の時間の使い方を反省してみると、とにかく知らないところに出かけて行くことが少なくなっているようです。このBLOGにしろ、合気道にしろ、そのことだけが、目的化してしまい、幅を広げることがおろそかになってしまっている・・・
もちろん、一つの事をより深く掘り下げてゆくことが、自分などの年齢にはふさわしいことなのでしょうが、残念ながら、今行っていることで、人に秀でると自慢できるものはありません。自分自身一つのことだけで満足を得るタイプでもなさそうです。何時までもじたばたとしているのが人生なのでしょう。
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プライスコレクション 「わたしの心遠館」

2006-07-22 21:45:48 | 展覧会から
昨日 稽古の前に、博物館に寄る 本当は、もう一度プライスコレクションを見るつもりで行ったのだけど、持っている友の会の券では特別展は一回しか入れないとの事なので、会場外で開催されている、 あなたならどう見る? ジャパニーズアートをじっくり見ることにする。このコーナーにはかなり厳選された3枚の屏風を始とする8点のコレクションが展示され、それぞれに作品解説と、プライス自身の言葉が添えられている。例えば最初に展示されている「松竹梅群鳥八十八寿之図」には明治末期に米寿を祝って書かれたという解説のほか、プライスによる、鳥が木に止まっているときには枝をしっかりとつかみ、飛んでいる鳥はその躍動感を見てほしいと書かれている。さらにイヤホンを付けると様々な鳥の声が流れてくる。ありきたりの祝い図のように、鳳凰とか孔雀ではなく、様々な小鳥を画面いっぱいに書き上げ、しかもその鳥が全てつがいで書かれていることにも気づかされる。暫く鳥の声を聞きながら絵の前にたたずんでいました。次の「虎図」においては、目や、手足が大きく表現されていることに関して、江戸時代国内に虎は居なかった。だから画家は想像で書く以外に無かった。ただ かろうじて虎の敷物はあった。それを見て書く場合、平らになめされた手足は大きく見え、さらに眼の部分も皮が縮むことにより、実際より大きくなる傾向にあるとプライスにより解説されていた。さらに「唐獅子図」においてはじゃれあう母子の獅子にせりふの吹き出しを用意して、絵から受ける印象を考えさせるような工夫もなされていた。「仏涅槃図」においては、博物館の持つ色々な涅槃図を示しながら、必ず書かれなければならない約束事を、示していた。次にくる「松に鶴図屏風」は六曲一双の屏風絵であるが、未完の作品である。図録の解説に寄ると、本図は現実の風景を再現しようとしたのではなく、遠方から飛来する鶴は画面に溶け込み、穏やかな波打ち際に、彩色されずに残った白描のままの松の大樹が・・・・・ それがここではこの絵を完成させたらどんな絵に成るだろうとの想像力を掻き立てている。様々な彩色を施したミニ絵を用意して見せているだけでなく、自分で色鉛筆を使って彩色させる試みも行っている。屏風と言えば六曲一双の酒呑童子図屏風も展示されている。ここでは源 頼光が酒呑童子の討伐を命じられたところから始まり、討伐して都に凱旋するまでを書いているが、その物語の見方や、見る場所の違いとか、高さの違いによる、画面の変化について、判りやすく解説しているだけでなく、屏風の左右に足型を書き実際に立たせたり、薄縁を敷いた縁台を用意し、立ったり座ったりして見る事を勧めている。
いずれにしても、単に作品を展示するのではなく、コレクターの想いまで伝えようとする姿勢には、感じるものがあった。 ましてその部分が、特別展とは別に特別料金の掛からないコーナーに置かれ、中学や高校の生徒を対象とした「夢の展示プランコンクール『私の心遠館』成るものを募集しているのに強く共感するものがあった。
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朝日新聞 見出しになぜ”?”を付ける

2006-07-21 09:15:13 | メディアから
今回の昭和天皇の発言をめぐる、朝日新聞の対応はおかしい。日経に抜かれて、夕刊で追いかけたことはこれはお互い様なことだからよしとするにしても、今朝の朝刊の記事はすごく偏った取り扱いをしている。一面右側に4段抜きの見出しが、
「昭和天皇の意中は?」とある。編集委員 岩井克己の署名入り記事で、前置きから始まり、本文にも昭和天皇のご意思を疑わせるようなことは、まったく書かれていない。本文の中に編集委員はA級戦犯合祀への昭和天皇の不快感については、複数の元側近から聞いていたと記し、さらに「陛下は合祀を聞くと即座に『今後は参拝しない』とのご意向を示された」 「陛下がお怒りになったため参拝が無くなった。合祀を決断した人は大ばか者」なかでも徳川義寛元侍従長の証言は詳細で具体的だったとある。ここに書かれている事は昭和天皇の意思が何処にあるか、一点の疑いも記事を書いた編集委員は持っていない。然るに紙面においては大きな”?”をつけしかも、左下には3段抜きで「首相、参拝への影響否定」と取り上げている
さらに第2社会面では、メモに対する否定的な意見をメインに紙面が構成されている。やはり4段抜きの「戦争責任・慰霊 議論に熱」の見出しのなか、コメントも物凄く偏った取り上げ方をして、しかも、メモが「A級が合祀されたから、靖国へ行かない」と述べているにも係らず、何時の間にか天皇の戦争責任へ問題をすり替え、昭和天皇の石意思を軽く見せようとしている。朝日新聞の近頃の問題の立て方にはかねがね疑問を持ってきましたが、その手口はこのようなものだったのか、改めて判ったような気がします。少なくとも、今朝の日経紙面に見られるごとく、対象をもっと掘り下げてから論じなければならないことが、多くあるのではありませんか
いったい朝日新聞は何処を向いているのでしょう。 まさかとは思いますが、小泉官邸だけが朝日新聞のよりどころ・・・ などということは無いですよね・・・・
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不敬・不忠 靖国松平永芳宮司

2006-07-20 15:57:52 | メディアから
今朝の日経は一面TOPから始まり、三面・社会面と昭和天皇の靖国神社への参拝中止に関して、昭和天皇御自身が語ったと言うメモが発見たと伝えている。このメモは当時の宮内庁長官であった富田 朝彦氏によるもので88年4月28日付けで手帳に貼り付けてあったと言う。記事を引用する「私(天皇)は、或る時に、戦犯が合祀され、その上、松岡、白取までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか易々と。松平は平和に強い考が あったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」
ここでもっとも問題なのは松平の子の今の宮司と表現されてい松平 永芳宮司
66年に厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀を差し止めた筑波宮司から、松平永芳宮司に代わると、78年遺族の了解をとらず、天皇の内意も確かめず、ひそかにA級戦犯を合祀してしまった。宮司が個人的にいかなる思想を持つのも自由であるが、本来宮司とは天皇に替わり神と対峙する役目ではないのか
宮司が天皇個人に対しいかなる感情を抱いていたか知る由も無いが、自己の考えを天皇の上に置き、靖国と言う天皇のために死んだ人を祭るところで、天皇に参拝させないようにする。自己の信念と称するもののために!! これ以上の不敬・不忠はありえない。
なぜ靖国神社は、このような不敬・不忠を許すのか。今からでも松平永芳を除名し状況を78年以前に戻すべきではないのか。それとも靖国神社としては、天皇陛下のお気持ちなぞどうでも良いことなのであろうか・・・ ちなみに今上天皇陛下に於かれては、ご即位いらい一度も靖国神社を参拝されていない
靖国神社は天皇陛下なぞ係り無いのか あの薄汚れた小泉が来ればそれで良いのか知りたい・・・・・・
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こころの健康学 「できない自分」 

2006-07-19 13:33:21 | メディアから
18日の日経夕刊 「こころの健康学」なるコラムがあった。
「できない自分」 「無理せず、等身大を大事に」 とのタイトルが付けられている。自分では今まで、殆んど関心が無い処なので、連載されているものか、あるいは単発で掲載されているものか知らない。ふとタイトルに引かれて読むとここ10日間ほど自分を悩ませていた問題の回答が出ているような気がした。
少し長くなるが引用させていただく「精神科を受診する患者さんのなかには、少し力を抜いたり休んだりしてはどうかと勧めてもなかなか納得しない人が多い。肉体的にはもちろん精神的にも疲れ果てているのに、その現実に眼を向けようとしない。 自分でもうすうすは休んだ方が良いと感じていることが少なくない。しかしそれを自分から認めることはどうしてもできない。 無理をして仕事を続けることに自信が無くなっているから、逆に何でもできると思わないと不安になってしまい、できないことのある自分を認められなくなっているのだろう。『できないことがある自分』を『まったく何もできない自分』であるかのように感じてしまう。
現実にはいろいろなことができている。しかし自信を失うと『できた自分』はこころの中からきえてしまう。何かひとつでもできないことがあっただけで、何もできないダメな人間のように思ってしまうことになる。 少しくらいつらくても、可能な限り力を出すことは大事だ。何でも完ぺきにできるわけではない。できることとできないことのある等身大の自分を大切にすることで、本当の自分の力を発揮できるようになるはずだ。」 慶應義塾大学保健管理センター教授  大野 裕
なる文章でした。最近になって というか、現役を離れてから、あれもやりたい、これもしたい。と言うことで色々なことを始めました。今一番はまっているのは、64歳直前から始めた合気道です。しかしどうも自分は一般の人よりも、運動能力が劣っていることが、眼に見えて判ってきました。しかも年齢によるものなのか、基礎的な能力の問題なのか、何かしたときの疲れを回復するのに、多くの時間がかかります。それやこれやで、いささか自信をなくしている中、10日間の書中稽古の開始が迫っていたのです。寒稽古に参加できたのだから・・・・という思いは今でもありますが、ここは参加を止めましょう。どうしても無理な感じがします。大野教授の言うとおり「できないことのある自分」は「まったく何もできない自分」ではないのですから・・・・・
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国立博物館 若冲と江戸絵画展

2006-07-17 16:11:33 | 展覧会から
国立博物館で開かれている「若冲と江戸絵画」なる特別展を、いつものメンバー、見に行った。しかし今回ほどテーマを誤解して見に行ったことは無い。何か自分の中に違和感が残り、通常なら見てきたその日にBLOGに何でも良いから書いてしまうのに、これをどうまとめたらよいのか判らなかった。何度も書き直しをしたが、後で述べるようにもういちど行って見なければとの結論となった。自分は若冲を見に行ったつもりであった。もちろん若冲は今回の特別展の中心であり、見ごたえのある作品が、こんなに集められているのは始めてみたといってよい。だから、若冲の物ではない作品群を飛ばして、と言ったら大げさだが、ろくに見なかったような気がする。ところが、自分たちが見に行った13日の朝日新聞の夕刊「美・博 ピックアップ」なる展覧会を紹介する記事の始めにこの特別展の紹介が乗っていた。それにかこうある 米国人が発見した江戸 「プライスコレクション 若冲と江戸絵画展」  要するにプライスなるアメリカ人のコレクターが30年前から自分の感性だけに任せて収集した江戸絵画のコレクションなのだと・・・
たまたま 若冲がその中心にいただけで、プライス氏の糸は別にあったのだと・・図録を買ってきて読んでも、本人のコレクションに対するコメントを見ても、氏自身の感性が全てであり、自分の見方がまったく間違えていたことを、思い知りました。しかし、たった30年でこれだけの収集ができることは素晴らしいことですね日本人でも美術の収集家は沢山いるでしょうが、30年でこれだけのものを収集できた人は、殆んど居ないのではないでしょうか。しかもコレクションを、積極的に日本に紹介している・・・ 朝日新聞の紹介によれば収集品は600点に及び、今回出展されているのは若冲を中心に、応挙や芦雪など101点との事である。
何かすごい忘れ物をしてきたような気がしてしょうがない。もういちど会期中に出かけてみよう
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高校生の稽古

2006-07-16 21:59:06 | 合気道
久し振りに日曜日の、同好会の稽古に復帰した。一月ぶり位になっている。
行ってみると、高校生の新しいメンバーも増え、人数が増えている感じがする。
高校生の稽古振りを見ていると、殆んど始めてのようで、構えもぎこちなく、無駄な力がいっぱい入っている。自分がその段階をつい最近通りすぎただけに、他人のことは良くわかります。しかし、若いことは何物にもかえがたいですね、できない事でも、一度教えられると、すぐに自分の物にしてしまいます。これが自分などが行っている稽古と、稽古の質が違っている現われでしょう。同好会の稽古は2時間ですが今日は最初の一時間過ぎた頃、腰にやばい信号が出てきたので、その後をパスさせてもらいました。同年代の人がどんどん進んでゆくのを見るのは、ある意味大変つらいのですが、自分自身の実力を客観的に示されるわけですから、それもやむを得ないかな・・・ という心境になっています。
自分にとっての問題は、稽古から帰って食事をして、昼寝をしていると、一日がすぐに過ぎ去ってしまうことです。もう少し稽古に行く前の時間を有効に活用できるようにしなければ・・・・・・・
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お墓参りとメンテ

2006-07-15 23:02:19 | 生活の中で
やっとアルバイトが終わったが、それで全てから開放された訳では無かった様だ。
3日間連続してイベントが続き、少し紹興酒の量も(なんと3回とも中華料理)多かった。
昨夜帰ると突然、明日は4時起きで、5時には出ます・・・ そうか、お盆の季節なんだ。一般的には8月15日の旧盆に行われることも多いが、世田谷では今日なんだ。とりあえず4時に起き出し、準備を進める。むかし八景に住んでいた時、お盆の時期には、下の道路が大混雑して、バスも時間通り来なかったことを思い出す。
少し遅れたが、6時には出発。高速道路の掲示板には竹橋まで80分と表示されたいる。 なんと竹橋JCを通過したのは、8時であった。携帯で先を見ると3号線も、東名も真っ赤になっている。今まで使わなかったけれど、1号線から、海岸沿いに、行くことにする。これが大正解で、朝比奈インターに1時間も掛からずに到着した。こちら側は全く混雑していない。 霊園の駐車場も沢山空きがある。
同じ区画にある50基くらいの墓のうち、花が供えられているのが10基位か。
草が生えている区画も1/3はありそうだ。我が家も大きく育ってしまった、スギナを取り、枝の伸びた植え込みを、思い切って刈り込む。一番小さな区画なのに、抜いたり刈り込んだものが大きなゴミ袋に、半分以上になっている。5・6基先の区画は、大変だろうな・・・ 何年も手入れされてないような・・・
一方で草一つ無く完全に整備されている区画もある。どうも特別契約で、管理を依頼している所らしい。契約によっては生花も備えてもらえるのだろうか。自分たちでお墓のメンテが出来るのならそれに越したことは無いが、完全に整備されたところに線香だけを手向けに行けばよいようにするのも有りかなとは思います。
今まで自分たちは、お盆の時は混雑するからと一週間程度は早めに来ていたので気がつきませんでしたが、霊園は拍子抜けするほど、混雑していませんでした。ところが、首都高や、高速道は3連休初日との事で大変な混雑をしています。
義姉に片道3時間掛かったと連絡したら、やはり霊園側が混雑して時間が掛かったと思っているようだったと、言っておりました。8月だともっと混むのでしょうかそれとも、墓参りの習慣そのものが、廃れてきているのでしょうか。今まであまり考えたこともありませんでしたが、お墓の整備まで含め考えさせられた一日でした。

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