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こころの健康学 「できない自分」 

2006-07-19 13:33:21 | メディアから
18日の日経夕刊 「こころの健康学」なるコラムがあった。
「できない自分」 「無理せず、等身大を大事に」 とのタイトルが付けられている。自分では今まで、殆んど関心が無い処なので、連載されているものか、あるいは単発で掲載されているものか知らない。ふとタイトルに引かれて読むとここ10日間ほど自分を悩ませていた問題の回答が出ているような気がした。
少し長くなるが引用させていただく「精神科を受診する患者さんのなかには、少し力を抜いたり休んだりしてはどうかと勧めてもなかなか納得しない人が多い。肉体的にはもちろん精神的にも疲れ果てているのに、その現実に眼を向けようとしない。 自分でもうすうすは休んだ方が良いと感じていることが少なくない。しかしそれを自分から認めることはどうしてもできない。 無理をして仕事を続けることに自信が無くなっているから、逆に何でもできると思わないと不安になってしまい、できないことのある自分を認められなくなっているのだろう。『できないことがある自分』を『まったく何もできない自分』であるかのように感じてしまう。
現実にはいろいろなことができている。しかし自信を失うと『できた自分』はこころの中からきえてしまう。何かひとつでもできないことがあっただけで、何もできないダメな人間のように思ってしまうことになる。 少しくらいつらくても、可能な限り力を出すことは大事だ。何でも完ぺきにできるわけではない。できることとできないことのある等身大の自分を大切にすることで、本当の自分の力を発揮できるようになるはずだ。」 慶應義塾大学保健管理センター教授  大野 裕
なる文章でした。最近になって というか、現役を離れてから、あれもやりたい、これもしたい。と言うことで色々なことを始めました。今一番はまっているのは、64歳直前から始めた合気道です。しかしどうも自分は一般の人よりも、運動能力が劣っていることが、眼に見えて判ってきました。しかも年齢によるものなのか、基礎的な能力の問題なのか、何かしたときの疲れを回復するのに、多くの時間がかかります。それやこれやで、いささか自信をなくしている中、10日間の書中稽古の開始が迫っていたのです。寒稽古に参加できたのだから・・・・という思いは今でもありますが、ここは参加を止めましょう。どうしても無理な感じがします。大野教授の言うとおり「できないことのある自分」は「まったく何もできない自分」ではないのですから・・・・・
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