気ままな日々を 思いつくままに

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不忠・不敬 靖国松平宮司 再び

2006-07-24 16:18:05 | メディアから
意図したわけではないが、昨日から完全な休日モードに入っている。本来は庭の手入れに、今日も行うはずであったが、起きてみると雨。さすがに、雨の中でもとは思わない。ひたすら新聞を読み、PCのメルマガを読み飛ばす。
近頃例の日経新聞のスクープ記事昭和天皇の合祀問題に対する世の中の反応が気に成ってしょうがない。ごまめがどんな歯軋りをしようと、大きな流れのなかで何の意味も持たないのは充分に理解はしている。しかしこの問題に関しては、なんとも納得できないことがあります。わたしは20日のBLOGで「不忠・不敬 靖国松平永芳宮司」なるタイトルで、なぜ一宮司の決定が30年間も覆らないのか、当時の、松平宮司を除名し、決定を無かったものとせよ! と主張しました。もちろんそんなことを主張する論調なぞ、何処にもありませんが、少なくとも筑波宮司と松平宮司の対応の差について語られているのを二つほど眼にすることが出来ました。一つは22日のパックインジャーナルで田岡氏が松平なる人物は、あの戦争中から奇行を辞ってしられ、戦時中は海軍で有ったにも係らず、戦後陸上自衛隊に入っていたこと。
さらには、自衛隊の内部においても、影響力のあるところ、実力を持つ所には、全く配属され無かったと・・・ さらに自分は22日に成ってから知ったのだが、21日の東京新聞 核心なる記事に松平宮司の係りについてのかなり長文の記事が掲載されていたらしい。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060721/mng_____kakushin000.shtml
全文はぜひ上記のサイトで読んでほしいが、46年から靖国神社の宮司を勤めた筑波宮司は、頑としてA級戦犯の合祀を認めなかった。松平宮司がそれを変えた。先の戦争を聖戦だと主張していた。さらにこの記事にはA級合祀に関して面白い事実が記載されている「A級戦犯の合祀は、旧陸軍の流れをくみ、元軍人が仕切った旧厚生省援護局(現厚生労働省社会・援護局)調査課が六六年、事務次官ら幹部に断りなくA級戦犯の名簿(祭神名票)を靖国神社に送ったことに始まる。これを受けて、東条英機内閣で大東亜相だった青木一男氏(故人)ら二人の元A級戦犯がリードする神社の総代会が七〇年に合祀の方針を決定した」
何処までも身内・身内の処理です。何でこんな一部の責任もない人達の決定が、皆を引きずるのか 物凄く疑問です。



 


コメント
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