内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

天動説と地動説

2020-05-30 20:58:08 | ビジネス境界線
ふと疑問に思いました

知識や常識は地動説ですが
天動説って間違ってないじゃないの?
というか
自分にとっては天動説の方が
正しいのじゃないか


宇宙において
上下左右
東西南北
動いている
止まっている
という概念はどうやらない
ということを理解してくると

天動説は当然に
唯一の真実ではないが
間違ってはいないものだという考えです


自分と同じ考えがないか
ネットで調べてみました

私はいつもネットを自分と同じ考えの人がいないか探すために使うようです


やはり同じ考えの
物理学者の記事に出会い嬉しく
なりました


勿論
「何を中心に回っているか」
という観点では
「太陽を中心として回っている」「ように見える」という意味での地動説が
正解ですが

「主体が地球なのか、そうでないのか」
という観点でのこの論争においては

「主体を地球」とおいた天動説は
別に間違っていない

主体なんて人間がいつだって自由に
決めることが出来るものだから



個人の生命におけば個人主義

国家におけばナショナリズム

民族におけば民族主義

経済システムにおけば、資本共産など

地球におけば地動説

惑星系におけば太陽系天動説


これが人間の世界観です




「一つの出来事に対する事実は
人間の数だけ無限に存在すること」

これは現実です


人間の認識という能力で
どんな基準でどこに境界線をしくか
それが人間にとっての「事実」
であります

その事実を認めることは
「その人間の認識を認めること」であり
認められた一人の人間の生命は
強く輝き始めます

理論上
全ての人間の事実を
認め合うことが出来れば
全ての人間は「生きる」ことが出来ます

現実には誰かの事実を否定しなければ
ぶつかった利害調整は難しく
社会がうまく回らないのですが










カウンセリングとコンサル

2020-05-25 21:54:35 | ビジネス境界線
カウンセリングは
(という言葉は好きではないが)

例えるなら

メガネしたまま
「メガネない」と言っている人に
「メガネかけてるじゃん」と言わずに
「メガネないですね」と言う

そして
「いつからないんですか?」
とか
「昨日たしかにここに置いたのに
翌日になくなっていたと。変ですね。」
とか言う

「奥さんがいつものとおり、すました顔であしらうけど、実際あいつが動かして
忘れてるんじゃないかって思うんですね」
とかも言う

「この人メガネかけているのに」
ってずっと思っているけど言わない

「メガネがなくて今何が困ってますか?」
とか
「奥さんはどうしてすました顔であしらうんでしょうね」
とか
そういう事は言う

そして
「自分がメガネをかけている自分だと気づく」
まで何週間何ヵ月何年でもそのやり取りが続く

気づいたことにたいしても
「実はずっとメガネかけてましたよ」
とは言わない

「メガネかけていることに気づいたんですね」と言う

そして
「そう言えば奥さんとはどうですか?」とかも言う






これがコンサルだとどうなるか

「メガネかけてますよ」
から始まり
「どうしてメガネが見つからなかったと思いますか?」
になり
「一般的なメガネの管理方法はこうです」「この方法なら少なくともこれだけ紛失のリスクのアベレージを下げることができるでしょう」
になり
「奥さんにもこのメカニズムを理解してもらって2人でこの方法を試せばより堅牢です」
「どうですか出来ますか」
となっていきます



どちらもいいところ悪いところが
ありますが

それを決定するのは
カウンセリングやコンサルを
受ける人の状態


自分のオリジナリティーが
弱まっている人には
カウンセリング

自分のオリジナリティーが
強く太い人には
コンサルティング


この押し引きがとても大事なのだと
思います


対象者の事実を主導に進めるのか

サポートを行う側の事実を主導に
進めるのか


いつでも見極める必要が
あると思います












大人の正体

2020-05-23 18:29:04 | ビジネス境界線
大人という言葉には
複数の意味を含んでいる

反対のものとして
子供という言葉があり
それに対応する大人のことである


大きな意味の一つとして
「社会の自分」がある

より社会的な自分が大きく強くなれば
それは「大人」になっている事を意味する


もう一つ思い当たるものが
時間軸の話

この現在
この要求に生きることは
子供であると言える

お腹が減った
これが食べたい
だからこれを買いにいく
料理して食べる

このシンプルな自分は子供である



でも

明日おかし食べたいかもしれない
だから備えて買っておこう

今は刺身食べたくないけど
私の事だから絶対何時間後には
食べたくなる
店は6時までしかやっていない

いま食べたくないけど
頑張って買いにいこう

この未来に備えて「頑張って」動く自分は
大人であると言える


「大人」の要素が多く要求される場面が
今の社会にはとても多い

「子供」の要素が充足できていれば
それは「がんばれる」のだが

ようは「バランス」

子供と大人のバランスもまた
一人一人のそれぞれの人間に
もともと合っている割合がある













老化の正体

2020-05-17 14:06:14 | ビジネス境界線
人間は社会的な生き物

生命と同じくらい社会も大事



私は社会から半年だけ離れました

それだけでも世の中の事が
分からなくなり
浦島太郎のような気持ちになりました


自分の年齢以上に年を感じ
皮膚から歯から髪から体臭から
全てにおいて
「とんでもなく死に近い」
感覚を味わいました


「自分が古い」という感覚は
社会と自分を比較しているときに
生まれます


圧倒的に機能的に動く人々

この先何年たっても
この人達と同じように動くことは
自分は出来ないのだろうという絶望

自分自身が
そう自分を定義付けることによって
それは加速していきました


私は心が壊れていたから
そういう経験をしましたが

これは通常の老いと
なんら変わりないのだろうと
少しだけ老人の気持ちに
なることができました


社会のことを知るには
テレビとインターネットだけ
社会のことは知っても
自分のことは教えてくれない

私の立ち位置を誰も教えてくれない

自分の立ち位置を
自分で明確に定義付けできるほど
生命の自分は育っていない


どれだけ自分が社会によって
作られている存在なのかを
知るのです


社会と老化する自分を知るきっかけは
社会の作る境界線
自分の脳の境界線
これがずれてくる事です

若者の境界線が理解できなくなれば
理解できなくなった集まり
すなわちおじさんの固まりの境界線の
中に生きるようになります

おじさんの境界線が理解できなくなれば
おじいさんの境界線集団に移行します


そして
誰とも境界線を共有できなくなると
社会全体から拒否されている存在と
感じるようになる

自分の境界線の成り立ち
すなわち昔話しかできなくなる


脳を柔軟にするということは
今ある社会の脳の認識境界線に
自分も合わせることができるということ


こういう人は何歳になっても
若いというような言われかたをする











ベテランと素人

2020-05-17 01:35:51 | ビジネス境界線
何がその違いなのでしょうか

何かに精通していること

何かに熟練していること

何かにおいてプロであること


色々な説明の仕方があると
思いますが

分解してみれば
「何か」という対象があり
「ベテラン」「精通」「熟練」「プロ」
なのです


この「何か」については
非常に曖昧にされがちな傾向があって

「音楽」のプロという言い方ひとつでも
楽器を作るプロ
楽器を奏でるプロ
演奏を束ねるプロ
楽譜を作るプロ
音を聞き分けるプロ
調律するプロ
楽曲をカテゴライズするプロ
曲を批評するプロ
音楽を集めて感情を動かすプロ
音楽を使った精神医療のプロ
演奏家の実力を引き出すプロ
プロモーションのプロ
歌詞のプロ
・・・

とんでもなくたくさんの「何か」
ことを含んだ言葉となっています



ではもう一つの
それぞれの「プロ」という言葉を
「ベテラン」「熟練」「精通」に
言い換えても問題ない

この語群は同じものを表している


これが何なのか


という話なのですが


一言で言って

「分類、認識、識別」が進んでいる

「脳を中心とした心身の状態の話」
であると私は思います


技術的に凄いものは間違いなく
それをこなす身体は

一般的な人の脳に比べ
識別認識分類「カテゴライズ」が
大きく細かく進んでいる
脳の状態の人から生み出されます

身体と密接に関わるものは
勿論「身体感覚を伴った体験」から
蓄積されるカテゴライズであり

身体感覚と切り離されたような分野では
学問や知識と自分の認知感覚の循環の
中でで生まれる
「身体感覚を伴わない体験」から
蓄積されるカテゴライズもあります


この2つの違いについては
今は触れませんが

どちらも脳の中に起こるカテゴライズ
であるということ

凡人と比べて
どれだけこの脳のシワ脳の境界線が
ひかれる分野
偏っているか


これがベテランと素人の差だと思います



例えば私は絶対音感まではないですが
どんな時でも「ド」の音程を
呼び起こす事ができます

なのでどんな音楽も時間をかければ
鳴っている音の音程と
ドの音程から何音階離れているかを
捕まえることができ
楽譜に起こすことができるし
ギターのチューニングも
自分の耳だけで1分もかからず
チューニングできます


また会計人なので
電卓やテンキーは当たり前のように
ブラインドタッチで
高速に打てるのですが


こういったことは凡人から
「凄い」という評価を貰えることが多い


でもちょっとその道を
本気でかじってきた人なら
これらのことがどうってことない
レベルであることはすぐに
わかるものです


それがどのくらい凄いことなのか


これを判別するには
同じ分野の脳のシワをもっていないと
判別できません



人事や採用という現場でも
その人の能力やキャリアを
正しく計量することは
はっきり言えば「無理」なことでしょう


企業活動においての全ての分野で
脳のシワを完全にもっている人など
いないからです


こうなると
人は何かにその判断を委ねます


この人がいいと言っているから
多分間違いない

この信頼性のある検査の結果だから
間違いない

このキャリアだったら間違いない

この顔なら間違いない

etc


とんでもなくいい加減な判断しか
出来ないのです

これはしょうがないこと


ベテラン素人というのは

個人個人の脳のカテゴライズ度の
事であり
それを他人が正しく判別することも
また不可能であるということです