内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

バカの正体

2022-07-23 10:23:00 | ビジネス境界線
大人は子供をバカと言う

経営者は従業員をバカと言う

国は国民をバカと言う


このバカの正体の事である

それは「主体の違い」である


人間は自分を何にでも変化させる

それを可能にしているのが自我だ

自我は主体を変化させ
視点を変化させる


大人とは
子供とは違う複数の主体を持つ人

経営者とは
サラリーマンとは違う
無法地帯でサバイバルする自我を持つ人

国とは
更に無秩序世界でのポジショニングが
基本となる主体


多くの人がスタートとする
生命の自我

いつしかそれは
複数の別の自我からバカと
呼ばれるようになる

たくさんの生命や
たくさんの土地や
たくさんの資源や
たくさんの権威

自我範囲にたくさん含まれるほど
その自我は偉い存在として認識される

その優越性の理由は
他人からの評価が元になるだろう

大きな世界
大きな主体
大きな視点
そういう自我は世間から評価される

自分の中での自我ランキングは
いつの間にかその評価の影響を受け
自分の持つ複数の自我に優劣をつける

そしてそのヒエラルキーは
人間社会へ還元され
バカという概念が登場する

相手をバカという人は
自分の中に内在するバカの自我を
対象相手に見いだしているのであり
自分自身の一部をバカにしている構図
が基本構造となる


主体が変わると
視点が変わる
事実が変わる

だから内在する複数の自我間では
どうしても事実が矛盾してしまう

これを手っ取り早く解決する方法は
「長いものに巻かれる」
ということであり

自分と社会の間では
自分<社会
社会のヒエラルキー適用

自分自身の内部でも
自分A(社会評価小)<自分B(社会評価大)
というヒエラルキーを適用

これで矛盾した事実の集合を
一つの事実へ「統治」する

これが世の中のほとんどで
適用される安易ながらも
便利な方法である


しかし
本来自分の中に
ヒエラルキーなんてものは
存在しない

無秩序のみ存在している

その無秩序から生まれた
自我同士の関係もまた
ヒエラルキーは存在しない

とはいっても
その無秩序を受け止めることは
とても難しい

しかし「統治」ではなく
「統合」を目指す方が
本来の姿への川上りとしては
正当なやり方だと思う


統合にはとても時間がかかるし
とても難解な問題が待っている

しかし
自分の中の統合こそ
バカという優越性
すなわちヒエラルキーからの脱却への
重要な方法なのだと思う