内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

TFPが効く人

2022-03-29 21:56:16 | ビジネス境界線
TFPというのがある

タッピングと呼ばれるもので

心理療法の一つだ


科学的根拠はないのだが
実践的に驚くような効果が
あるのは
自分で実証済みである


タッピングのメソッドは

①苦しみや辛さを感情の文章で表現する
②体の特定部分をとんとんする

こんなにシンプルだ



しかし
特に①が簡単ではない


そもそも悩んでいる人は
自分が何を悩んでいるかがわからなくて
問題が大きくなっているからだ


自分の感情を正確に自分に響くように
言葉にする
文章にする

というのは
実はこの前段階の問題をクリアしないと
なかなかできない

体と結び付いた言葉の表現力を
持っているかという問題もある
これはすなわち「音」である

音として体と結び付いた表現を
使わないと体には染みてこない


そして自分の悩みの中核の感情を
探り当てるのは
壊れているPCで内部のエラー箇所を
捜すようなもので
非常に難しい作業になる

だから支援者
すなわち壊れていないPCを接続して
他のPCの力も借りて
それを特定する必要がある



ともかくこの
①と②を同時期に行う
というのが
タッピングにおけるメソッドの全てで

これがうまくいくと

「すっと」

問題の感情が落ち着く
という効果が生まれるのだから
面白い



私の効果は「怒りの感情」だった

今まで感じたことのないくらいの
強い怒り

それを認識することも時間がかかった
そしてそれが誰に向けられたものだった
のかを詳細に解明することも時間が
かかった

しかしその感情は最早止めることが
出来ないほどの激しい憎悪と
なっていて
私は自分の生活が全く機能しない
レベルになっていた

その時に和良にもすがる思いで
家にたまたまあったタッピングを
試したのだ


ビックリするくらい怒りが
すっとなった不思議な感覚があった

その経験があったからこそ
このタッピングに対する信頼度は
とても強く
心療内科でもタッピングの先生に
信頼を寄せ
結果的にタッピングの部分では
ないかもしれないけど
大きな支援をもらった



ここで不思議なのは
このタッピングのメカニズムが
全くわからないのである

助けられた本にも
「根拠はないけど何故か効く謎の方法」
という紹介で
このメカニズムはずっと謎だった


しかし今日ついにその理由が
はっきりとわかってしまった




私は数ヶ月前から
「寂しさ」が強くなり
困っていた

その寂しさの原因や
自分での対処ができていないこと
他人に影響を与えていること
それにも気付き

自分自信でそれを引き受けるのだ
という気持ちが出来た


私は自分が母になり
自分の子供を育てる決意が出来た


ハグについて考えてみた

ハグは親しみの表れ

親しい人とハグしたくなる

これは男女関係とは違う
もっと広義の親しみだ


ハグをするときお互いが抱き付き合う
片方は脇の下に相手の腕が周り
片方は腕の周りに相手の腕が回る


子供が安心を感じやすいとしたら
それは前者であろう

子供やペットや小さなものを
親が持ち上げる時には
脇の下に手がまわるのだ


この脇の下のポイントは
強烈なトントンポイントの一つと
されている


母になった私は無意識に
ハグを想像し
子供の私にこの脇の下を
トントンしたのである


そしたら!

「すっと」

子供の寂しさが静まっていくのを
感じ驚いてしまった


自分一人でハグできるやん


この発見は驚いてしまった



つまりタッピングポイントというのは

母親のような最も安心できる状況を
今までの経験の中で体が感じることの
できる経験発症ポイントなのである



そしてその体がリラックスした状態で
自分に対して
「私は今こう感じている」
という感覚に刺さる音を使った
言葉や文章を口にに出すことで

その苦しい辛い体験を
体の芯で再体験し
・私の一部の感情に直接意識が向く
・今安全である

この2つによって
溜まっている嫌な記憶が
あめ玉のように溶けてなくなり
感情も派生しなくなる


そういう原理なのだ


タッピングの本にも
すごく効く人には一瞬で効いてしまう
これからも悩んだらすぐに解決できる
お手軽の方法である
しかし聴かない人には全く聴かない
効かない人はあきらめて


そういうただし書きが冒頭にあった

これは
このメカニズムの前提である
・安心を感じる要素が経験の中にあるか
・体と一体となった言葉を持っているか

この二点の差なのであろう

私は自分に効くやり方が
部分的だが何となくわかる

それは今までの人生の中で
安心を与える経験をさせてもらった事
自分に対して響く言葉を教えてもらった事
この恵まれた前提がある証でもある







タワマンと向き合ってみる

2022-03-22 21:59:14 | ビジネス境界線
何が良いのか全くわからん

それではただの批判になってしまうので
じっくりいいところを味わってみた

勉強した

①利便性
②眺望
③セキュリティ
④おまけ施設
⑤ステータス=資産価値

これがタワマンの全てであると
確信していえるようになった


①利便性

これはタワマンを中心に
都市計画をするのだから
便利になる

ある大手ディベロッパーが言っていたが
タワマン計画の際には
タワマン中心に地図上で
コンパスをぐるりとし
その半径内に商業施設を
乱立させるという
シンプルかつパワフルな計画を
一気に進めるのだと言う

利便性とは
言い換えれば「仕事にとって」の
利便性である

私は
タワマン=サラリーマンの鏡
だと思っているが
あながち外れてはいないと思う


②眺望

これは高所恐怖症な私からすれば
これだけでアウトだが
下を見るのと遠くを見るのとでは
違うのは私でもわかる

高い所からの見晴らしで
感動するのはよく理解できる
大きな要素だと理解できる


③セキュリティ

一番納得がいく理由はこれである
大きな組織の社長さんとか
世の中に暗躍されているかたとか
この要素はとても大きな要素だろう

常に受け付けに人がいるだけで
全くセキュリティの重みが違う

これは立場が立場の方にとって
一番優秀な要素だと思う

④おまけ施設

これは間違いなく蛇足である
いらない

しかし購入前は何故かこのおまけが
輝いて見えるらしい
絶対に生活に必要なく不要になるNo.1


⑤ステータス=資産価値

最後に堂々と立ちはだかるこの要素
確かに高く売れるだろう

そしてより多くの人から
クラスが上感を感じる事が
できるであろう


しかしこの要素こそが最大の
タワマン買う人と買わない人との
決定的な違いだと思う


ステータスというのは社会基準である
自分のすみやすさは関係なく
自分以外の平均的な利点のことを言う

だからこそ高く値がつきやすく売れる


どんなものをどんな意味で買っても
勿論良いのだが
殊更これは「自分の家」という
自分の中心核の砦である

その評価を他人の方に明け渡して
しまうという価値観

これがタワマン買うヒトの正体だと思う

悪い意味ではなく

自分自身の拘りが社会全体と
あまり解離がないという事である

だからそこに住めるし
社会ステータスを
棲みかにそれを適応することも
可能なのだ


これはサラリーマンという職業に
たいしても似たような事がいえる

大多数を占めるサラリーマン社会との
解離が少なければ
サラリーマン社会に合わせることが
できるのだ


ただそれだけである


どうしても大多数との解離が激しく
そういうものに乗っかることで
自分を激しく傷つけてしまうヒトは
タワマンなんて考えたこともない

自分を守る事で精一杯である
自分を表現することで精一杯である
他人の価値観に合わせてなんて
いられない



境界の曖昧な世界

2022-03-22 20:37:16 | ビジネス境界線
人の成長

少しずつ世界が広がっていく

何が広がっているかといえば
それは自我が広がっている

生活体としての成長と
自我はそれをとらえて
連動する事を試みる

だから生活体の成長と
同じイメージをもって
人間は自我の成長を進めていく

それが基本的なイメージだが
それぞれの成長は基本的に違う構造だ


自我の成長というのは
「境界線の曖昧さ」
というキーがある

自我が成長しているとき
それは広がっているのだが
広がっている外枠が
実に曖昧であることが大事な事である


どんどん自分が広がる
すなわち何かに興味を抱き
途方もない際限のないある方向に
目を向けること


海の向こうはどうなっているのか
毎日新しいことの連続で
楽しさが永遠に続くのではないか

あらゆる分野で
際限のない興味が止まることなく
進んでいく

それは外側を定義するものが
一切ない状態であるといえる


そんな状態に人間は
はちきれんばかりの興奮を伴った
興奮やワクワク感を感じる

それは言うなれば「生きる力」として
誰にとっても分かりやすく感じる
事ができるくらい強烈な力だ


しかしどこかで外側の境界がひかれる
その瞬間まではあれほど
熱中していたのに

その境界がひかれる事で
今まで自分が夢中していたものが
「定義できるもの」に
変わってしまう

「定義できるもの」とは
反対のものが存在する瞬間に生まれる

それが境界線が出来るということである



反抗期が終わるのは
際限のない怒涛の自我の広がりを
大人の世界が「定義できるもの」に
変換する瞬間にやってくる


無我夢中で進んでいたものが何なのか
その概念は対抗勢力にのみ
定義することができる


そうして人間は大人になり
自我の成長が止まり
世界がつまらなくなる


つまらないという現象は
極めて安定しているのである
極めてバランスしているのである


しかしそのバランスが起こるまで
対抗馬がいないときにも
境界線がないときでも

その成長の力は存在している事に
注視したい

それはいったい何なのか?

生きる力なのだが
死を認識する前から
それは存在しているのだろうか

境界がなくとも
生きる力はとてつもない力を持って
年齢に限らず
いつでも爆発する可能性を持っている


二郎とフレンチはお友達

2022-03-15 22:17:56 | ビジネス境界線
自分でフレンチを作ってみるように
なった

これがとても面白い

何といってもこんな簡単に
ガツンとした最高のうまいを
手に入れられる
というところに

プチストレス発散したい平日に
ついついソースを作ってしまう
依存性がある

勿論フランス料理の奥深さ
繊細さは全くもって理解していない

しかし
結婚式場で出てくる
あーフレンチってたまに食うと
ガツンとうまいよね

というレベルの低俗欲求に対しては
家で30分で完成するこの
ワンプレートフレンチは
とんでもなく魅力的な
最早ファーストフードだ


ワインでソースを作るだけで
手軽に非日常感が手にはいる

そして缶に入った
フォンドボーやグラスドビアンを
使えば
ラーメン屋の定番的なスープが
手軽に手にはいるように
とんでもないコクが手にはいる


そして
最後に極めつけは
ご存じのとおりバターだ

バターが苦手だった私は
冷蔵庫のバターが2年前のもの
ということがざらだったが

フレンチで使うバターの影響力を知って
その能力のすごさに気づいてしまった


相変わらず消化出来ないので
極限まで少ししか使わないが
このバターが味の半分くらいを
決めているといって差し支えない


濃すぎるコクのスープに
圧倒的な油脂
非日常感を演出する影の支配者


そうこれは二郎なのである


豚骨スープはフォンドボーであり
バターは豚
ワインはニンニクだ


だから自分で作る場合
手の込んだフレンチは
やっぱり自分では出来ない

すぐに作れるという
ファーストフードさが
大事である


フレンチのいいところは
何故かオシャンティであるところだ


自分のための二郎を作ったのに
何故かやっぱり見た目を大事にする


二郎だって盛られている姿を
少しでも豪快にしようとするが
目的の欲求は同じようなものなのに
こちらはたいそう美しくしたいのである


これがまた一つの
楽しみのジャンルとして
君臨してくる


御店で食べるフレンチは
緊張感が絶対条件である

お店で食べる二郎もまたしかり
緊張感あってこそである


緊張感のある場所でたべる料理は
味が感じずらい

だからお店の料理は
とんでもなく味が濃くなる

クラシックスタイルのフレンチ
クラシックスタイルの二郎

どちらも食べた後食塩と油の過多で
体がおかしくなる


だからこそ
自分で作るフレンチと二郎には
全く違う世界が待っている

自分の体に合わせた塩分と油で
リラックスした自分に
ガツンとした刺激を
手軽に味わせてあげられるのだ







電車トラブル時の対応

2022-03-14 19:56:01 | ビジネス境界線
電車が動かないとき

結論から言うと
「運転が中止にならない限り
その列車から動かない方がいい」

別ルートの案内や振替乗車の
アナウンスが流れた時
人々の半分以上がそれに従う
これは間違いない

私はいつも面倒なので
いつもそのまま待ち続ける

その結果体感だと8割は
結局すぐに発車する

【但し】
勿論全ての路線には言えない
勿論全ての鉄道会社に言えない
勿論全ての原因について言えない
勿論全ての時間帯について言えない
勿論発車後の詰まり具合まで全て
考慮できているとは言えない
勿論行き先変更が行われるデメリット
については考慮できていない
勿論トイレに行きたい人のタイミング
として適しているかは言えない

私が私の持論を発現するに至って
完璧なリスクヘッジをするとしたら
こんな感じの但し書きが
必用になる


これがまさに電車トラブル時の
アナウンスだと感じている

鉄道会社というのは随分と大変である
あらゆるリスクを排除した案内を
しなくてはならない

ダイヤとの戦いだけではなく
国家との法律とも常に
戦って全てクリアしなければ
動くことができない


だから乗り換え案内や振替乗車案内は
1%でも運休リスクがあれば
利用者を100%稼働の運転に案内する

これがアナウンスだと思っている


だから大元の原因が大したことなく
終わる
というのがだいたいである


そうすると当たり前だが
一番最初に乗る予定の電車が
一番最初に発車するのである

乗り換えや振替の案内先の
電車というのは
いわば臨時指定された例外であり
しかもぎゅうぎゅう押しくらまんじゅう

大元の原因がなくなった後の
優先順位も本来の路線の方が
大事にされやすいのである



リスク回避主義というのは
こういう側面がある

それが悪いということではない
しかしそれを理解した上で
付き合った方が
誰にとっても得だと思う