内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

金への執着

2018-12-28 00:25:21 | ビジネス境界線
結論から言えば

死への恐怖なのですが


極論を避けて
もうちょっと身近に考えると

承認の欲求や

アイデンティティの一部などが

分かりやすい原因だと思います




貯金すなわち資産というのは

死ぬことにどれだけ近いかを表す
バロメーターだという思い込みは

誰でも知らぬ間に
刷り込まれてしまう

それはしょうがないことなので



それを前提として


金の入りは

自分の生命が世界から認められている
そんな証拠として

関係は構築されます



金の出は

死に近づくものとして
敬遠される




ビジネスは
当たり前のこの原則で
成り立っているからこそ


このトリックに気づいたり
初めから囚われていない人が
一気に成功したりする










又聞き

2018-12-23 17:38:35 | ビジネス境界線
事実とは何なのか

知識と事実は同じではない



自分が体感したことと

そうでない情報

この線引きには

とても重要な役割があると
考えます



自分が体感した情報

信頼している人からの情報

そうでない人からの情報

噂話

ニュースのような
大きな社会からの情報



自分軸がきれいに整理されれば

自ずと情報もきれいに整理されます


自然と「騙される」状態には
ならなくなります



知識をもって

疑似体験を行うことで

自己の行動を

レベレッジ出来ることは

人間のメリットであり
デメリットでもあります



自分の体験以外の情報を
どう扱って
どう行動するか


人間本来の性質から離れず
自分の世界を生きていくために
必要なことだと感じます









バッハと自作バッハ

2018-12-22 17:35:49 | ビジネス境界線
今は

単調をよく聞くし

よく弾きます


単調は自分の音楽の源流でもあり

大好きですが
今は余りしっくりこないので
聞かないしひきません




頭のなかで



音楽が繰り返される現象




小学校の時から

頭のなかでしか表現ができない


すなわち
音として表す技術もなければ
重なった音を表現する手段もない


だから
唯一許された方法として

頭のなかで


「今の自分の音楽を頭の中で奏でる」


そういう事が


ずっと日々行われているのですが





たくさんある自分のスタイルの中でも

バッハは中毒性が高く


一度頭が音楽を喋りだすと

半永久的に鳴りやまない代名詞と
なっています



私にとってバッハとは

言葉の世界での好きな方言のような
役割を担っていて


はまっている時期には
当たり前の生活の表現となるものです



また

一つ一つの旋律の「機能的な側面」

は勿論好きなのですが


その機能的な旋律が

複数が合わさって

とても素晴らしい
「感情や感覚的な側面」

を作り出している
いわば芸術であること


私にとっては
原始的なものから洗練された
ミニマルミュージックの原点としての
位置付けでもあります



譜面を分析する「機能面」も
素敵なのですが

全体とした「感情面」として魅力
これがとにかくくとてつもない



もっともっとミニマルで
感情を解き放った音楽として


バッハを捉えていいのでは
ないでしょうか


と私はメッセージを受けとるし
誰かに伝えたいと思っています






その結果生まれる音楽が



「自作バッハ」





これは簡単なようで
とても難しいのです




方言としての機能的側面に
とらわれすぎると



イングウェイマルムスティーンの
ギターソロのようになってしまいます




頭のなかで


感情が奏でるバッハを


出来るだけ100%に近い形で
表現出来たら


どんなに素晴らしい事でしょうか











































ぐりとぐら

2018-12-20 01:17:16 | ビジネス境界線
よく読んでもらった絵本のうちに
これはは入っているのだろうと


記憶を便りに思います




ただ



記憶とは



ネズミであるぐりとぐらではなく


生まれて2週間くらいの

目が空いていなけどふさふさな

猫の対




これが


ぐりとぐら





この記憶はさらに



この対の猫がミーミー泣いている
段ボールを

「止まれ!」
といっているのに


大きなダンプカーが
ゆっくり
この段ボールごと踏み潰してしまう


そんな恐ろしい記憶です






何度も夢に出てきて
この光景をを思うたび
涙が出てくる






こんな光景や事実は
今までなかったこと



何度も親に確認して
わかっているけども



私の中の幼少期の現実として

それは列記とした事実として

残っているのです






どうしてなのかはわかりません



でも間違いなく

それは自分の事実として

今でもあるのです















人間失格

2018-12-20 00:54:11 | ビジネス境界線
20代に
大宰作品にはまったことがあります

そして

いつしか嫌うようにもなりました




どうしてはまったのかというと


この話の主人公に

どうして自分が登場しているのか



こんな不思議な感覚からでした



細かく言えば全然違うのだけど



その不思議な感覚は

ある意味気持ち悪さ

でもあり



自分に対しての劣等感から

嫌いになっていったのだとも思います







人間失格について

改めて

冷静に考えた結果



「やっぱりそのとおり」



だと自分で再認識しました




何で辛うじて
人間社会で生きていけているかは



自分のことは本当のところ


猫だと思っているからです