内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

政治献金と賄賂

2020-05-15 23:08:35 | ビジネス境界線
私の社会は今まで
政治の世界とは無縁で
今もそうなのですが

おとなりさんの社会として
色々な事は少しでも
触れる機会はありました


自分自身が修羅場を経験してから
というものの
何故か政治が面白く感じるように
最近なりました


政治に興味が沸いてくると
この問題って今まで全く
理解してなかったと気付き
調べてみて
なるほどなーと
思いました



賄賂になるかどうかは
金に対価性があるかどうか

政治献金としてokな金は
純粋な寄付かどうか
ということです


政治世界ではないですが
確かに私は経験があります

税務調査においては
「お茶」「コピー」にしても
国家公務員は頑なに
無償を拒否」します

そこに強烈に違和感を抱く訳ですが
そこには公という役割に
課された同じ原理理由があるのでしょう



いやいや待ってください

お茶コピーの例は
相手を人間と認める上での最低限な
行為であっても
それが機能を預かる公として馴染まない
逆の例です


そもそもわざわざお金をあげる
という行為は
感情を伴っている訳で


どうしてお金を政治家に渡すかって
言ったら
政治に無頓着な私は
当然見返り意外の理由が
見当たらない

いやごく稀に本当に
人間的に素晴らしい応援したい
だから金もっている私は寄付します
という「くもっていない」感情も
間違いなくあると思います


でも金持ってる篤志家みたいな人は
ごく一部です

金ない、金ほしい人、組織が
献金をすることがほとんどであれば
それって間違いなく
見返りを求めてのこと

経済界にとっては
とても「くもっていない」純なルール

それが政治世界となると
「くもっている」罪となる



「本音感情実態」は見返りが全てなのに

「建前機能理想」はボランティア


前者が犯罪で
後者が正常


こういった捻れ矛盾した環境で
政治家は金を集めなければならない

これも権力が必要になる一つの理由


対価性があるか寄付なのかなんて
そんな曖昧な
判断正しくできるわけがない

判断する「オリジナル主体」が
いつでも存在した上で
境界がひかれる


結局のところ
人間同士のルールの方が
いつだって上である


私はこの価値観が根本にあり
その価値観の延長上に
世の中の仕組みが分解された時に
「理解できた」
とどうやら感じるようである