内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

心が不安定になるとき1

2020-04-29 23:52:47 | ビジネス境界線
悩みレベルにも何段階かある

その中でも重大なレベルまで
いってしまう可能性があるものを
見つけたら残しておきたい

自分のためにも
誰かに伝えられるようにするためにも




情動と言われる激しい感情
これは重要なきっかけとなる


とてつもなく大きな
悲しみ
恐怖
怒り
罪悪感

などがそのきっかけとなる

ただこれだけで
人が心を崩してしまうことは
あまり多くない


普通であれば
誰でも落ち込んだ後
長くても数週間で
心は落ち着いてくる


ただしここにいくつかの
追加の条件が重なることで
途端に状況は危うくなる


第1に
その激しい情動を
自分で感じることが
できていない条件がある

これは自分が気づいていない場合
だけでなく
自分がその感情を持つことを
許されない複雑な状況の中で
許されず見ないようにしてしまう
そんなケースの方が
多いかもしれない


普通に回復できる場合は
少なからずその情動に
自分が気づいている

例えば
誰か親しい人がなくなった時
とても哀しみ落ち込む
これは自分が悲しいことを自分でも
感じやすいし
他人から見てもその人は悲しいだろうと
想像しやすく
自分の悲しい感情を事実として
しっかり感じやすい

こんなときには
どんなに落ち込んでも
大抵の人はそこから
回復できることが多い


ところが自分が感じた感情を
否定しなければいけないケースでは
どうであろうか

自分の最愛の人が
犯罪を犯しその結果死んでしまったと
仮定したとき

まず自分の中で
最愛の人への
とてつもなく大きな哀しみ情動が
生まれる

ところが社会からは
犯罪を犯した人間に対して批難が起こり
その犯罪者に対する哀しみの感情は
表に出せなくなってしまう可能性がある


周囲からなんと言われても
自分の気持ちを大事に守れる人は
決して潰れないかもしれないが
相手が社会全体や組織にとなれば
一個人の感情を守り抜くことは
想像以上に厳しい戦いとなる


自分の感情を
事実として自分の中に残す
その戦いに敗れたときに
異変が起こる


社会の感情に従うこととなった自分は
その自分がもっている感情を
否定することで
存在を保とうとするのである

社会が善なら
自分が悪になってしまうのである

「罪悪感」の正体はどうやら
このへんにあると思う


自分を責める気持ちが生まれたら
それは一つの「兆候」である

個である生命が
社会に取り込まれてしまう兆し
それは奴隷の始まり



トラウマとして脳に
蓄積されてしまう
情動と出来事

このメカニズムは

・大きな情動
・世界観を変えてしまうような
大きな出来事

この2つだと説明されていて
この「自責心」を伴うことも多い


こんな事が自分に起こったのは
自分が悪かったのだと
思ってしまうのである


自分がどんな感情を抱こうが
それは自分にとっての事実であり
全ての基礎であること

それを絶対に手放してはいけないし
それを認められない事はありえない


批難の声があれば
自分の中の事実と
他人や社会の中の事実との
戦いなのであって
互いの事実自体をお互いの自分自身が
否定してしまうことは
生きるのをやめたに等しい


その最後の砦が壊れそうな時には
どんな人であっても
まずは心の回復

すなわち
自分の感情を事実として
取り戻すことを
優先すべきである


ジグゾーパズル

2020-04-20 23:02:16 | ビジネス境界線
私にとって最もたたかうべきもの

私にとって最も守り抜くべきもの

それは人間のオリジナリティーである


自分のオリジナリティー

これは勿論

自分以外のオリジナリティーについても
対象である


私が死にそうになるのは
いつだってオリジナリティーが
脅かされ
崩壊しそうな時だった





普通はこう

これでいくならこれをしなきゃ

こういう時はこう言うんだよ

あなたはこうなんだから
こうしなきゃダメよ

俺のいうことを100%そのまま
実行しるやつしかいらない


今書いているだけでも
とんでもない怒りがわいてくる



そこで戦わなければいけない


それがどうやら私



そんな私だから
理想とする組織も
オリジナリティーだけが
欠損しないでまとまれる組織


ジグゾーパズルのような組織です



小さな頃からジグゾーパズルが
好きでしたが

こんなところで
インスピレーションに
繋がるとは思いませんでした



かといって
私の理想はあくまで
無限大の価値観の中の一つの考え


こんな偏った考えを世の中に
押し付けるのは
狂っていることくらいわかる年齢に
自我も育ってはいます

色んな考えはあるけども
自分がその価値観を維持できる仲間
というのが

ぽつりぽつりと

人生はうまいように配置されて
いるものです

水玉もようのように
自分にとってのオアシスは存在している


その水玉を自分で引き寄せたり
自分で見つけて飛びこんだり


その繰り返しをずっとやってきているし
これからもそうしていくだろうと思う


水玉を全部に拡張させたら
それは水玉でもなくなってしまう


バランスを保っていきたいと
そう思う










PTSD症状

2020-04-20 22:35:58 | ビジネス境界線
本当に久しぶりにきました
2~3ヶ月ぶりかも



目の奥がジンジン暑くなる

頭の皮膚がピリピリ固まり始め
次第にヘルメットのような個体になる

頭の皮膚への連動とともに
こめかみへの猛烈な違和感

メガネをどうしても外さない訳には
いかない

そしてとてつもない疲労感

耳が猛烈に圧迫され
周りの音がぎんぎん響いてくる


そして身体症状だけでなく
思考が制限されてくる


今まで世界を見れていたのに
自分の目の前のこの物体にしか
意識を向けるのがやっとの
状態になる


これを私は

突然水の中に頭をぶちこまれた
状態と感じている

まだ肺に空気は残っているが
この状態が続けば
私は何も考えることが
出来なくなってしまう



一番の恐怖はこれだ


思考が出来なくなること


私のオリジナリティーが
死んでしまうこと


これは本当に恐ろしい体験だ





私は学んだ

自分の体験ではなく
世間でこの現象を
医学的やら色んな他人から見て
この現象をなんという言葉で
あらわしているか


「こおりつく」


どうやら
そうよんでいる


それがこの現象だ


外からみると
いきなり
こおりついている
そう見えるのだろう



こおりついている

を経験している張本人は

こんな体験をしているのだ




でも私は随分もう色々知っている


体や心は「こうりつく」けど

それを外から眺めていられる
自分がずっといることを知っている



もはや「自分のなか」の問題なのである



やっとここまできたのである

その恐怖に負けず
これを眺めることができる
自我が育ったのである




こう書きながらも
私の扁桃体は
まだ蓄えられた間違った感情をもとに
ホルモンを使い
私を恐怖状態に移行させることに必死だ


でも
もう大丈夫

「こおりついた」のなら
それをあとは
「とかせば」いいのだから





何が原因でフラッシュバックがおきたか

複雑性PTSDの場合
原因を自分で把握するのも難しい


今日の私はふと手にした
会報誌にのったある組織の広告で
一気にフラッシュバックした


現場に居合わせた組織だから
凄く単純に理解できる

だけれども
頭ではそれは恐怖の原因でないことを
知っている

でもその情動の中に居合わせたから
扁桃体は間違って反応してしまう
のである




でも2年かけて学んだことは
症状があらわれるものは
理屈ではない
その場に居合わせた
とか
連想した対象だった
とか
全てがその
激しい情動と接点がある
それだけの理由

それが全ての原因だということである


そして扁桃体に残念ながら
残ってしまった

これはこの激しい情動と
セットなのである


この激しい情動と向き合わなくては
ならないのは間違いない


その感情の消化と一緒に
たまたま居合わせた
不運な恐怖の対象と
無理矢理にでも向き合っていく


そしてそれは立ち向かえば
1~2ヶ月もたたないうちに
忘れるくらい恐怖の対象は
減っていくということ


いわゆる暴露療法である

これしか結局ない



2年で恐怖の中枢をここまで
追い込んだ
シンプルにした
私はノーベル賞ものである

誰にも理解できないが
私だけはとんでもないことを
成し遂げてきたことを
理解できる



今では
症状が出ること
それに対して歯向かい消し去る
という一連の流れが
私にとっての一種の趣味のような
感覚さえある











料理入門

2020-04-18 00:13:52 | ビジネス境界線
料理レシピというのは
とても生活のなかで魅力の強いもの

昔から料理をやろうとしても
失敗するし
何といっても
やる気がなくなる理由



1調味料の分量がわからない

最近これがもうすこし分解できました


レシピの分量を毎回忠実に守る苦痛
すなわち体で理解することができない
レシピの調味料配合分量表記を
変換できない
g表記⇔さじ表記⇔ml表記

もう一つは
素材の量に対しての調味料の分量が
理解できない
計りがないし総量なんて計れない


2切り方がわからない

この料理ならこの切り方というレシピ
理由がわからないから覚えられない


3火のいれ加減がわからない

強火中火弱火の3段階は
間違いなく自分のコンロと違う

だってフライパンもちがえば
鍋も違うから

よってすぐ嫌になる


4調理時間がわからない

何分何秒なんて毎回守ってられない
守ってもうまくいかない


5調理によって発生する後片付けが
わからない

調理が楽しくても最悪1週間片付けられない事もたたある
もう二度とやりたくなくなる



この辺の一つ一つの要素が
少しずつ自分なりに分かってくることで


二度とやりたくないという気持ちが

外食より自分で作りたいに
変わってくる



いろんな料理のレシピ本や
サイトがあるが


入門者にとってのこういう障壁が
未だに示されていないなと
あらためて感じます


料理のレシピは
音楽の楽譜ととても似ていると
思います


人間が人間へ何かを伝えるために
記号化したもの

大事なのは記号化により
大雑把に伝わったものを
最終的に自分の感覚におとしこむ
必要があること


音楽をやっていると楽譜というものが
物凄い情報量を瞬時に
知覚→脳→運動神経
と伝えるために
とても丁寧に繊細にシンプルに
作られていることが
よくわかります


そんなレシピ本は残念ながら
みたことがありません


料理を一つのライブ演奏とするなら

素材の準備から後片付けまで

誰であってもレシピの作り手と
同じ手順で進められるように
こと細かく書いていてほしい

入門者にものならなおさらのこと


ここには主婦向けクックパッドを
ひっくり返すくらいの

料理初心者向けビジネスが
隠れている気がする



本やサイトでは全く興味が進まなくても
動画で説明されると一気に
興味がわいてくるのも
恐らく入門者のこういった理由が
あるのでは?

と思う次第です










食べる環境

2020-04-15 22:05:41 | ビジネス境界線
元奥さんは

一人で食べても
おいしくない

とあらためて気付いたようです


逆に元奥さんから

あなたは一人の食事を
凄く楽しんでいるよね

と言われました



私も一人で食べるおいしさと

誰かと食べるおいしさの違いは
わかっていて
誰かと食べたいという願望は
とてもあるので

うーん
そういうわけではないのだが


と少し違和感を持ちましたが

一人とか誰かっていう話ではなくて


信頼できる環境で
味を堪能できるか

これが楽しめるかどうかの
私の基準軸であることが
わかってきました


私は一人のみは苦手です
理由は緊張するからです

一人だと途端に
自分の振る舞いとか
マスターとの人間交流に意識が
いってしまうため

美味しいものを
自分と対話しながら
じっくり味わうことが
出来なくなってしまうからです


でも行き慣れた店の
信用できるマスターがいる店では
一人で飲んでみようかな
という淡い願望が生まれるのも
このせいです


ランチでよく行く信頼できる店
マスターとは話はしたことないけど
料理を通して信頼している

そんなマスターから
コロナ状況のせいもあり
お客がいないから
話しかけられることがあった

ずっと通っているから
マスターは絶対に認識しているのは
分かっている

でもいざ信頼している人から
話しかけられると

お店の心配という自分の気持ちと

マスターが思う店の心配が
東京都への不満として吐き出される愚痴

これが相乗効果で
私はこの店の行く末を一緒に憂う
一瞬で共同体となってしまった

のでありました


私が守りたいこのお店

でも自分が守りたいのは

ゆっくり自分の感覚に集中して
信頼できる料理をいつも出してくれる
自分に集中できる空間であることも
同時にわかる



次の日に
店を憂いてお金を落としにいこうとする
この自分は

もう自分のもともとの願望を
果たせなくなっていることに
気づきました


こういう時決まって私は

気まずい

と思う


マスターとのやり取りをする
可能性があることで
自分の欲望を果たせなく
なってしまう場所に
なりつつあるからだ


これに気付いた事は偉い


自分の欲をもっとだせば
解決する

それだけのこと

「気まずい」

という感情は
自分の欲を出せなくなるような状況
に生まれるものだとも知った