悩みレベルにも何段階かある
その中でも重大なレベルまで
いってしまう可能性があるものを
見つけたら残しておきたい
自分のためにも
誰かに伝えられるようにするためにも
情動と言われる激しい感情
これは重要なきっかけとなる
とてつもなく大きな
悲しみ
恐怖
怒り
罪悪感
などがそのきっかけとなる
ただこれだけで
人が心を崩してしまうことは
あまり多くない
普通であれば
誰でも落ち込んだ後
長くても数週間で
心は落ち着いてくる
ただしここにいくつかの
追加の条件が重なることで
途端に状況は危うくなる
第1に
その激しい情動を
自分で感じることが
できていない条件がある
これは自分が気づいていない場合
だけでなく
自分がその感情を持つことを
許されない複雑な状況の中で
許されず見ないようにしてしまう
そんなケースの方が
多いかもしれない
普通に回復できる場合は
少なからずその情動に
自分が気づいている
例えば
誰か親しい人がなくなった時
とても哀しみ落ち込む
これは自分が悲しいことを自分でも
感じやすいし
他人から見てもその人は悲しいだろうと
想像しやすく
自分の悲しい感情を事実として
しっかり感じやすい
こんなときには
どんなに落ち込んでも
大抵の人はそこから
回復できることが多い
ところが自分が感じた感情を
否定しなければいけないケースでは
どうであろうか
自分の最愛の人が
犯罪を犯しその結果死んでしまったと
仮定したとき
まず自分の中で
最愛の人への
とてつもなく大きな哀しみ情動が
生まれる
ところが社会からは
犯罪を犯した人間に対して批難が起こり
その犯罪者に対する哀しみの感情は
表に出せなくなってしまう可能性がある
周囲からなんと言われても
自分の気持ちを大事に守れる人は
決して潰れないかもしれないが
相手が社会全体や組織にとなれば
一個人の感情を守り抜くことは
想像以上に厳しい戦いとなる
自分の感情を
事実として自分の中に残す
その戦いに敗れたときに
異変が起こる
社会の感情に従うこととなった自分は
その自分がもっている感情を
否定することで
存在を保とうとするのである
社会が善なら
自分が悪になってしまうのである
「罪悪感」の正体はどうやら
このへんにあると思う
自分を責める気持ちが生まれたら
それは一つの「兆候」である
個である生命が
社会に取り込まれてしまう兆し
それは奴隷の始まり
トラウマとして脳に
蓄積されてしまう
情動と出来事
このメカニズムは
・大きな情動
・世界観を変えてしまうような
大きな出来事
この2つだと説明されていて
この「自責心」を伴うことも多い
こんな事が自分に起こったのは
自分が悪かったのだと
思ってしまうのである
自分がどんな感情を抱こうが
それは自分にとっての事実であり
全ての基礎であること
それを絶対に手放してはいけないし
それを認められない事はありえない
批難の声があれば
自分の中の事実と
他人や社会の中の事実との
戦いなのであって
互いの事実自体をお互いの自分自身が
否定してしまうことは
生きるのをやめたに等しい
その最後の砦が壊れそうな時には
どんな人であっても
まずは心の回復
すなわち
自分の感情を事実として
取り戻すことを
優先すべきである