抜根、整地

2016-12-25 05:00:49 | 日記

 

 樹齢40年以上の矮性リンゴをラ、フランスに改稙する為抜根、整地を行う。バナナの輸入品が増えてこれまで栽培していた主力品種紅玉等の品種が下がり安値が続き園地に野積みで廃棄リンゴも見られた。早生種の祝りんご、紅玉、晩生種の国光から俄に品種更新で登録番号からふじの命名が出たばかりの新品種ふじリンゴへ高接ぎ一挙更新が盛んに行われていた。

まだ贈り物の農産物は車両運搬はなく鉄道輸送で到着すにも日数がかかった。駅の受付するのも時間がかかり長い列を作って並んでいた。重い木箱に詰めた20kgのリンゴ等で駅構内にはいっぱい荷物駅員さん達は持ち運びに大変。東京オリンピックが終わったばかりで景気は良く木箱1箱当時の金額で4、000円程でびっくりする高値だった。

大勢の果樹栽培者は高接ぎする穂木が少なく接いだ穂木を互いに譲り合い増やして行った。段々年数が経って来ると高接ぎ病のウイルスで樹勢が弱り枯死してしまう樹木が増えた。苗木を植えてから7~8年も経ってからやっと収穫が出来る当時の剪定。しかも栽植距離は8m間隔で広く樹間が埋まるまでは相当な年数が必要。まだ購入する苗木は高く今のように密植栽培は出来なかった

。先進地では外国から入って来た台木で背丈が伸びなく、結実する年数も早く、実は通常のリンゴと変わらず美味しく収穫するに脚立のいらない矮性台木の低木栽培が流行になって来た。当時の農業は7桁農業で100万円の所得を目指していた。農家に残る若者は少なく他産業に出て農外収入を目指して兼業農家が増えていた。


手間のかかる果樹栽培も考えものになりリンゴでも着色管理の葉摘み、玉回しのいらない王林栽培が流行っていた。10アール当たり植栽する本数は120本で高額な苗木代金で買う事も出来ない。にいる果樹栽培の若者は水田の減反圃場に缶詰会社からリンゴの絞り粕に混ざっている粕を水洗いして取り播種した。

翌年発芽して1mくらいに成長した苗木。翌年に矮性台木の穂木を接ぎ木してまた同じ場所で養成する。そのままの状態の台木に今度は王林を接ぎ木して翌年にやっとそれぞれ会員の圃場に定植した思い出のある園地。木も古くなり消費者は新しい品種に走り思い切って手間のかからないラ、フランスに改植する事にした。数日前に切り株50cm程の高さ残し枝切り伐採を済まして抜根、整地の準備をして置いた。その間遊休農地の樹木伐採や農地貸借件等の要件が重なり焦っていた。やっと天気の晴れ間を見て友達を頼んでユーボで伐根、整地を終わして安心する。