『偉大なるマルグリット』(原題:Marguerite)
監督:グザヴィエ・ジャノリ
出演:カトリーヌ・フロ,アンドレ・マルコン,ミシェル・フォー,クリスタ・テレ,
ドゥニ・ムプンガ,シルヴァン・デュエード,オベール・フェノワ他
シネ・リーブル梅田で2本ハシゴの2本目。
20世紀前半のアメリカに実在した“音痴の歌姫”、
フローレンス・フォスター・ジェンキンスに着想を得て、
フランス人のグザヴィエ・ジャノリ監督が撮った作品。
1920年のフランス。
パリ郊外にあるマルグリット・デュモン男爵夫人の大邸宅で、
チャリティーを目的としたサロン音楽会が開かれる。
マルグリットから直々に招かれて出席した若手女性歌手アゼルは、
豪華な屋敷と集まった貴族たちの様子に心をときめかせ、
自分の出番が終わったあと、マルグリットの登場を心待ちにしている。
この音楽会に招かれてもいないのに忍び込んだ男性がいた。
新聞記者で辛口音楽評論家のボーモンは、初対面のアゼルと言葉を交わし、
ふたりしてマルグリットについて想像をめぐらせる。
いよいよ主役のマルグリットの登場。
派手な衣装に身を包み、威風堂々と歌いはじめた彼女だったが、アゼルとボーモンは唖然。
なんと彼女は信じがたい音痴だったのだ。
その場に居合わせた者はそんなことは最初から知っているふうで、
大まじめな顔でマルグリットの歌を聴いている。
富豪のマルグリットに「あなたは音痴だ」と指摘することなど誰もできず、
夫のジョルジュすら何も言えずに耐えているらしい。
これは凄いことだと笑わずにはいられないボーモンは、
翌日の新聞に「孤児の心を代弁する歌声」と評論記事を書く。
その記事をそのまま褒め言葉だと受け取ったマルグリットは大喜び。
ボーモンは彼女を公の場に引っぱりだすことを画策するのだが……。
「音痴」というもののを私が知ったのは小学校低学年のときでした。
ひとりずつが歌う音楽のテストで、その歌声を聴いたときの衝撃は今も忘れられません。
単に歌が下手なわけではないんだ、音程がわからないんだと驚きました。
しかも本人はそれにまったく気づいていない。
その事実を知るのはいつなんだろう、誰が知らせるんだろうと思いました。
5年、いや10年近く前だったか、アナウンサーの内田恭子さんが音痴だとかで、
音痴は矯正できるのかという試みの番組を見ました。
へぇ、ある程度は矯正できるんだなぁとそのとき驚いたのも覚えています。
小学校のときの同級生にしてもウッチーにしても、
歌うことが決して楽しそうには見えなかったので、
もしも音痴で歌うことが好きだという人がいたら、
自分の歌声はどう聞こえているのか、歌うと気持ちいいのか、
そんなことを素朴な疑問として感じます。
「妻はなぜ歌うのだ」という夫ジョルジュの疑問が繰り返されます。
夫を振り向かせるためだというところに持って行きたいようですが、
どうもそうとは思えない。実際それは逆効果なわけで。
うなるほどの金を持ち、それが故に誰も真実を指摘できなかった彼女。
「お金が問題なのではなく、お金があることが問題なの」という、
わりと最初のほうに出てきた台詞が心に残っています。
シビアなラストに、コメディで終わらせられなかった哀しさが。
いい作品だったとは言いづらいものがあります。
監督:グザヴィエ・ジャノリ
出演:カトリーヌ・フロ,アンドレ・マルコン,ミシェル・フォー,クリスタ・テレ,
ドゥニ・ムプンガ,シルヴァン・デュエード,オベール・フェノワ他
シネ・リーブル梅田で2本ハシゴの2本目。
20世紀前半のアメリカに実在した“音痴の歌姫”、
フローレンス・フォスター・ジェンキンスに着想を得て、
フランス人のグザヴィエ・ジャノリ監督が撮った作品。
1920年のフランス。
パリ郊外にあるマルグリット・デュモン男爵夫人の大邸宅で、
チャリティーを目的としたサロン音楽会が開かれる。
マルグリットから直々に招かれて出席した若手女性歌手アゼルは、
豪華な屋敷と集まった貴族たちの様子に心をときめかせ、
自分の出番が終わったあと、マルグリットの登場を心待ちにしている。
この音楽会に招かれてもいないのに忍び込んだ男性がいた。
新聞記者で辛口音楽評論家のボーモンは、初対面のアゼルと言葉を交わし、
ふたりしてマルグリットについて想像をめぐらせる。
いよいよ主役のマルグリットの登場。
派手な衣装に身を包み、威風堂々と歌いはじめた彼女だったが、アゼルとボーモンは唖然。
なんと彼女は信じがたい音痴だったのだ。
その場に居合わせた者はそんなことは最初から知っているふうで、
大まじめな顔でマルグリットの歌を聴いている。
富豪のマルグリットに「あなたは音痴だ」と指摘することなど誰もできず、
夫のジョルジュすら何も言えずに耐えているらしい。
これは凄いことだと笑わずにはいられないボーモンは、
翌日の新聞に「孤児の心を代弁する歌声」と評論記事を書く。
その記事をそのまま褒め言葉だと受け取ったマルグリットは大喜び。
ボーモンは彼女を公の場に引っぱりだすことを画策するのだが……。
「音痴」というもののを私が知ったのは小学校低学年のときでした。
ひとりずつが歌う音楽のテストで、その歌声を聴いたときの衝撃は今も忘れられません。
単に歌が下手なわけではないんだ、音程がわからないんだと驚きました。
しかも本人はそれにまったく気づいていない。
その事実を知るのはいつなんだろう、誰が知らせるんだろうと思いました。
5年、いや10年近く前だったか、アナウンサーの内田恭子さんが音痴だとかで、
音痴は矯正できるのかという試みの番組を見ました。
へぇ、ある程度は矯正できるんだなぁとそのとき驚いたのも覚えています。
小学校のときの同級生にしてもウッチーにしても、
歌うことが決して楽しそうには見えなかったので、
もしも音痴で歌うことが好きだという人がいたら、
自分の歌声はどう聞こえているのか、歌うと気持ちいいのか、
そんなことを素朴な疑問として感じます。
「妻はなぜ歌うのだ」という夫ジョルジュの疑問が繰り返されます。
夫を振り向かせるためだというところに持って行きたいようですが、
どうもそうとは思えない。実際それは逆効果なわけで。
うなるほどの金を持ち、それが故に誰も真実を指摘できなかった彼女。
「お金が問題なのではなく、お金があることが問題なの」という、
わりと最初のほうに出てきた台詞が心に残っています。
シビアなラストに、コメディで終わらせられなかった哀しさが。
いい作品だったとは言いづらいものがあります。