晴耕雨読

耕すのは土だけではない。
心のなかこそ酸素を補給し、ゆたかな栄養で満たさなければならない。

立夏

2017年05月06日 | 日記


近年、春が短い。ようやく寒い季節から解放されて、桜が咲いたと思う間もなく汗ばむような季節がやってきた。八十八夜は立春から数えて88日めで、茶摘みが始まり、農家では別れ霜と言われて農作業の目安になる。立春から数えて91目が立夏である。昨日が立夏で、裏山にワラビ採りに出かけると、もう結構長く伸びたワラビの初収穫ができた。畑では、隣のIさんがキュウリの苗を植えていた。我が家では、ようやく畑を耕して施肥が半分ほど済む。山形では5月8日から植木市が始まる。

八十八夜あかるしぼんのくぼ冷えて 吉田  明

太宰治に『八十八夜』という短編がある。太宰を思わせる作家が、初夏の日に、上諏訪に旅に出る話である。その前年の秋、作家はその宿に缶詰めになって4、5日で原稿を書き上げた宿である。その時、部屋係と世話してくれた女中さんに逢いたくなって、散在する金を持って出かける。宿は忙しかった。くだんの女中さんも忙しく立ち働いていた。その女中さんと、酒を酌み交わしながら話をしたかったのだが、それも叶わず悪酔いして寝込んでしまう。その朝作家は、朝食をとることもなく逃げるように宿を去る。

話は単純にこれだけだが、作品名の『八十八夜』のエピグラムに、夏も近づく、と記されてあったが、初版本になったとき「諦めよ、わが心、獣の心を眠れかし」と改められたという。再会した作家と女中さんの短い会話に、太宰が書きたかった人間の本音が顔を出す。太宰らしい恥じらいを含んだ小品である。その中に信州の初夏の風景が記されている。

「湖が、―むかしの鏡のように白々とひろがり、たったいま結氷から解けたみたいで、鈍く光って肌寒く、岸のすすきの叢も枯れたままに黒く立って動かず荒涼悲惨の風景であった。」

信州の春は遅い。八が岳や甲斐駒ヶ岳の威容が、里の景色を小さくしているのかも知れない。
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