言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

ルーズベルトの政策 ( 公共投資 )

2009-10-31 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.107 )

 それでは、財政政策の役割は何だったのか。最近のアメリカの経済学者らの研究では、それは、財政支出で景気を直接刺激するオールド・ケインジアン的な役割というよりも、量的緩和の継続的な実施を担保する役割だったことが証明されている。
 「流動性の罠」から脱出するためには、長期にわたるマネーサプライの継続的な拡大が必要である。人々がそれを信頼するうちは、金融政策のみでリフレーション政策は十分効果を上げることができる。とくに、大恐慌期のように半年という短期で株価やインフレ率が正常時にキャッチアップした場合、政策当局はすぐに量的緩和を解除し、金利を引き上げたい衝動に駆られる可能性が高い。
 しかし、人々は長期間にわたって量的緩和が継続するという期待によって、おカネを動かしたからこそ、経済が急速に回復したのであった。この期待が裏切られてしまうと、人々は再びおカネを保蔵し、あっという間に大恐慌に逆戻りしてしまう可能性が高い。
 財政政策には、これを防ぐ効果があった。つまり、財政支出という形で将来にわたっておカネが出ることが約束されれば、それをファイナンスするためにFRBは増額された国債を買うしかなく、実際におカネが出ることになる。
 このように、財政政策はあくまでも量的緩和政策の継続にコミットすることを人々に知らしめるべく、「担保」として差し出された政策メニューと言えよう。現に、財政支出が拡大し、アメリカの経済成長の上昇に大きく寄与するのは、1933年の第4四半期以降、すなわち、株価やインフレ率が大きく戻った後のことであった(図表4-4)。これは、大恐慌からの回復が財政支出による「オールド・ケインジアン効果」によるものでなかったことを如実に物語っている。


 ルーズベルトの政策において、財政政策の果たした役割は、オールド・ケインジアン的な役割ではなく、量的緩和の継続的な実施を担保する役割だったことが証明されている、と書かれています。



 ここでは、文中の「図表 4-4」 は省略します ( 画像にしなければ取り込めません ) 。必要であれば、直接、本を買ってください。「図表 4-4」 は、アメリカの経済成長率と、それに対する純輸出の寄与度、政府支出の寄与度を表示した、折れ線グラフです。

 このグラフを見れば、たしかに、経済成長率が回復した 「あとで」 、( 経済成長率に対する ) 政府支出の寄与度が上昇しています。

 したがって、公共投資は、「流動性の罠」 からの脱出において、付随的な効果しか果たしておらず、本当に効果を発揮したのは、それ以前になされた対策である、ということになります。すなわち、「ルーズベルトの政策 ( 量的緩和 )」 において紹介 ( 引用 ) した、

  1. 大恐慌克服宣言 ( コミットメント )
  2. 量的緩和の推進

が、効果を発揮した政策だった、と考えられます。この観点でみれば、公共投資は、( 本当に効果を発揮する ) 量的緩和政策の継続を保証し、後押しする効果をもっていたにすぎない、と考えられます。

 以上をまとめると、ルーズベルトの政策を重要な順に並べれば、

  1. 大恐慌克服宣言 ( コミットメント )
  2. 量的緩和 ( 金融政策 )
  3. 公共投資 ( 財政政策 )

となります。

 ここで、財政政策は重要ではないのかというと、そんなことはなく、きわめて重要である、と考えられます。その理由は、「「流動性の罠」 対策」 を読めば、わかると思います。



 なお、ケインズが公共投資について、どう考えていたのかは、「ケインズの雇用政策 (所得増加政策)」 を参照してください。簡単に、ではありますが、書いています。



 ところで、著者は純輸出の寄与度については触れていないものの、「図表 4-4」 を見れば、「全期間にわたって、ほぼ、0 に等しい値」 をとっています。輸出は、効果をもたない、と考えるべきなのかもしれません。

ルーズベルトの政策 ( 量的緩和 )

2009-10-30 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.103 )

 次に、ルーズベルトが大恐慌を克服するために何を行ったのかという点を考える。ルーズベルト大統領と言えば、「ニューディール政策」があまりにも有名である。テネシー川流域のかんがいのためにダムを建築し、これが新たな需要を創り出したとされている。
 この「ニューディール政策」は「古い」世界史の教科書では、公共投資による財政政策の成功例として取り上げられている。しかし実態はそうではないというのが、今日の経済学の「常識」である。ここではルーズベルトがとった大恐慌期の経済政策を、重要性の高いものから順番に指摘することにしよう。

(中略)

 このルーズベルトの「大恐慌克服宣言」を具体的に実行に移した政策の1つが、FRBによる量的緩和の実施であった(図表4-3)。
 実は、FRBの量的緩和は1932年の3月、すなわち、まだ共和党のフーバー大統領の政権の時から実施されていた。とくに1932年3月には連邦準備法が改正され(グラス=スティーガル法)、FRBは資金供給のために財務省の発行したアメリカ国債を買うことができるようになった。
 それまでのFRBは、企業の発行した手形を買うことでしか資金を供給することができなかった(真正手形主義、Real Bills Doctrine)。グラス=スティーガル法は、FRBの資金供給の余地が拡大した画期的な法改正だったが、残念ながら、大恐慌克服のための量的緩和には限界があった。なぜなら、アメリカは依然として金本位制を導入しており、アメリカ国内に流通する通貨の総量は、財務省の金保有額にリンクしていたからである。そのため、量的緩和の実施はしたものの、断続的、かつ小出しだったため、人々の期待を転換することはできなかった。
 ルーズベルトは1933年6月に金本位制を停止し、管理通貨制に移行した。これでFRBは金本位制の制約なしに大胆な量的緩和の実施が可能となった。財務省も、農業調整法(AAA)トーマス修正条項という法改正によって、大量の金を海外から購入する仕組みを作り、量的緩和に協力した。
 ルーズベルトは金本位制を停止したものの、政府内には、長年採用してきた金本位制的な通貨制度を維持しようとする動きがあった。当時の財務官僚であったモーゲンソーはこれを憂慮し、右のトーマス修正条項によって大量の金購入を実施し、ルーズベルトの量的緩和政策をサポートしたのである。
 また、この農業調整法トーマス修正条項には、リフレーション政策が必要であると大統領が認識したにもかかわらず、FRBがこれを拒否した場合、総額30億ドル(当時のGDPの約5%相当)の政府紙幣の発行が認められていた点も注目に値する。中央銀行が政府のリフレーション政策に反対した場合、政府が中央銀行に代わって通貨の供給を行う権限を有していたのである。これは当時のFRBにとっては脅威だったに違いない。FRBも量的緩和を実施せざるをえなかった。
 これにより、アメリカの株価は上昇に転じた。株価は量的緩和(図表4-3では総準備預金額に占める超過準備の割合でその程度を示している)の実施から約3ヵ月程度遅れて底打ちした。また株価だけではなく、インフレ率も半年間で前年比2・5%程度まで上昇し、ルーズベルトの約束は見事に果たされた。


 ルーズベルトの政策は、「ニューディール政策」 が有名であるが、実際には、公共投資による財政政策によって成功したのではない。実態は異なる、と書かれています。



 長いので、何回かに分けて引用することにします。

 ここでは、

  1. 大恐慌克服宣言 ( コミットメント )
  2. 量的緩和の推進

が挙げられています。量的緩和の推進については、
  • 中央銀行の国債購入 ( フーバー政権時から実施、グラス=スティーガル法 )
  • 企業の発行した手形の購入 ( グラス=スティーガル法以前 )
  • 金本位制の停止、管理通貨制へ移行
  • 政府紙幣発行の道を拓いた

が記載されています。

 彼は量的緩和推進のために、金本位制を停止し、政府紙幣発行の道を拓いたわけですね。



 いまの日本について考えれば、政府紙幣の発行は、有力な候補たりうると思います。政府紙幣発行には、反対意見もありますが、ルーズベルトの政策を参考にするなら、

 「リフレーション政策が必要であると大統領が認識したにもかかわらず、FRBがこれを拒否した場合、総額30億ドル(当時のGDPの約5%相当)の政府紙幣の発行が認められていた」 とあるので、

 一定の枠内に限れば、発行を認めてもかまわない、と考えられます。もっとも、

 「これは当時のFRBにとっては脅威だったに違いない。FRBも量的緩和を実施せざるをえなかった。」 とも、書かれているので、

 実際には、政府紙幣は発行されなかったのかもしれませんが、量的緩和を推し進める原動力になったことは、間違いないと思います。



 政府紙幣の発行は、「日銀の独立性」 が問題となりますが、一定の枠をはめたうえでなら、認める余地がありそうです。



 なお、ルーズベルトの政策は、公共投資による財政政策だったと 「古い」 「世界史の」 本には書かれているが、「経済学の」 世界では異なった捉えかたが常識だとされている旨の記述も、重要だと思います。

電気自動車がもたらす日本の未来

2009-10-29 | 日記
ある女子大教授の つぶやき」 の 「急速に進む電気自動車

21世紀の産業革命

 歴史で習う産業革命は、18世紀中期に英国で開発された蒸気機関による動力革命であったが、現在の産業革命は化石燃料を使う動力から、電池が支配する化学反応が生み出すエネルギーへの転換である。20世紀の初頭にも、自動車の動力源として、ガソリンか電池かの選択競争があったが、この時にはガソリンが勝利した。100年後の今日、同じ争いが起きているが、21世紀はガソリン車支配が終わりを迎えようとしている。

(中略)

ガソリンエンジンは完成された機械工学の粋が柱であるが、電気自動車になれば炊飯器、冷蔵庫、洗濯機などと同じ電気製品と同じレベルになる。カメラがデジカメとなり、電気やコンピュータなどの企業が参入してきたように、10年後には自動車という産業体系は大幅にその枠組みを変えていることが予想される。ビッグスリーや日本車が独占していた自動車産業には世界中で、素人の参入が始まり、なかでも中国(BYD)や米国のシリコンバレーでは、鉄とガソリンから離れた車作りスモール・ハンドレッドと言われているベンチャーが沸き起こっている。

ガソリン車はほぼ3万の部品点数から構成されているし、ハイブリッド車では4万点数である。これに対して電気自動車はその3分の1の1万点前後である。そうなると、現在の自動車産業のすそ野に広がる産業群は簡単には3分の2は不要となってしまう。鉄鋼産業ですら、その存立に赤信号がつくかもしれない。何故ならば、電気自動車の性能向上にはガソリン車以上に車体重量軽減を欠かすことができないからだ。18世紀の産業革命以来の製造業の変革が迫っているように思える。


 電気自動車の時代になれば、自動車産業のすそ野に広がる産業群の 3 分の 2 は不要になるだろう、と書かれています。



 現在、電気自動車は、自動車産業が目指すべき、新しい分野と見なされています。

 しかし、この予測が正しければ、電気自動車が普及したところで、( 日本の製造業にとって ) 未来は暗い、と予想されます。



 私は、電気自動車の時代になるかどうかはわからないものの ( ガソリンエンジンは結構しぶといと思います ) 、もしなれば、日本は、壊滅的なダメージを蒙るのではないかと思います。

 部品点数が減り、不要になる部品を作っていた会社が倒産するから、というのも理由ではありますが、問題は、それだけにとどまりません。



 いまの車は、ガソリンで走っています。つまり、エンジンを搭載し、エンジンが、ガソリンを推進力に変えています。しかし、電気自動車になれば、電気で走るのですから、当然、モーターを搭載し、モーターによって、電気を推進力に変えることになります。

 ここで重要なのは、エンジンは部品の 「高度な擦り合わせ」 が必要とされており、作るためには、一定の技術力が必要とされるのに対して、モーターであれば、そこまで高度な技術力は必要ない、ということです。極端な言いかたをすれば、いまのコンピュータが部品を組み合わせるだけで作れてしまうように、電気自動車も、部品を組み合わせるだけで、簡単に作れてしまう。



 このことが意味するのは、なにか。

 それは、日本企業が得意とする、「擦り合わせ」 の技術が ( かなりの程度 ) 無意味になる、ということなのです。

 電気自動車は、部品を組み合わせれば、( そこそこの技術力で ) 誰でも作れてしまう。となれば、日本メーカーの優位性が失われ、中国などのメーカーに負けてしまう可能性が高くなります。電気自動車は、「日本の活路」 と捉えられがちですが、じつは、「日本の末路」 になる可能性が高い。日本にとって、最悪の状況になりかねないのです ( 安くなり、環境にもよいので消費者にはよい ) 。



 いまは、ハイブリッド車の段階ですから、日本に優位性があります。しかし、電気自動車の時代になれば、日本はどうなるのか、それを考えておく必要があると思います。

「流動性の罠」 対策

2009-10-29 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.101 )

 危機克服策として、一連の金融システム安定化策だけで十分かと言われると、そうではない。その理由は、いったん金融システム機能の毀損が原因で深刻な景気悪化に見舞われた場合、企業倒産の増加等によって、新たな不良債権が金融機関内に蓄積され、それが金融機関の自己資本を毀損させ、さらに金融システムの機能を低下させるという負のスパイラルに入ることが多いためである。
 この局面では、金融システムの機能回復のために金融機関に資本を注入したり、不良債権を政府が買い取ったりしても、金融機関にとっては、新たな投融資案件のほとんどが、わざわざ不良債権を拡大させるような案件になっているケースがほとんどである。そのような状況では、金融機関は積極的に貸し出しを増やそうとはしないだろう。
 金融機関がなるべくリスクを回避しようと考え、しかも、少額でもいいからリターンを稼ごうと考えたなら、投資先は国債(国の借金)しかない。このため、金融機関は国債を選好し、長期金利(国債の利回り)は急低下する。しかし他の投資案件には資金が回らない状況が続き、国債の利回りだけがどんどん低下していく。これがいわゆる「流動性の罠」である。
 この場合、政策当局が景気浮揚のためにできることは、財政支出である。ところが、生半可な財政支出(国の事業)では景気は浮揚しない。この段階に入ってしまうと、借り手である家計や企業も、借金の返済を優先させるためである。
 財政支出が景気を浮揚するのは、財政支出として出したおカネを受け取った企業や従業員(家計)が、そのおカネを支出することで、資金が流通するからである。ところが、借金返済を優先させると、財政支出として支給されたおカネは、早い段階で借金の返済として金融機関に戻ってしまう。筆者はこれが、1990年代の日本で、公共投資の乗数効果が低下した主な理由であると考える。
 重要なことは、これまでの常識を覆すレベルでの財政支出を行い、そのための資金を中央銀行が積極的に供給することである。「流動性の罠」の状況では、金利水準はもはや関係ない。できるだけ大量の資金を市中に供給して、これを支出するように仕向けることが必要である。

(中略)

 前述のスウェーデンやフィンランドのケースでも、金融システム安定化のための措置と同時に大胆な金融緩和を進めており、この結果、両国の為替レートは大きく下落している。これは、金融緩和が両国の経済にとって有効であると市場に認識されたためである。もし、有効でないと解釈されたならば、デフレ的な状況の継続から為替レートは上昇するか、あまり動かないはずである。


 「流動性の罠」 の状況においては、金融機関は国債を選好し、他の投資案件には資金が回らない。したがって、政策当局による財政支出しかないが、生半可なレベルの公共投資では、景気は浮揚しない。できるだけ大量の資金を供給しなければならない。その際、為替レートが大きく下落するレベルが、供給資金量の目安となる、と書かれています。



 これはその通りだろうと思います。

 しかし問題は、日本の場合、(1) 経済成長の余地があるのか、(2) 国債発行余力があるのか、です。



 (1) 経済成長の余地があるのか、については、

 「構造改革否定論の概要」 で紹介した、成長の余地はある、という楽観的な見解もありうるとは思いますが、

 「雇用問題の根源 ( 転職は可能か )」 で引用した、すでに成長の余地はない ( 低い ) という悲観的な見解のほうが、説得的だと思います。

 すなわち、日本経済については、「動学的効率性の条件」 が満たされていないのではないか、と思います。



 (2) 国債発行余力があるのか、については、

 私は、まだ日本には余力がある、と思っていましたが、このところ、金利が上昇しつつあり、すこし怪しくなってきています ( 下記報道記事参照 ) 。

 やっぱり 「マンデル・フレミング理論」 は正しかったのか、とも思わされます。

 しかし、日本には、国債のほかには、めぼしい投資先はほとんどないと思います。したがって、金利は大幅には上昇せず、比較的低い水準に留まるのではないかと思います ( 「マンデル・フレミング理論と動学的効率性の条件」 参照 ) 。



 結局、日本の場合、国債発行余力はあるものの、経済成長の余地に乏しいために、一時的な景気浮揚効果しか見込めないのではないかと思います。たんなる、金融危機による景気後退であれば、著者の対策は有効かとは思いますが、日本の状況は異なっており、効果に乏しいのではないかと思います。

 もっとも、効果に乏しいからといって、しなくてよい、ということではありません。雇用確保なども考慮しなければなりません。私としては、

   新しい産業を生みだす方向で公共投資を行うのが、いちばんよいのではないか、

と思います。



 本文中にて言及した報道記事を引用します (↓) 。



NIKKEI NET (日経ネット)」 の 「市場での国債増発、最大8兆円超に 長期金利上昇、1.4%台」 ( 2009/10/28 10:07 )

 市場での新規国債の増発が2009年度に最大8兆円超にのぼる見通しになった。税収の落ち込みが6兆円にのぼることに加え、個人向けの国債販売が予定を約2兆円も下回るためだ。長期金利の指標となる新発10年物国債利回りは27日、約2カ月半ぶりに1.4%台に上昇。歯止めのかからない財政拡大とそれに伴う国債発行の急増が、長期金利に上昇圧力をかけている。

 企業収益の悪化を背景に、09年度の国税収入は当初見通し(46兆1000億円)から6兆円以上落ち込みそう。財務省は落ち込み分の多くを償還までの期間が1年以下の国庫短期証券の増発で補う方向で検討する。10年物など国債の主要年限の発行量が飽和状態に近づいているうえ、市場関係者からも流動性の高い短期債の増発で対応するよう求める声が多いためだ。


北欧金融危機時の対策

2009-10-28 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.99 )

 このような金融システム安定化策は、戦後の金融危機の局面でも必ず実施されている。たとえば、1990年代前半の北欧の金融危機に際しても、金融システム安定化の決定打となったのは、政府による銀行保有債権の全額保証であった。
 1990年代のスウェーデンやフィンランドの金融危機のケースでは、92年8月、もしくは9月に政府が全銀行の全債権の保証を宣言したことがきっかけとなって、株式市場が底打ち・反転上昇した。これが景気回復と不良債権問題解決をもたらした(図表4-1・図表4-2)。
 ちなみに、現在アメリカで導入の可能性が高まっている不良債権買取機構(いわゆる「バッドバンク」は、北欧のケースでは、すでに株価や景気が底打ちを確認した1994年になって導入されている。つまり北欧では、さまざまな経済政策が実施され、これらの政策が効果を上げ始めてから、不良債権を健全債権と切り離す政策が発動されたのである。これは正しいタイミングであったと筆者は考える。
 よって、北欧のケースを手本にするのであれば、バッドバンク導入以前に金融機関の保有する債権の全額保証などを打ち出す必要があると思われる。ただ、財政負担の問題でそれができないのなら、時価会計およびMark-to-Marketの一時凍結という会計制度の見直しも政策としては仕方がないのではないかと思われる。


 北欧の金融危機のケースでは、政府による全銀行の全保有債権の全額保証が決定打となった、と書かれています。



 「1907 年恐慌時の対策」 では、金融市場への資金投入では終息せず、金融機関への資本注入によって終息し、「大恐慌時の対策」 では、不良債権の買い取りがなされたが効果を上げず、金融機関に対する資本注入によって、金融システムは安定化しました。どちらも、金融機関に対する資本注入が決定打となっています。

 ここから、債務者の立場が重要なのではないか、と ( 私なりに ) 分析したのですが、

 北欧のケースでは、銀行保有債権の全額保証が、決定打になっています。



 銀行保有債権の全額保証となると、債務は消滅しないので、上記 ( 私の ) 分析は誤りであったかとも思われます。

 しかし、債務者にとってみれば、あらたに、政府という最強の保証人がついたようなものであり、債務者にとって、利益であることには変わりありません。おそらく、政府が保証を履行し、代わりに弁済したケースも相当数、あったと思われますので、事実上、債務者の負担が軽減した、といってよいのではないかと思います。

 なお、政府が保証を履行した場合、債務者に対する求償がなされたのかどうかは、わかりませんが、おそらく、求償されなかったのではないかと思います ( 推測です。ご存知のかたがおられましたら、ぜひ教えてください ) 。



 と、書いていて、すこし説得力に欠けるかもしれない、と ( 自分で ) 思います。私の説が誤っているとすると、



 不良債権の買い取りは効果を上げず、保証が効果を上げたのは、なぜなのでしょうね? どなたか、ご存知のかたがおられましたら、教えてください。



■追記
 小淵政権で信用保証協会による信用枠拡充によって中小企業の倒産が激減したことを考えれば、債務者 ( あらたな借り手 ) 側の事情が重要であると考えられます。したがって、上記、私の分析は的確である、と考えてよいと思います。