言語空間+備忘録

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ルーズベルトの政策 ( 量的緩和 )

2009-10-30 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.103 )

 次に、ルーズベルトが大恐慌を克服するために何を行ったのかという点を考える。ルーズベルト大統領と言えば、「ニューディール政策」があまりにも有名である。テネシー川流域のかんがいのためにダムを建築し、これが新たな需要を創り出したとされている。
 この「ニューディール政策」は「古い」世界史の教科書では、公共投資による財政政策の成功例として取り上げられている。しかし実態はそうではないというのが、今日の経済学の「常識」である。ここではルーズベルトがとった大恐慌期の経済政策を、重要性の高いものから順番に指摘することにしよう。

(中略)

 このルーズベルトの「大恐慌克服宣言」を具体的に実行に移した政策の1つが、FRBによる量的緩和の実施であった(図表4-3)。
 実は、FRBの量的緩和は1932年の3月、すなわち、まだ共和党のフーバー大統領の政権の時から実施されていた。とくに1932年3月には連邦準備法が改正され(グラス=スティーガル法)、FRBは資金供給のために財務省の発行したアメリカ国債を買うことができるようになった。
 それまでのFRBは、企業の発行した手形を買うことでしか資金を供給することができなかった(真正手形主義、Real Bills Doctrine)。グラス=スティーガル法は、FRBの資金供給の余地が拡大した画期的な法改正だったが、残念ながら、大恐慌克服のための量的緩和には限界があった。なぜなら、アメリカは依然として金本位制を導入しており、アメリカ国内に流通する通貨の総量は、財務省の金保有額にリンクしていたからである。そのため、量的緩和の実施はしたものの、断続的、かつ小出しだったため、人々の期待を転換することはできなかった。
 ルーズベルトは1933年6月に金本位制を停止し、管理通貨制に移行した。これでFRBは金本位制の制約なしに大胆な量的緩和の実施が可能となった。財務省も、農業調整法(AAA)トーマス修正条項という法改正によって、大量の金を海外から購入する仕組みを作り、量的緩和に協力した。
 ルーズベルトは金本位制を停止したものの、政府内には、長年採用してきた金本位制的な通貨制度を維持しようとする動きがあった。当時の財務官僚であったモーゲンソーはこれを憂慮し、右のトーマス修正条項によって大量の金購入を実施し、ルーズベルトの量的緩和政策をサポートしたのである。
 また、この農業調整法トーマス修正条項には、リフレーション政策が必要であると大統領が認識したにもかかわらず、FRBがこれを拒否した場合、総額30億ドル(当時のGDPの約5%相当)の政府紙幣の発行が認められていた点も注目に値する。中央銀行が政府のリフレーション政策に反対した場合、政府が中央銀行に代わって通貨の供給を行う権限を有していたのである。これは当時のFRBにとっては脅威だったに違いない。FRBも量的緩和を実施せざるをえなかった。
 これにより、アメリカの株価は上昇に転じた。株価は量的緩和(図表4-3では総準備預金額に占める超過準備の割合でその程度を示している)の実施から約3ヵ月程度遅れて底打ちした。また株価だけではなく、インフレ率も半年間で前年比2・5%程度まで上昇し、ルーズベルトの約束は見事に果たされた。


 ルーズベルトの政策は、「ニューディール政策」 が有名であるが、実際には、公共投資による財政政策によって成功したのではない。実態は異なる、と書かれています。



 長いので、何回かに分けて引用することにします。

 ここでは、

  1. 大恐慌克服宣言 ( コミットメント )
  2. 量的緩和の推進

が挙げられています。量的緩和の推進については、
  • 中央銀行の国債購入 ( フーバー政権時から実施、グラス=スティーガル法 )
  • 企業の発行した手形の購入 ( グラス=スティーガル法以前 )
  • 金本位制の停止、管理通貨制へ移行
  • 政府紙幣発行の道を拓いた

が記載されています。

 彼は量的緩和推進のために、金本位制を停止し、政府紙幣発行の道を拓いたわけですね。



 いまの日本について考えれば、政府紙幣の発行は、有力な候補たりうると思います。政府紙幣発行には、反対意見もありますが、ルーズベルトの政策を参考にするなら、

 「リフレーション政策が必要であると大統領が認識したにもかかわらず、FRBがこれを拒否した場合、総額30億ドル(当時のGDPの約5%相当)の政府紙幣の発行が認められていた」 とあるので、

 一定の枠内に限れば、発行を認めてもかまわない、と考えられます。もっとも、

 「これは当時のFRBにとっては脅威だったに違いない。FRBも量的緩和を実施せざるをえなかった。」 とも、書かれているので、

 実際には、政府紙幣は発行されなかったのかもしれませんが、量的緩和を推し進める原動力になったことは、間違いないと思います。



 政府紙幣の発行は、「日銀の独立性」 が問題となりますが、一定の枠をはめたうえでなら、認める余地がありそうです。



 なお、ルーズベルトの政策は、公共投資による財政政策だったと 「古い」 「世界史の」 本には書かれているが、「経済学の」 世界では異なった捉えかたが常識だとされている旨の記述も、重要だと思います。