言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

「受け皿」 は問題にならない

2009-10-01 | 日記
la_causette」 の 「確かに道義的に言えば「詐欺」っぽいかも

 法曹養成制度改革が失敗に終わったことは一般メディアでも広く報じられるところとなりました。まあ,単年度合格率が2~3割程度に収斂していくこと,及び,その結果として必然的に相当数生ずることとなる受験資格喪失者の社会的な受け皿がないこと,需要を無視して水増しされた新規法曹資格取得者の相当数の社会的受け皿もないこと等は,最初からわかっていたことです。なのにどうしてこういう稚拙な制度改革が行われたのか,その過程で不当に利益を貪った者はいないか,民主党政権は十分に検証していただきたいところです。


 相当数生じる受験資格喪失者の社会的な受け皿がないこと、新規法曹資格取得者の相当数の社会的受け皿もないこと、をもって、稚拙な制度改革だった、と評価されています。



 要は、相当数の者は 「食えない」 ので、法曹養成制度改革が失敗だった、とされているのですが、この評価は早計だと思います。以下、場合を分けて記します。



(1) 新規法曹資格取得者の ( うちの ) 相当数につき、社会的受け皿がないことについて

 そもそも、

   資格があること = 確実に収入が得られること 「ではない」

と思います。資格があれば一定の収入が得られて当然、という考えかたは、一般的とはいえないと思います。

 もっとも、弁護士の場合、資格を取得すれば、一定の収入が 「事実上」 保障されたも 「同然」 、といった状況が長年続いてきましたので、弁護士にとっては、「資格があること = 確実に収入が得られること」 なのかもしれません。

 しかし、弁護士資格というのは、一定の収入を保証する ( される ) ことを内容とする資格ではなく、「当事者その他関係人の依頼又は官公署の委嘱によつて、訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件に関する行為その他一般の法律事務を行うこと」 ( 弁護士法第 3 条第 1 項 ) を認められる資格にすぎないのですから、確実に収入が得られるか否かは、本来、別個の問題のはずです。

 したがって、新規法曹資格取得者の相当数の社会的受け皿がないからといって、稚拙な制度改革だった、と評価してはならないと思います。そもそも、弁護士については、就職せず、ただちに独立することも可能であり、「受け皿」 に固執する必要もありません。



(2) 相当数生じる受験資格喪失者の社会的な受け皿がないことについて

 これは、たんにいま、不況であるために、仕事がみつからないのかもしれません。好況時の状況がわからず、「詐欺っぽい」 とまで評価しうるかどうか、現時点ではわからないと思います。

 また、そもそも、法律分野の仕事に就く ( 企業の法務部などで働く ) 必要もないと思います。専門的な法律知識をもった営業マンがいてもよいはずです。多様な分野に、法律の専門教育を受けた者が存在することは、社会的に好ましいことではないかと思います。

 したがって、この点についても、改革が失敗だったとは評価しえないと思います。



 今年は合格者数が減ったと報道されていますが、その原因が、たんに受験者の能力不足によるのではなく、「受け皿」 に配慮した結果であるなら、それこそが問題なのではないかと思います。