言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

尖閣密約

2013-01-29 | 日記
西牟田靖『ニッポンの国境』( p.236 )

 前掲の『AERA』(2010年10月25日号)には、手品の種明かしのような情報がちりばめられていて、隔離態勢の様子を考える上で見逃せない。

 尖閣諸島周辺で起きたトラブルについて日本政府の対応方針は、保釣団体が島に大挙して押し寄せ、上陸者を出した1996年当時、「とにかく手を上げずに追い払う」であった。
「その後、警察庁と法務省、防衛庁などが『対処要領』を定め、警察か入管職員が現場の判断で身柄を拘束し、付近に上陸者の船舶があれば、強制退去させ、船舶がなければ逮捕する――ことにしていた」という。
 2004年の中国人活動家7人上陸の際、外務・法務・内閣官房など関係省庁の幹部は対応を協議、このままでは戦争になるという危機感を共有していたと、ある政府関係者は振り返っている。
「拘留が続けば、再び尖閣周辺に中国からの抗議船が来る。次にそれを守ると称して、軍が出てくる。そこまでいけば、お互い引くに引けない情況になってしまう」
 会議の結論は「逮捕はしたが、検察は勾留要請はしない。事態を長引かせてはいけない。そのまま、できるだけ早く強制送還にして、事態を沈静化する」と決まった。

 記事は「こうした一連の経緯の中で、日本の『沈静化路線』の方針は、日中両国間の『密かな約束』に "発展" した」と続いている。

★日本側は原則的に上陸しないよう事前に押さえる
★重大事案に発展しないかぎり日本側は拘留しない
★中国側は、抗議船団の出港を控えさせることなどを約束する

 また、同誌の2010年11月22日号には、「『逃げたものは追わない』がルールだった。ビデオ映像の中で、漁船は最後に逃げている」。その逃げた漁船を追いかけて捕まえた上で拘留する、という「暗黙の了解」破りをいくつも行っている。政府がかたくなにビデオの公開を拒否したのは、掟破りを中国側に知られることを恐れ、公開しなかったということらしい。


 尖閣諸島をめぐって、日中間に上記のような「密かな約束」つまり「密約」が形成されたという話は、日中両政府の行動を考えると「本当らしい」と思われます。

 しかし、これでは日本が本当に実効支配しているといえるのか、疑問が生じます。

 もちろん日本側は灯台を管理しているので、まったく実効支配していないとはいえないのですが、ロシアの北方領土に対する支配や、韓国の竹島に対する支配と比べると、日本側の「実効支配」は「いかにも弱い」感じが否めません。



 それでは、なぜ、「弱い実効支配」になっているのでしょうか?

 当時の軍事バランスを考えると、中国側の軍事力を恐れたとも考え難いことから、要は日本側が「とにかく戦争は嫌だ」と思っていたからではないでしょうか。

 しかし、戦争を避けるために自国(日本)の領土に日本人が上陸することを禁止することが最善である、という考えかたは、根本的に間違っているのではないかと思います。

 なぜなら、このような考えかたは、「戦争を避けるためなら、たとえ不当な要求であっても日本は相手に譲歩する」ということにほかならないからです。



 不当な要求に対して譲歩を繰り返していると、相手からますます不当な要求をされることになり、最後にはとても受け入れられない要求をされるようになるでしょう。そして最終的には、「我慢の限界」に達し、戦争に発展してしまうのではないでしょうか。

 第二次世界大戦はドイツの不当な要求に対し、他のヨーロッパ諸国が「戦争を避けるため」に譲歩を繰り返したことから始まりました。

 このことは、「戦争を避けるためなら、たとえ不当な要求であっても日本は相手に譲歩する」という日本側の方針が間違っていることを示していると思います。

尖閣諸島の住所

2013-01-25 | 日記
西牟田靖『ニッポンの国境』( p.206 )

 島への上陸方法を探しているうちに、雑誌や書籍で見つけたのが島の住所である。島の住所は南小島、北小島、魚釣島、久場島、大正島の順に、沖縄県石垣市字登野城2390~2394となっていた。登野城といえば石垣市役所近くの住宅街の地名である。そこと尖閣諸島がなぜかつながっている。
 何かわかるかもしれないと思って、法務局から土地登記簿を取り寄せた。すると、魚釣島、北小島、南小島の所有者は埼玉県の栗原國起(くにおき)氏、久場島は同県の栗原和子氏、大正島は国有地となっていた。地目は原野、栗原氏の元には三島だけで年間2256万円が総務省から支払われている、といったことが判明した。


 当然といえば当然ですが、尖閣諸島にも「住所」があるようです。

 この「住所」情報が、いつか、(誰かの)何かの役に立つかもしれないので、一応、引用しておきます。

竹島密約

2013-01-24 | 日記
西牟田靖『ニッポンの国境』( p.187 )

 日本と韓国が国交を正常化するために越えなければならないハードルのうち、最も難易度が高かったのが竹島問題であった。1962年9月に日韓の関係者によって行われた「(日韓)政治会談予備折衝第四次会議」の記録には、次のようなやりとりがあった。出席したのは井関祐二郎アジア局長、杉道助主席代表。韓国側は崔英澤(チエヨンテク)参事官、義煥(ベウイフアン)主席代表である。
井関 請求権問題が解決可能な段階に入れば、さまざまな問題が論議されることになるでしょう。竹島に関する問題もそのとき議論されることになります。

崔 また独島問題を持ち出すのですか。河野(一郎)氏は、独島は「国交が正常化されれば互いに譲ろうとしても、貰おうとしないくらいの島」という面白い表現をされました。(なのに)なぜまたその問題を言うのですか。

井関 実際、竹島はさほど価値のない島です。日比谷公園くらいの広さで、爆破してなくしてしまえば問題がなくなるでしょう。(以下略)
(前掲『竹島密約』より)
 また、1965年5月のラスク米国務長官、朴正煕韓国大統領の会談でも、似たような見解が示されている。
ラスク 独島・竹島には、韓国と日本が共同管理する灯台を立てて、島の領有権は決めない方がいいのではないでしょうか。

朴正煕 韓日国交交渉で暗礁となっている独島は、爆破してなくしたいですね。
(前掲『竹島密約』より)
 日韓の外交関係者のみならず、河野一郎や朴正煕といったキープレイヤーである大物政治家が「譲ろうとしても、貰おうとしない」とか「爆破してなくしたい」と似たような発言をしているのが興味深い。国交回復という大事業の完遂を「日比谷公園ほどの大きさしかないさほど価値のない島」が阻んでしまう歯がゆさから、つい「爆破」という過激な言葉を使ってしまったのだろう。逆にいえば、それだけ、この問題が難問である証拠でもあった。
 日韓首脳は「(竹島/独島という)島が国交正常化の妨げになってはいけない」との認識で一致する。そして、この案件の解決を「棚上げ」することで日韓は密約を結んだ。当時の様子を前掲の『竹島密約』から以下、引用する。
 河野一郎の密使役である宇野宗佑(そうすけ)、国務総理で日韓交渉の責任者である丁一権(ジヨンイルクオン)らが、密約会談にのぞんだ。なお、密約が交わされたのは1965(昭和40)年1月のソウルである。河野が用意したA4の紙4~5枚のうち、竹島に関する内容は、一つの大原則とイロハニからなる4つの条項が付属していた。
 竹島・独島問題は、解決せざるを持って、解決したと見なす。したがって、条約では触れない。

(イ) 両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反論することに異論はない。

(ロ) しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島を自国領として線引きし、重なった部分は共同水域とする。

(ハ) 韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない。

(ニ) この合意は以後も引き継いでいく。
「日韓基本条約」は翌2月に仮調印、そして6月、条約調印という流れで締結される。その4カ月の間に、どうやって密約という形をつけるのか、調整が行われた。そして、密約が公にならないように考え出されたのが、条約とともに調印された「日韓紛争解決に関する交換公文」という付随協定であった。
 日韓双方は、定型の書簡を交換する。双方とも、領有権を主張する内容の文面を出し合うものの、双方共にこれ以上の問題解決の進展を求めない。儀礼的な「空文」を交わすというものであった。日韓政府は問題解決のために一芝居打つことにしたのだ。
 1965(昭和40)年6月22日、日本と大韓民国は「交換公文」とともに「日韓基本条約」を正式に調印する。14年間にわたり、1500回以上の会談が繰り返されてきた日韓による国交正常化交渉はようやく幕を下ろすこととなった。


 日本も韓国も、竹島(独島)は重要ではない、存在しないほうがよいくらいの島だ、という認識で一致していたようです。

 だからこそ「現状維持」を基本線とする密約がなされた、という流れはわかりやすいのですが、



 この密約の内容はどうみても、「一方的に韓国側に有利」です。

 なぜなら、韓国側が密約を破って警備員の増強や施設の新設、増設を行った場合、日本側には、韓国を批判・非難する手段がないからです。たとえ日本側が「密約」を公表して韓国を論難したところで、韓国側に「密約」の存在を否定されてしまえば終わりです。

 逆に、日本側が密約を破って竹島を占領しようとした場合、それはあきらかな実力行使ですから、韓国側は密約の存在に言及せずとも日本を非難することが可能です。韓国としては、「日本の一方的な武力行使」として国際社会に訴えれば、それでよいからです。



 とすると、日本はなぜ、「日本に一方的に不利」な密約を結んでまで、韓国との国交を正常化しようとしたのかが、問題になります。

 日本としては、韓国との国交を急いで回復させる利点はなかったのではないかと (私には) 思われるのですが、これは私の理解不足なのでしょうか?

 なぜ、日本は (国益を犠牲にしてまで) 韓国との国交回復を急がなければならなかったのか、その事情をご存知のかたがおられましたら、ぜひ教えてください。

竹島問題で韓国が国際司法裁判所を避ける理由

2013-01-23 | 日記
 日本も韓国も、ともに竹島の領有権を主張しており、意見が一致していません。

 それでは国際司法裁判所で「公正に」解決すればよいと思われるものの、韓国はそれを避けようとしています。

 韓国はなぜ、裁判による解決を嫌がるのか?

 常識的に考えれば、韓国側が韓国の言い分は「通らない」と知っているからだと思われるのですが、韓国側の言い分は、微妙に異なっているようです。



西牟田靖『ニッポンの国境』( p.168 )

 繰り返すが、竹島問題が特殊なのは、実効支配している側が支配していない側を強く訴える点にある。では、なぜそのような行動に出るのだろうか。鬱陵島にある独島博物館の学芸員、李順子(仮名)氏にあらためて理由を尋ねることにした。
「これまで私たちは、この問題を放置してきました。しかし、日本に広がるナショナリズム、教科書問題、靖国問題などが韓国側のナショナリズムに火をつけ、それが今では最高潮に達したのです。日本はこの問題で国際裁判による解決を提案し続けていますが、日本の方が我が国に比べて国際的な地位は上です。それでは不利になるので、(私たちは)国民的な力を欲している。独島について政府より国民の方が盛り上がっているんです。一方の政府は(日本との友好を大事にしているから)そんなに問題視しようとはしていません」


 つまり、韓国人は国際司法裁判所を信頼していないということです。

 日本人の感覚で考えれば、強国であろうが弱小国であろうが、そんなことには関係なく、裁判は「公正に」なされるはずだということになりますが、

 韓国人は、当事者国の「国際的な地位」の如何によって、裁判の結果が異なると考えているわけです。



 たしかに東京裁判などの例をみれば、当事者国の「国際的な地位」の如何によって、裁判の結果が異なるという考えかたも成り立つように思われます。

 しかし、終戦直後とは異なり、現在の世界状況を前提に考えれば、韓国側の言い分は通らないのではないかと思います。

 そもそも、当事者国の「国際的な地位」によって裁判の結果が変わるという論理を前提とするかぎり、国際司法裁判所では公正な解決があり得ないということになります。これはすなわち、国際司法裁判所の存在そのものを否定することにほかなりません。

 しかし、国際司法裁判所の裁判官は多様な国々から選ばれており、かならずしも「強国」出身者ばかりではないことを考えれば、韓国側の論理は「言い訳」ではないかと思われてなりません。



外務省・国際機関人事センター」の「国際司法裁判所(ICJ)の概要(The International Court of Justice)」( 平成24年3月 )
◆国際司法裁判所裁判官の構成(2012年3月現在)

アジア:3 任期
シュエ Xue Hanquin(中) 2021年まで
小和田 Hisashi Owada(日) 2021年まで
空席

アフリカ:3 任期
セブティンデ Julia Sebutinde(ウガンダ) 2021年まで
ユスフ Abdulgawi Ahmed Yusuf(ソマリア) 2018年まで
ベヌーナ Mohamed Bennouna(モロッコ) 2018年まで

欧米・その他:5 任期
ガヤ Giorgio Gaja(伊) 2021年まで
バーゲンソール Thomas Buergenthal(米) 2015年まで
クリーンウッド Christopher Greenwood(英) 2018年まで
アブラハム Ronny Abraham(仏) 2018年まで
キース Kenneth Keith(NZ) 2015年まで

ラ・米:2 任期
トリンダー Antonio Augusto Cancado Trindade(ブラジル) 2018年まで
セプルヴェダ・アモール Bernardo Sepulveda-Amor(メキシコ) 2015年まで

東欧:2 任期
トムカ Peter Tomka(スロヴァキア) 2021年まで
スコトニコフ Leonid Skotnikov(露) 2015年まで




■関連記事
 「中韓は「法律論で日本と争えば自国が不利と知っている」

北方領土問題についてのダレスの見解

2013-01-15 | 日記
 以下の引用は、引用の引用になっていますが、どちらもアメリカのダレス国務長官(当時)の見解です。



西牟田靖『ニッポンの国境』( p.131 )

 千島列島をソ連に帰属せしめるということは、サン・フランシスコ条約でも決っていない。したがって日本側がソ連案を受諾する場合は、日本はソ連に対しサン・フランシスコ条約以上のことを認めることとなる次第である。かかる場合は同条約第二十六条が作用して、米国も沖縄の併合を主張しうる地位にたつわけである。ソ連のいい分は全く理不尽であると思考する。特にヤルタ協定を基礎とするソ連の立場は不可解であって、同協定についてはトルーマン前大統領がスターリンに対し明確に言明した通り、同協定に掲げられた事項はそれ自体なんらの決定を構成するものではない。領土に関する事項は、平和条約をまって初めて決定されるものである。ヤルタ協定を決定とみなし、これを基礎として論議すべき筋合いのものではない。必要とあればこの点に関し、さらに米国政府の見解を明示することとしてもさしつかえないという趣旨のことを述べた。
 重光外相はその日ホテルに帰ってくると、さっそく私を外相の寝室に呼び入れて、やや青ざめた顔をして、「ダレスは全くひどいことをいう。もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたら、沖縄をアメリカの領土とするということを言った」といって、すこぶる興奮した顔つきで、私にダレスの主張を話してくれた(前掲『モスクワにかける虹』より)


 上記引用文中にいう「ソ連案」とは、1955年(昭和30)年の日ソ国交回復交渉の際、ソ連側によって提示された歯舞・色丹島の返還を指しています。つまり2島を日本に返還し、国後・択捉島はソ連領とするという内容です。



 米国は、歴史上の事実を注意深く検討した結果、択捉、国後両島は、(北海道の一部たる歯舞諸島及び色丹島とともに)、常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国の主権下にあるものとして認められなければならないものであるとの結論に到達した。米国は、このことにソ連邦が同意するならば、それは極東における緊張の緩和に積極的に寄与することになるであろうと考えるものである。(データベース『世界と日本』より)


 ソ連が国後・択捉島を返還しようとしなかったのは、(ソ連側の主張によれば)国後・択捉島が千島列島の一部であること、およびこれらが軍事上重要な島であることが原因だと思われます。

 日本は当初、2島返還もやむなし、と考えていたようですが、アメリカが上記のような主張をしたため、4島返還でなければならない、という立場に変わったと思われます。



 ソ連としては4島返還は考えられないと思います。

 日本としては日米関係を重視せざるを得ない以上、(すでに沖縄は日本に返還されているとはいえ)4島返還以外は考えられないと思います。現にいま、日本政府は4島返還を主張しています。

 とすれば、北方領土問題はいつまでたっても解決しないことになります。