言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

中国による軍事侵攻などあるはずがない!?

2013-02-13 | 日記
仲村清司『本音の沖縄問題』( p.46 )

 二〇一二年年始に沖縄タイムスと琉球新報の地元二紙が県民の関心事項や意識を問う世論調査を発表している。そのなかに、沖縄に配備された自衛隊の将来を質問する項目がある。
 それによると、「いままで通り」が五七%(沖縄タイムス)、「現状維持のままででい」が四一・五%(琉球新報)となっている。両方の数字を平均すると約半数が現状維持を閉め、縮小(二三・〇五%=平均値)、強化・拡大(八・五%=平均値)をはるかに上回っている。

(中略)

 しかし、自衛隊に対する感情は地域によってかなり異なっている。意外に知られていないが、沖縄における自衛隊基地面積は那覇市を筆頭に沖縄本島が九割以上を占め、宮古島が二%、八重山諸島は〇%である。つまり、国境の島嶼(とうしょ)群である八重山諸島には戦後六十七年間にわたって自衛隊基地の存在しない歴史が続いているのである。
 したがって、地元二紙の統計に表れた数字も、市町村別に仔細に分析すれば、沖縄本島と宮古・八重山諸島などの先島(さきしま)では、かなり違っていることが考えられる。

(中略)

 二〇一二年一月三日付、沖縄タイムスの「本土復帰40年 沖縄の自画像」という連載企画の記事には次のような発言が掲載されている。
「米軍基地の負担を強いられている本島と、米軍や自衛隊基地がなく中国の脅威にさらされている八重山とでは、国防や平和のあり方に対する温度差はある」
 語り手は石垣市議で八重山防衛協会事務局長を務めている砥板芳行(といたよしゆき)氏である。「中国の脅威」とはいうまでもなく、尖閣諸島問題や中国漁船衝突事件を指している。
 常識的にみて、中国が先島や尖閣諸島に軍事侵攻することなどあり得るはずがないが(もしそんなことがあれば地域紛争どころではすまなくなる)、政府は自公政権の頃から先島地域に陸上自衛隊の配備計画を検討してきた経緯がある。
 配備先として真っ先に候補にあがったのは八重山諸島の最西端にある与那国島である。二〇〇八年九月、与那国町議会は与那国防衛協会の「自衛隊誘致に関する陳情」と自衛隊誘致に関する要請決議を賛成多数で採択・可決した。背景には島の過疎化対策と補助金の交付金などへの期待があった。

(中略)

 一方、島民の民意は真っ二つに割れた。署名運動も展開され、誘致反対署名が賛成署名を上回るなど民意は逆転し、二〇一一年一一月には反対デモ行進が実施された。与那国島ではデモそのものが行われること自体、史上初めてというから、歴史的な出来事といっていい。
 こうして国境の小さな島は住民同士が対立を激化させて現在にいたっているが、過疎化ゆえの島の貧しい経済を背景に、国防を唱える人たちの意向が、ありもしない「脅威」を煽って(あおって)南西諸島方面の防衛力強化を狙う政府の思惑と一直線につながってしまったといっていい。


 著者は中国が尖閣諸島や先島諸島に軍事侵攻することなど「あり得るはずがない」と決めつけていますが、「可能性は十分ある」と考えるのが当然だと思います。

 相手(他国)がどう行動するか、わからない以上、「あり得るはずがない」と考えるのは危険で、「その可能性はある」と考えておくのが当然です。

 もしも軍事侵攻された場合、私達国民の「生命」にかかわります。

 したがって軍事侵攻など「あり得るはずがない」と簡単に決めつけるのではなく、「その可能性はある」と考えたうえで、万一に備えて対策を練り、準備しておくのは当然でしょう。



 次に、著者が中国による軍事侵攻が「あり得るはずがない」と考えている理由は、「もしそんなことがあれば地域紛争どころではすまなくなる」です。

 たしかに地域紛争どころではすまなくなるかもしれません。

 しかし、だからといって、中国が軍事侵攻を開始しないという保証にはなりません。

 中国は日本の方向に向けてミサイルを配備しています。そして、中国は核(兵器)を保有しています。それを考えれば、著者の考えかたには同意し難いです。



 最後に、過疎化ゆえの島の貧しい経済を背景に、与那国島の民意が割れた、という点についてですが、

 かりに中国による軍事侵攻が「あり得るはずがない」としても、島の経済にとってプラスになることは間違いない以上、論理的には、自衛隊の誘致に反対する必要はありません。

 中国による軍事侵攻があり得るならば、安全(防衛)のために、自衛隊の存在は必要であり、なおかつ、島の経済にも有益。

 中国による軍事侵攻があり得ないとしても、自衛隊の存在は島の経済に有益。

 とすれば、軍事侵攻が「あり得る」「あり得ない」、そのどちらであっても、自衛隊の誘致に賛成することが、合理的な選択になります。誘致に反対することなど、論理的に考えられません。



 もちろん基地が存在することによるマイナス面があることは承知していますが、マイナス面にばかり目を向け、中国による軍事侵攻から人々を守るという自衛隊の存在意義(プラス面)には、まったく目を向けようとしない著者の姿勢には疑問を感じます。

沖縄のアイデンティティー ~ 沖縄からみた「沖縄復帰」

2013-02-01 | 日記
 基地問題など、沖縄の人々はどう思っているのか、それを知ることは有益だと思います。そこで、沖縄の人が「本音」だと断ったうえで書いた本を引用します。



仲村清司『本音の沖縄問題』( p.7 )

 一九七二年五月一五日、沖縄の施政権が米国から日本に返還された。その日のことは鮮明に覚えている。
 一日中繰り返された「沖縄復帰記念式典」のニュースのたびに違和感を覚えるシーンが放送されていたからである。
「日本国万歳!」「天皇陛下万歳!」
 日本武道館で催されたその式典で、佐藤栄作首相は壇上に掲げられた巨大な日の丸を背にして、高らかに万歳を三唱した。
 それまで特攻隊が出撃する場面を描いた戦争映画などでしかそのような光景は目にしなかったように思う。
 その日祝福されるはずの沖縄ではなく、なぜ日本と天皇が万歳なのか。当時は中学三年生であったが、ガキなりに心にひっかかったのだ。復帰というと、いまでもそのシーンが脳裏によみがえる。


 私は、沖縄復帰に際して、「日本の首相」が「日本国万歳!」と万歳を三唱することは、ごく自然なことだと思いますが、著者は違和感を感じたと述べています。

 その理由は、著者が「沖縄は日本(の一部)ではない」と思っているからではないでしょうか。

 もちろん著者も、歴史的経緯等をご存知ですから、完全に「日本ではない」と思っているわけではないと思いますが、本音の部分では、「日本ではない」と思っているのではないかと思います。

 つまり、(日本の一部だと) 頭ではわかっていても、心では否定しているといった状態だと思います。




同 ( p.13 )

 沖縄では住民が家や食糧を提供し、本来非戦闘員の少年少女までが従軍し、後世、大宅壮一に「動物的忠誠心」と称されるほどまで日本軍に挺身(ていしん)した。
 にもかかわらず、住民はその日本軍によって監視され、スパイ扱いされた。語り継がれている住民虐殺や集団自決を、祖父はどの時点でどのような思いで聞いたかどうか。
 住民は敵だけでなく友軍からも身をまもらなければならないほど追い詰められた。事実、沖縄に残された祖父の親族や知人の多くが犠牲になっている。その人たちがどのような最期を迎えたのか、それすらもわかっていない。
 ところが、日本は蹂躪(じゅうりん)のかぎりをつくした沖縄を住民丸ごと敵国に売り飛ばし、その後二十七年間にわたって米国の軍政下においたのである。
 日本人より日本人らしく生きた祖父にとって、沖縄を捨て駒にしたこの国家はそれでも「祖国」なのか……。


 沖縄が日本の一部だと、頭ではわかっていても、心では否定している理由は、「日本(本土)は沖縄を本当の意味では日本の一部だと思っていない」ということのようです。

 沖縄の人々は、本土の人々に差別されてきた。本土の人々は、いざというときには、沖縄を捨て駒にする。

 だからどうしても、沖縄が日本の一部だとは感じられない (または、思いたくない) 。



 この気持ちは、わかる気がします。

 ただ、日本は「沖縄を住民丸ごと敵国に売り飛ばし、その後二十七年間にわたって米国の軍政下においた」「日本は沖縄を捨て駒にした」という著者の言い分は、半分正しいけれども、半分間違っていると思います。

 なぜなら、日本(本土)からすれば、「やむをえなかった」ということになるからです。



 もちろん、著者が(言外に)言っているように、「沖縄は別」「いったん米国の軍政下におくこともやむをえない」という気持ちが当時の日本人のなかにあったのかもしれませんが、

 それと同時に、「やむをえなかった」「捨て駒にしたのではない」というのも、真実だと思います。



同 ( p.17 )

 その沖縄は今年(二〇一二年)で復帰四十年を迎える。
 地元の沖縄タイムスと琉球放送が合同で実施した県民意識調査(二〇一二年一月三日発表)によると、「復帰してよかった」と答えた県民は約九割に達している。「復帰してよくなかった」と答えた人はわずか二%でしかない。
 圧倒的といっていい肯定的な評価に驚かれる人も多いのではないか。
 周知のように、基地の移設をめぐって沖縄問題が深刻な争点になっている。しかも、沖縄の負担をいっこうに理解しようとしない内地に対して、沖縄県民は不信の目を向けていることが繰り返し報道されている。
 「復帰」に対する評価はそれほど高くないのではないか、と考えるほうが素直な感覚といっていい。
 加えて日本復帰に際しては核兵器の持ち込みや、軍用地の復元費などをめぐって、さまざまな密約が日米両首脳の間でかわされていたことも明らかになっている。
 返還交渉の初発段階で沖縄はすでに裏切られていたわけだが、日本政府の沖縄に対する嘘やだましは二度や三度ではない。
 普天間基地移設問題では「最低でも県外」と明言した鳩山由紀夫首相が、「辺野古(へのこ)現行案」に回帰するという極めつきの公約違反までやってのけた。このときには「平成の琉球処分」という声まであがったぐらいで、県民にとって忘れられない日となった。
 にもかかわらず、県民のほとんどがその国家への帰属を肯定する回答を示したのである。どうにも理解に苦しんでしまうが、実のところ、「復帰してよかった」という回答は過去実施したどの世論調査をみても高い。
 NHKが実施している県民意識調査によれば、本土復帰の感想について「よかった」と答えた人は一九八二年の調査で六三%、九二年が八一%、復帰して三十年後の二〇〇二年が七六%と、いずれも高率で推移している。
 一方の「よくなかった」は一九八二年が三二%、九二年が一一%、二〇〇二年が一三%ときわめて低率である。


 著者は「沖縄復帰」に対して、どちらかというと否定的な考えかたをされているようですが、

 沖縄県民の圧倒的大多数は「復帰してよかった」と思っているようです。

 したがって沖縄の人々の圧倒的大多数は、「沖縄は日本の一部である」ことを肯定しているということになります。



 とすれば、著者の考えかたは「特殊」な「少数意見」だともいえるのですが、

 「復帰してよかった」と思っている人々も、その心中には複雑なものがあるのではないかと思います。

 そこで、沖縄の人々の「気持ち」を理解するために、以後、この本を引用しつつ、考えたいと思います。