言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

デフレ脱却手段と新日銀法

2012-03-31 | 日記
岩田規久男 『デフレと超円高』 ( p.12 )

 日本は少子・高齢化が急速に進み、生産年齢人口が減少する時代に入った。そうであれば、本来、労働市場は人手不足で、「売り手市場」になるはずである。ところが、実際に起きているのは、就職氷河期に象徴される「買い手市場」で、大量の就職浪人の発生である。一体、どうしてこんな馬鹿げたことが起きるのであろうか。
 たまたま、高校や大学を卒業したときが不景気のために、正社員になれなかった人の多くは、セカンド・チャンスがほとんどないため、一生、非正社員として働かなければならない。正社員と非正社員の生涯所得には約二・五倍もの格差がつく(〇九年度年次経済財政報告による)。
 以上のような雇用状況では、多くの人が将来不安から、財布の紐を締めて、支出を控える。その支出の抑制がデフレを促進する。とくに、若い人には希望がなく、かれらが内向きになるのも当然である。
 菅直人首相は「一に雇用、二に雇用、三に雇用」といって首相になった。しかし、政府には雇用を増やす手段はほとんどない。なぜならば、雇用が悪化しているのは、デフレと超円高のためだからである。そして、超円高の原因はデフレである。
 政府にできることは、税金を使って、デフレと超円高で悪化する雇用の痛みを和らげることくらいしかない。経済界は政府に成長戦略を求めているが、デフレと超円高のままでは、どんな成長戦略をとってもその成果は望めない。それは、成長戦略とは、規制緩和などによって供給能力を増強する政策だからである。日本経済はデフレと超円高で、大幅な需要不足である。需要が大幅に不足しているときに、供給増強政策をとれば、ますます、需要が供給に対して不足するようになり、雇用が悪化するだけである。
 成長戦略が成果を上げるためには、まず、デフレを止めなければならない。デフレを止めれば、円高も止まる。
 デフレと超円高を止めることができる唯一の機関は、政府ではなく、日本銀行である。これを逆に言えば、デフレと超円高をもたらしている真犯人は、日銀だということである。
 本来、政府が日銀の政策目標を決め、その目標達成を日銀に義務付けなければならない。つまり、本来、日銀には金融政策の目標を決定する自由はなく、あるのは、目標を達成するための手段を選ぶ自由である。これが、政府からの日銀の独立の本来の意味である。すなわち、右の意味で、日銀は政府の子会社であり、親会社の政府の目的に従わなければ、国家経営は成り立たないのである。
 ところが、一九九八年から施行された「新日銀法」は日銀に目的達成の手段だけでなく、政策目標の決定についても政府からの独立を認めてしまった。そのため、それ以後、日銀はなんらの責任も取ることなく、「いいたい放題、やりたい放題」の独善的機関になってしまい、子会社の日銀が多少とも「デフレ脱却」のポーズをとると、親会社の社長や取締役段「ご協力いただいて、感謝します」という始末である。親会社が子会社をコントロールできない会社がまともな経営をできるはずがない。

(中略)

 本書は、日銀の金融政策をどのように変えれば、デフレと超円高から脱却して、雇用も、財政も、年金も大きく改善できるかを明らかにしようとするものである。
 とくに、本書で強調していることは、デフレ下の金融政策とは、人々の間におだやかなインフレ予想の形成を促すことによって、デフレと超円高から脱却する政策である、という点である。


 デフレを止めれば、円高も止まる。デフレを止めれば、成長戦略も効果を上げる。デフレを止められる唯一の機関は、日本銀行である。日銀の金融政策が決定的に重要である、と書かれています。



 最近、日本銀行の金融政策が微妙に変わり、日本の経済状況は好転しつつあると思われますが、

 その理論的背景を把握しておくことは大切なので、以後、この本を引用しつつ、考えていきたいと思います。

 とはいえ、いまでは重要性は低下しつつあると思われるテーマなので、なるべく早く次のテーマに移りたいと思います。



 なお、今回の引用部分を読むかぎり、現行日銀法は、「日銀に目的達成の手段だけでなく、政策目標の決定についても政府からの独立を認めて」いる、と理解してよいようです。

 しかし、この部分の要点は、法解釈ではなく、現行法の問題点の指摘だと思います。つまり、学問的には、政策目標の決定については中央銀行に自由はない、とすべきだという考えかたが主流である、という部分が重要だと思います。

国連は日本を守ってくれない

2012-03-04 | 日記
リチャード・L・アーミテージ ジョセフ・S・ナイJr 春原剛 『日米同盟 vs. 中国・北朝鮮』 ( p.269 )

春原 ご存じだとは思いますが、民主党の小沢一郎元幹事長は日本の安全保障政策において、国連という存在を日米同盟と最低でも並立、あるいは相殺させる方向に使う考えを持っていると思いますが……。

ナイ ええ、知っています。しかし、実際にはそのようになると思ったことは一度もありません。私が日米同盟体制の再確認作業にあたった一九九〇年代半ば、当時の「樋口レポート(防衛問題懇談会の報告書)」には「日本が安全保障の面で国連に依存できる」という考えもありましたが、それは間違っていると思いました。国連は絶対に日本を守ってはくれません。日本防衛のためには米国との同盟体制が必要なのです。

(中略)

アーミテージ 「樋口レポート」について、私はそれほど懸念しませんでした。結局、それはどこにも行けない(成功しない)ですから。そう言えば、小沢氏は自民党時代から「国連第一、国連第一」と言っていましたね。だから、私はこう言ってやったのです。「国連が米国のように確かに日本を守ってくれると確信しているのなら、それでも結構ですよ。しかし、国連安保理は投票で行動を決めるのです。日本防衛のための軍事行動を中国やロシアが承認すると思いますか」とね。そんなこと(国連中心主義)はもちろん、確かなことではありません。一方、米国(日米同盟)については確信を持てるでしょう。ですから、あの頃から私と小沢氏の間には大きな違いがあったのです。


 国連は日本を守ってくれない。なぜなら、国連が軍事行動を起こすためには、国連安保理の承認が必要だからである、と書かれています。



 これは説得力がありますね。



 いまの国際状況で、日本を侵略するとすれば、中国かロシアだと思います。

 しかし、中国もロシアも国連安全保障理事会の常任理事国です。中国とロシアには「拒否権」がありますから、中国かロシア、どちらが一方が「拒否権」を行使すれば、国連は日本防衛のために軍事行動を起こせません。

 中国が日本を侵略しようと軍事行動を起こし始めたときには、中国は拒否権を行使するはずですから、国連が日本防衛のために行動を起こすことは不可能です。

 同様に、ロシアが日本を侵略しようと軍事行動を起こし始めたときには、ロシアは拒否権を行使するはずですから、国連が日本防衛のために行動を起こすことは不可能です。

 したがって、どうしても、日本防衛のためには、日米同盟と、米軍の存在が不要不可欠です。



 もちろん、日本自身が軍事力を強化して、米軍がいなくても自力で日本を守れるなら、それに越したことはありません。しかし、ただちにそれを実現するのは、現実的ではないと思います。



 とすると、最終的に、現実的な選択は、日米同盟の継続・在日米軍の肯定以外には、考えられません。

 一部には、米軍不要論・日米同盟不要論もありますが、それはあまりにも非現実的で、無責任な考えかただと思います。



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 「在日米軍の「人質」としての側面
 「拡大抑止力の概念

在日米軍の「人質」としての側面

2012-03-01 | 日記
リチャード・L・アーミテージ ジョセフ・S・ナイJr 春原剛 『日米同盟 vs. 中国・北朝鮮』 ( p.201 )

春原 話がだんだん佳境に入ってきました。そこでお聞きしたいのは今、ナイ教授が言われた「核の傘」、あるいは「拡大抑止力」と呼ばれる政策の信用力・信頼性の問題です。歴代米政権は一貫して「日本への『核の傘』に問題はない」と公言していますが、一方で中国の核戦力近代化や北朝鮮の核開発問題など新しい現実に十分、対応しているのかという不安が残るのも偽らざる本音なのですが……。

アーミテージ だから、そこで重要なのが沖縄に駐留する米海兵隊の存在と核抑止力の関係なのです。

春原 それは普天間基地をはじめ、沖縄に駐留する米海兵隊が日本にとっては実質的な「人質」となっていて、それをもって「核の傘」の信頼性を担保しているという考え方ですね。

ナイ 冷戦時代のベルリンを想像してみてみてください。人々は皆、「ベルリンのために米国はニューヨークを犠牲にはしない」と言っていました。ちょうど、「東京のためにロサンゼルスを犠牲にはしないだろう」と言うように。しかし、過去四十年間、我々が言ってきたのは、「我々はベルリンを守る。そして、ベルリンに駐留している米国の部隊がその防衛を担保している」ということです。

春原 しかも当時、ベルリンに駐留していた米軍は小規模なものでしたよね。

ナイ とても小さいものです。せいぜい、一個大隊、数千人程度でしょう。そもそも彼らは元来、ベルリン防衛のためにいたわけではないのです。ですから、ロシア人たちが彼らを追い出そうと思えばいつでもできました。ただ、実際にはロシア人が米兵を殺りくした場合、米国は必ずそれに対して報復したことでしょう。ロシア人もそれをわかっていて、だから我々は効果的にソ連を抑止することができたのです。ドイツにおいても核の抑止力を強めたのは、ベルリンに中距離弾道ミサイルを配備することではなく、米軍をそこに維持しておくことだったのです。今日、そのロジックは日本にも当てはまります。

春原 その「ロジック」とは沖縄に駐留する米海兵隊のことを意味しているのですね。

ナイ ええ、沖縄の海兵隊はその好例です。もちろん、青森県の三沢基地や横須賀基地なども含まれます。これらの基地、米軍兵力はいずれも日本にとって、米国の核の抑止力を最も強く担保してくれるものなのです。

アーミテージ 私はそれを「人質」とは言いませんよ。もし、米海兵隊に所属する我が国の青年、婦女子たちが日本防衛のために命を落とすようなことがあったとすれば、それは我々の核抑止力の信頼性を増すことになるでしょう。もし、通常兵器の戦闘によって彼らが命を落とすようなことになるのなら、我々は迷うことなく「核の傘」を日本の空の上に広げ、日本全土と彼ら(米海兵隊員)を守ります。私が言わんとしたのは、そういう色々なニュアンスのこもったメッセージであり、単純に「人質」というわけではありません。

春原 極めて高度な政治的メッセージですね。

アーミテージ その通りです。

春原 にもかかわらず、鳩山・民主党政権は当初、沖縄米軍・普天間基地の移設先として「国外」を主張していました。まあ、後に鳩山由紀夫前首相は「抑止力の意味がわかった」と述べていたので、少し考えを変えたのかもしれませんが……。

ナイ 日本の政治家やジャーナリストはその点をもう少し日本の世論に伝えた方が望ましいですね。つまり、沖縄に駐留する米軍は基本的に「人質」の役割も兼ねているのです。


 在日米軍には、「人質」としての側面がある。つまり、米軍が日本に駐留している以上、日本が攻撃されれば彼ら米海兵隊員も犠牲になる。だからこそ、米国は「必ず」報復するとわかるはずである(=信頼に値する)、と書かれています。



 この論理は説得力がありますね。

 米軍は本当に日本を守ってくれるのか、という疑問への答えとして、これ以上に説得力のある理由は、おそらく存在しないと思います。



 この論理が、日本人によって説かれているのを読んだこともありますが、日本側がこの論理を「大々的に」主張してよいのかは、やや疑問なしとしません。

 しかし、この論理が、米国人によって、それも(米国の)安全保障専門家によって説かれており、それを「紹介する」なら、問題はないと思います。

 このあたりの(私の)感覚は、日本人なら、わかると思います。



 この論理は、日本の一部にみられる「米軍不要論」が誤りであることを示していると思います。



 ブログは本来、「自分の」意見や主張を表明する場だと思いますが、上記論理は重要なので、多くの人に知ってもらいたくて引用・紹介しています。



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