我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

舞子砲台跡と、勝海舟と坂本龍馬が宿泊したかも?の大蔵宿場街

2018年02月03日 | MT-03・ツーリング
今日は、いつものようにMT-03の充電ために近くをブラり・・・なんですが、先ずは水曜日の皆既月食の模様を紹介です。

こんな感じで欠けていきました。(カメラはコンデジのTZ60)












赤いブラッドムーンを撮りたかったのですが、寒さで手が震えカメラで捉えることが出来ませんでした(手持ちでは不可)。さらに暗いため、失敗した画像もISO値が上がりザラザラ・・・やはりGX7+350mmズームレンズを用意すべきでした。

それでは本題に戻り、3週間前と同じ明石海峡大橋が架かる舞子に到着です。今日の目的はMT-03のバッテリー充電のためのチョイ乗りですが、ちょっと寄り道しましょう。



ここは舞子砲台跡です。8年前にNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放送されている時にもこのブログで紹介しましたが、あらためて寄ってみました。






大砲のようですが、実はベンチです。



舞子砲台とはウィキには以下のように紹介されていますが、あるサイトには海軍操練所の一員であった坂本龍馬が勝海舟に随行したとも紹介されています。

幕末の文久3年(1863年)、将軍徳川家茂による大坂湾の海防状況視察の際に、砲台拡充の幕命を受けた明石城主松平慶憲により築造された。
工事は勝海舟の設計・総指揮、設備担当は幕使佐藤與之介、施工は明石藩で、ほか神戸海軍操練所等の協力による。竣工は1865年。
建設の目的は、淡路島北端の徳島藩松帆台場跡と対になって両岸から明石海峡を通過する黒船を挟撃することであったが、一度も使用されることはなく現在に至っている。


説明パネルも置かれています。









このあたりが当時のまま保存されているようですが、よく分かりません。^^



舞子砲台跡の次に到着したのは、明石の大蔵宿場街です。舞子砲台跡からは4kmぐらい離れたところですが、この道路が旧西国街道ということで、街道沿いには参勤交代などで宿泊する宿が並んでいました。



今や宿場街の面影は僅かです。この建物を含め、2棟だけが残っているぐらいです。









かなり以前に発売されたバイク雑誌にも、前述の勝海舟と坂本龍馬の舞子砲台のことが紹介されていましたが、そのバイク雑誌ではこの宿場街に勝海舟と坂本龍馬が宿泊し、舞子砲台の工事監督を行ったとのことです。されど特に記録などは残っておらず、「宿泊したかも?」ですね。^^

それでは、少し早いですが昼食にしましょう。到着したのはR175沿いの「ずんどう屋ラーメン」(神戸西店)です。私が所属する播州支部のメンバーや、バイク友&ブロ友である京都のピィさんが行っていましたので、私も寄ってみました。(^^)



店内は麺を「すだれ」にした飾り付けです。^^



ここは画像のように、背油と麺の種類をチョイスできます。私は赤四角としました。



さらに取り放題の高菜と、追加可能な替玉・・・このあたりは本場の博多ラーメンと同じです。






オーダーしたのは、一番スタンダードのラーメンです。



出てきました。半チャン(半分チャーハン)も付けました。






さてお味の方ですが、正にコテコテ!(笑)。これで背油を「まみれ」したら、恐ろしい背油ラーメンとなりそうです。それでも、食べ終わってもついついスープを飲んで・・・好きな方は好きなんだろうな~と思った次第。続々とお客さんが来られていましたので、リピーターが多いのでしょう。私的には、「やはり塩バターがエエなあ」と思ったものです。(^^)

この後は明石駅方面に出て帰宅。さらにGSでMT-03を満タンとしました。今月は播州支部の定例ツーリングのはず・・・来週か再来週の日曜日に開催かな?です。
コメント (10)
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