まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.人の気持ちをわかってあげるのが下手なんですがどうしたらいいでしょうか?

2014-06-23 15:42:52 | お仕事のオキテ
相馬の看護学校の 「哲学」 の授業はとっくに終わってしまいましたが、
第1回目のときにいただいた質問には全部お答えできたわけではなく、
まだだいぶ未解答のまま残っています。
その後、福大での 「倫理学概説」 のほうが軌道に乗ってしまったので、
そちらでいただいた質問に答えたりしているうちに、
いよいよ看護学校でいただいた質問が後回しになってしまっていて申しわけありません。
答えにくい質問ばかり残ってしまっているのでなかなかすんなりお答えすることができませんが、
忘れてしまったわけではないので、いい答え方を思いつき次第、順次お答えしていきたいと思います。
今回の質問は正確には次のように質問でした。

「Q.私は人の気持ちとかをわかってあげるのがすごく下手な気がします。
   学校に入ってからは意識して人を観察するようになったのですが、
   相手がどうしてほしいか、何を言ってほしいかなどを想像できないです。
   看護師になるために、どのようなことを心がけていけばよいでしょうか?」

なかなか切実な問題ですね。
実は私も似たような問題を抱えています。
ストレングス・ファインダーで調べてみると、「共感性」 がけっこう低いです。
ただ私の場合は倫理学者になることができたので、共感性が低くてよかったと思っています。
もちろん倫理学者のなかにも共感性の高い人はいらっしゃいますが、
私の場合は相手の気持ちをわかってあげたり、
どうしてほしいか何を言ってほしいか想像してあげたりすることができないので、
その分、自分と相手は違う (かもしれない) ということを前提にして相手と接するべきであり、
以心伝心よりも言語コミュニケーションによって相手の気持ちを確認することを重視する、
ロゴス優位の倫理学を志すことになりました。
ストレングス・ファインダーの基本的考え方は、人間の強み弱みは変えることができないので、
強みはとことん伸ばし、その強みを活かせる仕事をすればいい、
それに対して弱みの部分に関してはさっさと見切りをつけて、
得意な人と組んでその人にやってもらえばいい、というふうに割り切ります。
倫理学者という仕事自体が共感性をあまり必要としない仕事であったことに加えて、
倫理学のなかでも共感性に依拠しないタイプの理論を選ぶことによって、
私は共感性が低くても何の問題もなく生きていくことができているわけです。

質問者の方は看護職を目指しているわけで、
一般的に言うと看護師というのは人の気持ちをわかってあげたり、
相手がどうしてほしいか、何を言ってほしいか想像できる人が向いていると考えられています。
たしかにそれはそうかもしれません。
しかし、看護師はみんながみんなそういう共感性の高い人ばかりである必要があるでしょうか?
患者さんにもいろんな人がいます。
何も言わなくてもすべてわかってくれて、
何でも先回りして世話してくれるような看護を喜ぶ人は多いでしょうが、
そういうことを鬱陶しいと感じる患者さんも中にはいるかもしれません。
ちょっとした表情や仕草でいろいろな感情を伝えることができる患者さんもいるでしょうが、
外見と真意がかけ離れている患者さんもけっこういることでしょう。
もしもそういう患者さんがいたときに、
共感性の高い看護師さんだと自分の予想を患者さんに押しつけてしまい、
パターナリズムに陥ってしまうかもしれません。
そういうときには共感能力が低くとも、
みんながみんな同じとは限らないのでひとつひとつきちんと言語で確認することが大事と考えて、
慎重に相手との距離を見定めようとする看護師さんもいたほうがいいでしょう。

職業によってある特定のタイプの人間が重宝がられるということはあるのですが、
しかしどんな職業でもみんながみんなステレオタイプ化してしまうといいことはありません。
いろんなタイプの人間がいてこそいろんなタイプのクライアントに対応することができるのです。
自分がどういうタイプの人間かわかっているというのは大事なことです。
人の気持ちをわかってあげるのが下手なのに、
自分は人の気持ちをわかってあげるのが得意だと勘違いしてる場合が一番厄介です。
自分がそれは苦手だとわかっているのであれば、
ムリにわかってあげようとするのではなく、それは得意な人にお任せして、
自分は自分に合った方法で相手と接するようにすればいいのではないでしょうか。
以前に一般論としてこんなことを書いたことがあります。

「まずは自分をしっかり見つめ、いいところダメなところを把握して、
 ダメなところ、改善のしようのないところはあっさり受け容れ、そこで戦うのは諦めて、
 自分の得意なところ有利なところを精一杯伸ばし、
 誰にもマネできない自分にしかできないニッチを自分の拠り所としたら、
 それによって自分に自信を持つことができるのではないでしょうか。」

それに倣って今回のご質問には次のようにお答えしておきたいと思います。

A.みんなと同じ看護師を目指すのではなく、自分の得手不得手を見定めて、
  自分にしかできない看護を提供できるようなニッチな看護師になってください。

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2 コメント

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まさおさま ()
2014-06-24 12:51:23
まさに、先生が書いてる通りだと思います。

私は、逆に、他人の表情や、言葉の感じに敏感に反応して、考えすぎてしまうタイプですが、看護士さんや、周りの人に、そういう気質は求めていないですし、どちらかというと、反対のタイプの人といる方が、精神的に落ち着きます。

いろんな人がいろんな場所にいて、必要とされたりされなかったり、そんなんでいいんじゃないかな~、って、今だから思います。

生徒を叱るための根拠が分からなくなって、教師になるのが怖くなり、逃げましたが、教師がこうあるべき、看護師がこうあるべき、なんて、ないんじゃないかと思います。

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名言 (まさおさま)
2014-06-30 09:27:11
桃さん、コメントありがとうございました。
たしかに反対のタイプの人といるほうが落ち着くというのはあるかもしれません。
「いろんな人がいろんな場所にいて、必要とされたりされなかったり、
そんなんでいいんじゃないかな~」 って言葉、心に沁みました。
どこかで盗用させていただきます。
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