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ガチな内容やプチなネタまで幅広く載せるよ。HP開設前の準備的なブログだと思うよ。

オザケンMステ卒業か?

2017-02-28 23:13:05 | 音楽
音楽の話をしたらば、不毛な結果になることが良くある訳で、それが慣れっこだったので邦楽の話で

ジメジメとした湿度を感じるのは珍しくもなんとも無い感性を持っているつもりなのだが、

2017年のMステに小沢健二たる人物が19年ぶりに出演するとなると、至って穏やかでは無いばかりか

ネットで流れる彼の評価や歌手活動の一片のそのほとんどが欺瞞であったり、作り話以下の内容であることを

人々は周知しなければならない必要性を更に強く感じてしまう。


それが悪意以外の何物かによって不可抗力的に発生してしまう世間の誤解とは全く違った意味合いであることも

理解しなくてはいけない。2017年の今になって20年前のオザケン王子説がブリ返され本質性を無視して

都合良く美化されデフォルメされ素敵なニュアンスで表に出て来るなんて、飛んだまやかしでしかない。


今から20年前に渋谷を中心とした新しい音楽シーンは決して小沢健二という文学的な独特な

リリックで表現されるアーティストを生み出さなかったばかりか世間は彼に高いセールスや評価も与えなかった。

これが全てだ。音楽業界における小沢健二の実質的な存在意義はそれだけに過ぎない。後は身内による過大評価だ。


小沢健二などというレベルの歌手は只の自己満足型の偶像にしか過ぎず、小澤征爾が親戚にいる事に依存した特異性を除けば

我儘で愚かな有象無象な存在でしかなかった。そして歌唱力もかなり下で決して聞けるものではなかった。

当時テレビではSMAPの木村拓哉派と小沢健二派に別れファン同士が互いに牽制するような動きもあったが

小沢健二派のファンの数は実際にはSMAPのファンの20分の1程度しかいなくて、最初から勝負に成らなかった。

彼の曲のどこが良いのか解らないと言う人が大半を占めていた。


それが何故か、この期におよんで隙あらば、20年前の渋谷に小沢健二というアーティストが人気を博していたように語られるのは

非常に憮然とした気持ちになるばかりでなく、他のアーティストに対して非常に失礼な事だと思う。

20年前のネタも発酵熟成させれば、半分は食べられると思ったら大間違いだ。これには事務所側の問題もあるだろう。

そもそも今の時代にオザケンのニーズなんてほとんど無いのであるから事務所からクビにしてもなんら痛くも痒くもない。

だから勝手にさせて好きなだけやらせて、鳴かず飛ばずで歌手として無事に死亡させるのが妥当なのかもしれないな。


オザケンの突如として沸いたリバイバルと首を傾げる再評価については御心配無く。そのSNSによる評価やコメントの

殆んどが、人為的に作られたステマに近い情報であることを証明します。20年前の小沢健二が今の星野源とは頭が悪すぎる。

歌唱力が違い過ぎる。圧倒的に星野源の方が完成されている歌手だ。くらべものにならない。

小沢健二が活躍していたとされる90年代後半において、独特な文学的な歌詞で人気があったのが「スピッツ」で、カリスマは

「ミスチル」で、ビックセールスは「GLAY」だった。20年経った今でもこうしたビックネームは十分に通用している。

そして当時のファンは今もバンドの支えとなって応援を続けている。今の小沢健二を応援しているファンは一体誰なのだろうか?

20年も辛抱強くリリースの無い歌手を応援するファンって居る訳ないだろ。オザケンわっしょいのSNSや再評価に期待のサイトの

安っぽさと言ったら、やらされている感がヒシヒシと伝わってくる。



自己の価値を20年で完全に喪失した事を悟った時には既に遅すぎた。そもそも知名度を維持できていると思える方が不思議だった。

小沢は手練手管で、Mステの司会のタモリさんに「20年間灯火を・・・」と賛辞を送ったが、これがまた空回りで番組の最後にして

お約束で呆れてしまうような雰囲気を作ってしまっていた。なんてスケールの小さな人物なのだろうか。

驚くべき事に、今回の小沢健二の19年ぶりのMステ出演の内容と山崎邦正ガキの使い卒業とは、ストーリー的に非常に類似している

点が多く、もしもこれが番組演出による効果ならば、Mステのディレクターは天才だなと思った。





















コメント (1)
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実に下らない石原慎太郎。

2017-02-21 21:49:34 | 政治
とりあえず久しぶりのブログ更新です。いろいろヤンチャしてた内容は後々に

記述するとして、数週間見ない内に世界情勢は大きく変化しています。それでも

ハエが煩い程度の感覚しか持てないのは、今の政治が下らないからだろうな。


ブログ復帰に関して先ず、気になったのは北朝鮮のキムジョンナムではなく、

元東京都知事の石原慎太郎の都議会へ参考人招致なのか、来月3日の記者会見を開くのかだ。

所詮は茶番劇ではあるが、最後に都議会に引きづり出して、石原ファミリーもろとも

介錯を取る位の覚悟をぶつける必要があるだろう。

それ位に血眼になっても良いと思うよ。なにせ北のお兄さんが殺害されても世間はシレ―と

しているのだから、石原ファミリーなんて産業廃棄物並みの存在しかないかもな。www


やっぱり容赦無く、石原慎太郎を叩きに行くに重大な一票を投げかけたい。




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APA書籍とNOと言える日本人

2017-02-07 23:14:59 | 国内国際情勢
予定されていたかのようなAPAホテル叩き。予てからTPPを見据えて米国へ進出を狙う企業は

罠に嵌ったり足元を掬われてしまうのが屡だ。自動車のトヨタを始め、幾つもの企業が、その

毒牙にかかってしまう始末の悪さが続いている。 2016年にAPAホテルもまた米国進出を果たし今後の海外事業

展開が大きく期待されていた。しかし狙い定められたように俳優袴田吉彦のAPA不倫に続き南京大虐殺の否定が

書かれた本が客室に置かれている事が炎上し連続で騒動となっている。



今、安倍政権で経済産業担当が世耕弘成で、経済財政政策を担当しているのが石原伸晃、原発事故の安全対策を

「最後は金めでしょ。」で批判されただけに今回の経済関連でもその愚かさを見せてくれると思います。

豊洲市場移設で批判されている父親の慎太郎に負けずの売国奴振りを発揮しています。


APAホテル側も無策で米国進出を考えた訳では無いのだろうが、日本企業の同じようなケースが何度も続くと

国内政治の無頓着さも気になってしまう。しかし安倍政権と米国の思惑は障害とはならず

表裏一体な価値観を持ったシチュエーションをアピールしている。

菅義偉は「過去の歴史に過度な焦点を合わせるな。」と日本側のAPA騒動の姿勢をけん制した。


いやいや今回のAPAホテル騒動で菅は最悪の対応を見せたと思うよ。安倍政権の官房長官で陰の総理と

呼ばれながらも韓国人慰安婦問題もネトウヨの期待を裏切り惨敗し、スワッピング協定も未だ継続中の

安倍政権。菅官房長官はAPAホテルの客室書籍の意味を全く理解していない事が露呈した。

もはや厚顔無恥というよりも、政治的な駄作のオンパレードに自民支持者の諦めさえ感じる。



APAホテルの書籍に纏わる騒動は90年代後半にも一度テレビなどで話題になった事がある。その時の

米国の対応は「現在のところ歴史認識の問題である特定のホテルに対して対応を行うつもりはありません。しかし

今後、こうした問題が影響を持ち考慮しうる必要が生じた場合は、ある特定のホテルに対してではなく、

外交を通じて適切な対処をしたいと思います。」と当たり障りのない回答だった。


米国はこの問題に対してまだ対応をしていない。日本に対して正義の印籠を見せるような早合点も避けている。

中国と日本の争いに暫しの間様子を覗うスタンスだ。 折角の米国進出を果たしたAPAホテルだが、米国から

ではなく、中国からのフラクションに陥った。

APAホテルもトヨタもどの自動車会社も、米国市場の開拓が順調では無いばかりか、日本政府からのフォローも

少ない。今さらのように日米政府間で調整を行うにも石原伸晃では到底無理だろう。

日本政府が企業を無防備な状態にして国際競争の中で孤立化させる事にこそ問題の重要性がある。



80年代に日米貿易摩擦を引き起こした石原慎太郎著の「NOと言える日本人」は米国議会でもその内容が知れ

Japan is NO1が心底米国人のプライドを逆撫でした過去を忘れてしまっている。そして同じ過ちを繰り返している。

まるで絵に書いたようにダブるAPAホテル書籍と石原慎太郎。例え南京大虐殺が事実でなくとも対応の不味さが

際立ち日本がダメージを受けるようなことなど十分に考えられる。この線が今のところ濃厚なのが安倍政権なのさ。





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石原慎太郎のツィッターでって痛過ぎる。

2017-02-07 20:59:52 | 政治
なんともまぁ4年ぶりのツィートだそうで、元東京都知事の石原慎太郎が、豊洲移設問題で小池の質問状の

内容に答えていないとされる評判に反論するかの如く、誠意をもって回答したとツィートした。

これだけでも情けない話だが、そこへ息子の直純が、「ツィートしてたんだ・・・」と他人行儀なところから

慎太郎をフォローする醜い親子合作を世間様に披露してくれた。

去年は、同じ問題で慎太郎は「創作世界の中に生きている」として現実的な対応は無理であると抽象的に表現した。

いわゆる妄想癖にドップリ浸かって話しても無理です的な対応だ。

今年は更に歯切れが悪く、もはや慎太郎以外の息子も伸晃、直純、宏高も揃って晒し者となっている。


いやいやメディアは十分な情報を持っている。直純などにコメントを求めなくても慎太郎を都議会招致しなくても

石原慎太郎が豊洲移設問題の主犯であるとの客観的な確証は既に手中に収めている。

豊洲移設の地下建造物は石原と癒着のある建設業に見返りと引き換えに公共事業を宛がっているだけ。

しかし非常に杜撰であまりにも横着な談合である。


どこまでも追い詰めて行くな。流石の米国様だ。CIAだ。敵に回すと厄介だが話がこうなると非常に心強い。

そうは逃がすわけにはいかない。都庁職員にも処分されるべき職員がいるだろう。しかし長年に渡る隠蔽体質と

癒着構造が感覚さえも麻痺させている。






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おっとと二月だ。

2017-02-03 00:00:10 | 地震の予兆は当たらない
おっと2月だ。というわけで月一恒例の『地震の予兆は当たらない』シリーズです。いやいや

このブログ企画も波があって「熊本地震」の時はヤル気十分で書いていたが、今となっては下火です。

それよりも米国トランプ大統領の誕生からの陰謀論に世界中の興味の先は向いています。

とは言え、地球滅亡や人類崩壊の危機となる噂や情報が当たり年の2017年。それでも今年も何事も無く

例年通りに大丈夫だろうと決めつけて、勝手に安心しています。



去年茨城県北部の震度6弱の地震が年末の12月28日に発生したが、大分鍛えられてしまった日本人の

地震に関する感性にそれ程の衝撃を与えない。 地震の予兆関連の学術的な説明を聞いても迷信に

近くなっていると感じるところもある。果たして学術通りに当て嵌まるものなのか、それとも当て嵌めようと

しているのか解らなくなっている。まだまだ帰納法的なデータの集積が必要だと思う。

気象庁は地震の予測は不可能との見解を持っており、今後も地震の予兆に関しては信用はならない。

例え学術的な根拠を踏まえていても偶然にも辻褄が合っただけの事かもしれない。


そして二月の地震の予兆らしきものは特に無し。災害は忘れた頃にやって来るなんて諺はあるが、

嵐の前の静けさとも言われる。しかしここまで理屈をこねると返って信用が落ちるってもの。

気象庁の見解にならって地震の予兆を見極めることは出来ないに反して往生際悪く、持論を展開するのも

おもしろ味はある、しかし正直当たってもイマイチな印象しか持てない。

取りあえず具体的なデータと決定的な非日常さが際立った話題が欲しいものだ。

これだけの陰謀論や地球滅亡の予兆の当たり年の2017年にしては確かに静かだ






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