アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

書くことの不純

2024年04月16日 | 本と雑誌 その2

「書くことの不純」(角幡唯介著)を読む

「平均的であることに命を懸け、埋没にいそしみ、荒唐無稽であることを極度に恐れる人々。何かをすると自己責任と凶弾されるこの社会では、何もしないことが最も得な生き方になってしまった。自分は何もしない、リスクにつながるような愚かなことはしないとの立場をとることで、、何かをした人を何かをしない理由で責めることができる」(36頁)

「同調圧力が強く、空気ばかり読んでいる日本でこんなことをやったら、やれ自己責任だ、やれ迷惑だと罵られ、凶弾され、社会的に抹殺されかねないが、欧米では、こうした批評活動は旧来の常識を見直し、社会をダイナミックに変革させるものとして一定の理解を得ているという」(96頁)

・例えば立ち入り禁止への入場について「アーティストや都市探検家は行動を起こすことで人々の社会通念を揺さぶる」(95頁)

「冒険とは脱システムであり、時代や社会の常識を揺さぶるのが使命なので、私は本を書くときかならずこの批評的視点を意識して執筆する」(あとがき247頁)

「生きることは何なのか。それは、何かに触れ、経験し、深く感じ入り、心を揺り動かされ、それを誰かに伝えることだ」(あとがき250頁)

「ところであえて意地悪なきき方をしますが、角幡さんの探検って社会の役に立っていないんじゃないかと言われませんか?」・・絶句し、やや間を置いて「本当にそんなことを考えているの?」と思わず反問した。すると彼女は、自分たちの世代は社会への還元や生産性の向上に寄与すべきだという圧力をすごく感じるんですと返事した。(9頁)

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探検家は役に立たない?そんな疑問に哲学的に表現した本でした。

かつて冒険家の植村直己さんは、夢を持つ大事さを伝えてきました。それは夢を叶えることではなく、それに向かっている道中の素晴らしさを表現したものです。

今も昔も冒険家・探検家はあまり評価はさせませんね。私は魂を揺さぶられますが・・

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