新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月14日 その2 「ドラクエ」って何の事:

2024-03-14 08:28:15 | コラム
故鳥山明氏の作だったとは全く知らなかった:

実は、19年3月27日に「英語を話せない人が英語を教えて」と題して発表した中に、下記のように「ドラゴンクエスト」を取り上げていたと、5年も経った本3月14日になって偶然に気が付いたのだった。故鳥山明氏には申し訳なかったことで、文中には鳥山氏云々とは触れていなかった。

*ドラクエ:
これはつい最近までゲームのことだとは解っていたが、何を短く詰めたのかが解らなかった。だが、最近偶然に”Dragon Quest“のことらしい察しがついて、カタカナ語を創造する人たちの語彙の大きさと言うべきか、先ず日常的に使うことがない堅苦しい単語をチャンと承知していて、ゲームの名前にまで使ってしまったことには恐怖さえ感じていた。だが、questという単語は動詞でもあるので、ヒーローインタビューと同様に目的語が先に出てきている辺りの文法無視というか、日本語の語順で言葉を並べた感覚の酷さにも敬意は表したいとは思わない。

こういう出鱈目な言葉の並べ方しか出来ない英語教育を永年行ってきていながら、その教育を小学校からも始めようとは笑止千万だ。小学校で英語を誰に教えさせようという気か。まさか、英語が何たるかを知らない連中のように native speakerに敬意を表して連れてこようとでも言うのではないだろうな。以前にも指摘したが、外国人(の範疇にはnative speakerではない連中も屡々入っているようだが)には「日本人が英語を学ぶ時に如何なる点というか問題で苦しんでいるかは解らないのである」と知るべきだ。

 この私でさえ(?)初めてアメリカに入った1972年に、コーヒーを貰う時に”How do you take it?“と尋ねられて「何を聞くのかな。コーヒーカップから飲むに決まっているじゃないか」と一瞬返事に窮したものだった。私はこういうことはnative speakerたちには先ず認識して貰えないと思っている。小学校で英語を教えようとする人は余程海外での経験が豊富で、アメリカでもUKでも支配階層の中で過ごした経歴の持ち主にでも再教育させたら如何かと思っている。なお、上記の質問の意味は「砂糖とクリームは要るか」なのである。

このように、カタカナ語排斥論なのだが、英語を話せないようにしかならない教育を受けていても、questという単語を覚えていて使ってしまう辺りに、我が国の英語教育の優れた点と問題点を見出しているのだ。私はquestという単語があることを知ってはいたが、アメリカ人たちの中にいて使ったことも、彼等が日常的に使うのを聞いた記憶はない。文語なのだろう。知っていたのは“in quest of ~”で「~を追い求めて」という熟語だった。

好調な賃上げに思う事

2024-03-14 07:26:28 | コラム
ついつい「コインの裏側」を見てしまう悪い癖:

岸田総理が懸命に推進された「物価上昇を上回る賃上げ」が軌道に乗りつつあるのは、何はさておき慶賀すべきことだろう。大きなホワイトボード一面に「満額」の二文字が並んでいるのは結構なことだと思う。「そのまま、そのまま」という所だ。

残された課題は「この賃上げが我が国には経産省の工業統計が示す421万もある会社の87%を占めている小規模な企業に、何処までこの賃上げの流れが行き渡っていくかであろう。当方が見た限りの22年の経産省の工業統計資料では、従業員数が10人未満の企業は75%というのもあった。デイヴィッド・アトキンソン氏はこの中小企業を整理統合しないと、我が国の経済は強化できないと言っていた。

私が新卒で入社2~3年頃だったか、直属の上司に「我が国の産業界に見受けられる二重や三重構造を調べて見ろ」と示唆されたことがあった。そこで、直接/間接に取引している印刷業界に当たってみた。そこに発見したのは元請けである大手印刷を支えていたのが、都内の方々で見かける家内工業的な「中小の小」の部類に入る印刷業者乃至は協力工場の存在だった。

彼等小規模印刷業者が大手の大規模な設備では経済的ではない小口の注文や、技術的に難しい作業を中小ならではの熟練した技で消化しているという実態があった。敢えて付記しておくと「企業側が大量だと思って発注しても、受注する方では間尺に合わないことが多々ある」ということ。この受注ロットの問題は段ボール業界にも紙器業界においても同様に存在し、下請け/協力工場への依存は避けられないのが現実だった。即ち、多重構造だった。

何も、印刷・段ボール箱・一般紙器の業界だけの現象ではないと思うが、元請けである大手企業間での競争は激しいので、下請けや協力工場の犠牲の上に成り立っていた実態がある。多額の投資を伴う技術革新も必要だ。世界を見渡せば、常に斬新どころではない新製品が市場に現れて、大袈裟に言えば3日も経てばその新製品を古物化させてしまう新製品が出てくる時代だ。AIで驚いているとチャットGPTが出てきたではないか。

この度日産自動車・内田社長が陳謝した下請けに30億円負担を強いていた件にも、彼等の犠牲の上に立った新製品を世に送り込んできた大手企業の在り方を示しているのではないか。私には上記の二重/三重構造を調べた経験があったので、流通業界から製造業界に転じて結果で見えてきたこともあった。

それは「何時の日か、我が国の下請け乃至は協力工場がその製品の提供/販売価格にあらゆる原料価格の上昇分を転嫁し、従業員を満足させられるような賃上げが可能になる販売価格にした場合に、元請け乃至は親会社が需要家や最終消費者向け価格に転嫁する用意があるのだろうか。非常に難しいだろうし、現実的ではないかも知れない。ではあっても、もし、新価格を受け入れれば、我が国の産業界の存続の危機になるのでは」ということ。

私は「現実的には、このような理想的な状態にはほど遠い所に長く止まっているので、景気が一向に回復してこない大きな一因になっている」と受け止めている。ではあっても、今年の春闘というのか何か知らないが、賃金上昇の波が仮令中小企業に及ばすとも、可処分所得が増えて大手の社員とその家族が消費すれば、内需は復調の方向に進むかもしれない。「コインの裏側」は75%の小規模企業が何時になれば十分な賃上げに踏み切れるかであろう。

その時期にあって、何時までも政倫審に執着していて良いのかであるし、解散風などを言っている場合でもないように思えるし、多様性の追求でもないような気がしてならない。岸田総理の眼力が一刻も早く「コインの裏側」にも及んで、下請け乃至は協力工場中小企業が栄えて欲しいものだ。