新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月11日 その2 岸田総理「そろそろインバウンド様を制限したら如何ですか」

2024-03-11 16:00:48 | コラム
我が国は専制国家からの避難民の天国か:

既に何度も取り上げたことで、ここ新宿区百人町のJR山手線新大久保駅構内と、そこから一歩でも大久保通りに出た辺りの、人ひとだけではなくトローリーケース(誰が言い出したのかも知れない珍妙なカタカナ語では「キャリーケースかバッグ」だ)を引きずる異邦人と邦人で身動きならなくなる大混雑は、365日晴雨にかかわらず変わらないのだ。

困ったことに、その大群衆は最近では山手線内側のKorean townを目指すのではなく、反対方向の外側にも集中し始めたのだ。よって、新大久保駅前は朝から晩までごった返している。住民は買い物に出れば業務スーパーもドン・キホーテも異邦人で満員御礼状態。彼等はあれほど買い物をする資金を何処でどうやって稼ぎ出しているのだろうか。不思議だ。

私が言いたいことは大混雑の解消などではない。「これほど野放図に何処の馬の骨かも解らないアメリカ/ヨーロッパ系以外の国から、長期滞在が可能なヴィザの保有者とはとても思えない者たちを、あれほど多数も入国させてしまうのか。それでなくても低度の成長すら達成できていない状態の我が国に入国させて、居着かれてしまうことが果たして得策かという疑問」なのである。

「ただ単に新宿区百人町/大久保界隈における局地的な現象で、騒ぎ立てる程の問題ではないだろう」と思っておられる方は区役所にも区議会にもおられたし、ましてや国会議員さんの耳には達していないだろう。この街に来てご覧、北京語で声高に語り合いながら、何ら周を警戒する様子など毛程も見せない若者が大勢で闊歩している。路上駐車している外交官ナンバーの車に残っている運転手の顔を見ればイスラーム系の人たちだ。

彼等白人以外のアジア系乃至はイスラーム系の者たちが何処にどうやって住んでいるのか調べようもないが、近頃は彼等用の古ぼけたアパートなどないような都営住宅しかない方角からも、家族連れで歩いてくる者たちが増えた。中にはベビーカー(正しくは「ベイビーバギー」であるが)に乳幼児を乗せて来るものもいる。彼等が都営アパート住み込んでいるとの噂もあるが、誰がそのような(無用な?)親切な斡旋をしているのだろう。

何度も指摘してきたことで、私には「彼等がどうやって我が国で生計を立てているのか、祖国から仕送りでも来るのか、病気にでもなったら何処に行くのか、出産すれば日本国籍を得て諸々の手当を貰える資格が取れているのか、何で10数万円もする電動アシスト付き自転車が買えるのか」は、皆目見当がつかないのだ。何度も指摘してきたことは「彼等は外国人に無用に甘い我が国を食い物にしているのではないのか」である。

最近になって「もしトラ」論が盛んになってくるや、複数のテレビ局が「バイデン大統領の甘い政策に付け込むと同時に、「もしトラ」が現実になる前にとばかりに遠くは中国から徒歩で、近くは南アメリカの諸国から、アメリカに何万人もの不法移民が押しかけている」と報じ始めた。中国の安徽省だったからの連中は2ヶ月半かけて歩いてきたのは「アメリカには自由があるからだ」と語っていた。

流石のテレビ局も、彼等違法移民たちは職も住も何も全く宛てがないままに逃げてきたことも報じていた。嘗ては、その種のアジアからの流入人口がカリフォルニア州でアフリカ系アメリカ人たちの職場を奪って、大暴動になった例があったではないか。2010年1月には私はLAのKorean townの料理店でヒスパニックたちが雑役夫で残飯を賄いにあてがわれて嬉しそうに食べている光景に出会った。こういうことになるのだろう。

要するに、言葉も文化の相違も何も全く知らない異国から押し寄せた者たちが、(悪い表現だが)最下層の職について、先着していた者たちの職を奪っていくことになるのだ。私のカンではそういう不法な移民たちがアメリカの人口をアッという間に3億数千万人に押し上げ、トランプ前大統領が厳しい対応をされたのだ。そのトランプ氏の再選の確率が高いとなれば、不法移民が以前にも増して殺到する訳だ。

私は何もここでアメリカの事情を「したり顔」で語ろうというのではない。我が政府はインバウンド様歓迎政策を推進されるのは結構だが、既に指摘してあったように「先進国ではない所から我が国にやってくる者たちの質は玉石混交どころではなく「石」が多いのだと見ている。彼等は観光ヴィザが切れても帰国する意志など毛頭ないのだ。稼げるだけ稼げば帰るのだ。この界隈に何故「海外送金の店舗」が多いのか、考えてご覧なさい。

それが証拠に、この街に無数にあるハラルフード店で店番をしている連中は、常に入れ替わっている模様なのだ。そんな例を引かずとも、韓国料理店で店主以下全員が不法滞在で新顔に入れ替わっていた例に出会ったことすらあった。私はこういうことを規制する法律か条例があるのか否かも知らない。入国管理事務所がこの界隈の店を一軒ずつ検査するのも人員的に難しいだろう。だが、私には放置しておいて良い状態だとは到底考えられない。

中国が世界各地に秘密警察の拠点を設けていると報じられている。国民動員法も施行されているというではないか。あれほど多くの北京語族が闊歩している有様では、迂闊に「台湾有事で我が国も対応する」などと見得を切っていると、東京都の内外に拠点を持つ若き工作員たちが仮面を脱いで立ち上がりでもしたらどうする。ここ新大久保駅の近くには、今月になって我々には読めない簡易体の文字の看板を掲げた3軒目の中国料理店が出来る。

もしかして、彼等は着々と「有事」に備えているのかも知れない。この3軒の第1号店の四川料理店には怖いもの見たさで入って見たが、注文はHUAWEI(華為)のタブレット、レジはキャッシュレス、厨房からは中国語しか聞こえてこないという徹底ぶりだった。他の2店は何の料理なのか、あの字体は読めなかった。横浜の中華街(その昔は南京町と呼んでいた)にはこんな店はあるまい。

何が言いたいのかを、あらためて述べておけば「ここ百人町/大久保界隈が示すように、ある街から日本人向けの店がなくなってしまい、異邦人たちの跳梁跋扈を拱手傍観していることになってしまうのをご承知か」なのである。この町から都市銀行の支店が全部なくなってから30年は過ぎただろう。書店が辛うじて1軒、Korean town内で孤軍奮闘しておられる。

異邦人の入国を規制しないとこういう無残なことになるのだ。東南アジアの諸国からの入国にヴィザを不要にした途端に、団体で入国して脱走した輩が急増したという実績を、入管はご存じであるはずだ。現在のここ新宿区百人町/大久保の賑わいは、そんな事とは比較にもならないと思う。午前中は有楽町にいたが、多く見かけた外国人は「玉」の方で、「石」風は圧倒的に少なかった。羨ましかった。

岸田さん。政権は多事多難でしょうが、こういう分野にも目を向けてください。不法入国者の食い物にされないよう、所管の官庁とお役所に指示なさって下さい。よろしくお願いいたします。私はマスコミ程に外国人を有り難い存在とは、経験からも評価していません。

東日本大震災から13年が経っていた

2024-03-11 07:05:58 | コラム
地震がどれ程恐ろしいかを経験した一時だった:

あらためて、あの3.11の大災害と今年の1月1日の能登半島の地震で命を失われた方々に心からのお悔やみを申し上げたい。

13年前の3月11日の午後には在職中から親しかったし、リタイア後も四半期毎に集まっては散策や会食を楽しんでいた、我が社の最大の取引先だったN社の部長さんお二方と、大久保通りの風月堂2階の喫茶室で寛いでいた。余談だが、このお二方も名字のイニシャルがMだったので、ここにも期せずして3M Clubとなっていたのだった。

そこに、かなり激しい揺れが始まったかと思えば、直ぐに座ってはいられない物凄い震動が襲ってきて、壁際の棚に飾られていた大きな花瓶が落下して大きな音を立てて割れた。皆が「地震だ」と悲鳴を上げて立ち上がった。我々も何とかしてテーブルの下に潜り込んだ。揺れは永久に続くのかと思った程長く感じた未だ嘗て経験したことがない地震の恐怖だったが、数秒のことだったようだ。

収まったと思って立ち上がり外に出ようとすると、最年少のTM氏が「慌てて地上に出ない方が良い。もしかすると窓のガラスが割れて落ちてくる頃かも知れないから危険だ」と制止された。大きなガラス窓は割れてはいなかったが、大丈夫だと確認できてから大久保通りに駆け下りて、ホッとした。直ぐ近くのJRと西武新宿線の高架を見れば、その上に電車が止まっていた。

我が家には携帯電話が未だ通じていて、家内の無事は確認できた。その後間もなくSM氏とTM氏の携帯は繋がらなくなったが。そこに「流石だ」と感心したことが起きた。沈着冷静なTM氏がテーブルの上にあった伝票を持って降りておられ「これを精算して帰りましょう」と提案されたのだった。恥ずかしながら、私は逃げることに精一杯で伝票や精算することまでに頭が回っていなかった。

無事なようだった1階に戻って支払いを終えた。店の人は「支払ってくださったのはお客様たちだけ」と言って感謝された。聞けば、速報では揺れは「7」だったとかで、既に公共交通機関は殆ど止まってしまっていて、電話は通じなくなっていた模様だった。だが、我々は地震が局地的であり、直ぐに復旧するものだと、気楽に受け止めていた。

SM氏は横浜でTM氏は八王子にお住まいだったので、事態が収まるまで待っていようかと、徒歩で6~7分の我が家に向かった。すると、家内はアパートの外に出ていた。地震は強烈だったが何も倒れず落下物もなかったが、安全を期して13階から歩いて降りてきたと言うのだった。即ち、エレベーターは止まっていたのだった。

家内の情報では電車は動いていないということだったので、両氏にここのゲストルームでも取れれば一泊して行かれたら如何かと提案した。だが、「何とかなるだろう」という(後なって言えたことだが)希望的観測で辞退されて帰路につかれた。私もこのアパートに住んで36年間でただ1回だけの経験になった階段を歩いて上がって帰宅した。早速確認したが、室内は全て無事で、1箇所だけ壁にほんの僅かなひびが入っていただけだった。

家内にはあの風月堂の2階での恐ろしい経験を語ったが、室内にいた家内にはピンときていないようだった。後日、95年の1.17を吹田市の社宅で経験した息子に聞けば「早朝にベッドから天井まで跳ね上げられたかと感じたあの地震の凄まじさと比べれば、東京で経験した3.11の揺れは比較にならない」とのことだった。そう聞かされても、震源に近かった福島県を中心とした東北地方での「揺れ方」状況の凄さなどは想像出来る範囲にはない。

因みに、SM氏は運良くタクシーに乗られたが、神奈川県に入ったところで降ろされて後は四苦八苦して鶴見駅の近くまで帰られたそうで、TM氏は八王子まで戻るのを諦めて、都区内の長女の嫁ぎ先まで何とか歩いて行かれたそうで無事だったとか。地震の災害の恐ろしさも問題だろうが、「帰宅難民」という表現が示すように、大災害の後に生じる公共交通機関の停止が大問題であると認識させられた。