新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

悲観論者の雑感

2024-03-13 07:28:08 | コラム
気になることが多い:

朝日新聞:
昨12日の午前中のことだった。国立国際医療研究センター病院での長いながい待ち時間の間に、ふと私の前列に座っていた人品骨柄卑しからぬ白髪の老夫婦の様子が見えてきた。彼等は何と熱心に朝日新聞を読み耽っておられたのだった。あの高齢だろうとお見受けしたご夫婦は未だに熱心にあの新聞を信じて読んでおられるのだと、何となく薄ら寒いような感があった。

今や電車の中でも新聞を読んでいる人は滅多に見かけなくなったが、本当に偶に利用する山手線の車中でも、日本経済新聞を事細かに読んでおられる方を見かけることもある。また、ジムのサロンでも日本経済新聞と諸々のスポーツ新聞には未だ未だ人気があるようだ。日経は兎も角として、良い年をした大人ではなかった高齢者が、スポーツ新聞を熱心に読んでいる光景には余りゾッとしない。でも、朝日を読んでいるよりも安全か。

我が国からノミネートされた2作品がアカデミー賞を受賞:
アカデミー賞の中の何の賞を取ったのか、私は関心がなかった。だが、新聞もテレビも挙って我が事のように喜び、如何にも国威を発揚したかのように報道する姿勢には、偽らざる所を言えば「情けないな」としか思えなかった。確かに、世界が注目する(しているのだろう)アメリカの映画界での賞を取ったことは快挙なのだろうから、少しは喜んでも良いだろう。

だが、最早戦後ではないのだ。海外に進出することが快挙だった時期はとっくに終わっているのでは。戦後間もなかった頃に、我が家の近所で小さな貿易会社を経営しておられた社長さんが「喜んでください。我が社もアメリカ向けの輸出が成約しました」と喜色満面で興奮気味に語られた時代は過ぎたのだ。海外で何かを成し遂げた企業があると欣喜雀躍する時代は終わっているのに、あのマスコミの喜び方には疑問を感ぜざるを得なかった。

我が国のアニメーションの技術は世界最高水準にあり、その作品は先頃惜しまれつつ亡くなった鳥山明氏の作品と共に、諸外国で絶賛されていると聞かされている。それは素晴らしい事だろう。だが、私にはその快挙の何処に高い生産性があって、海外に拠点を設けてでも生産すべき事業だとは思えないのだ。憂国の士・仏文学のTK博士は「我が国では久しい間新たな産業を産み出していないではないか」と慨嘆して指摘した。

マスメディアはアカデミー賞が取れれば、GAFAMやTSMCを追い抜いたことになるとでも思っているのかと考え込まされた。アメリカやヨーロッパに進出して何かを成し遂げることが、そんなに有り難いのかと言いたい。20年以上もの間アメリカの大手企業に勤務していた私は、その感覚を疑いたくなるのだ。我が国がどれ程優れた国であり、最早彼等の後を追っている国ではないことくらい解っていないのかと、憤慨したくもなるのだ。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛された時期があったではないか。日本に学ぼうと係に海外から調査団が押し寄せていた時があったのを忘れたのか。我が国でも学術や芸術の分野の賞があって、諸外国で優れた業績を挙げた立派な方々に授与しているではないか。マスメディアが未だに」海外を未だに有り難いと認識しているのであれば、亡国の徒ではないのかと言いたくもなる。自国に誇りを持つべきだ。

TSMC景気:
台湾のTSMCが熊本県に新工場を建設したことで、その近辺が大いに活況を呈して、その地区では時給を2,000円に上げても人が集まらない模様だ。そのこと自体は結構なことだとは思う。その良いことは「TSMCが熊本県を選んだ根拠の一つに低労務費があった」というのに、Prime Newsの司会者反町理が非常に落胆したと語っていたのが忘れられない。岸田政権はTSMCの次の工場に助成金を出すとか。TK博士が慨嘆する訳だ。

何らの手も打てないままに、景気回復が長引くよりも、海外からの投資を増やして刺激の材料にすることを否定するものではない。だが、自力で何か創造できなくなってしまったかのようなR&Dが振るわない状態は、何としても打破しなければならないのではないのか。

ヨーロッパやアメリカの一部の跳ねっ返り者たちに乗せられてEVを後追いで追求している有様などは醜態ではないのか。豊田章男会長はEVと言うのならば原発を後10箇所必要と指摘されたのを忘れたか。私は「経済(景気)は自力で回復を図るべきであり、他力本願であるべきではない」としか思えないのだが。