万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

アメリカのユダヤ人支配はグローバリズムの縮図

2024年05月09日 12時53分11秒 | アメリカ
 アメリカの真の支配者はユダヤ人である、とする見方は、今日のイスラエル・ハマス戦争をめぐるアメリカ政府の対応を見ておりますと、強ち間違ってはいないように思えます。マネー・パワーの絶大なる力を見せつけているのですが、その支配力は、大学などの教育・研究機関を含め、社会の隅々にまで行き渡っているようです。しかも、退学、停学、不採用、解雇などの脅し、即ち、恐怖心も手段として使われているのですから、フランス革命後の恐怖政治さえ彷彿とさせます(脅迫はテロの一種・・・)。全世界から多くの移民を惹き寄せてきた‘自由の国アメリカ’は、ユダヤ人のみが好き放題が出来る‘自由の国’であったのかもしれません。あたかも、‘ユダヤ人にあらずんば人にあらず’のごときです。

 ユダヤ人と申しますと、ナチスによる‘ホロコースト’の被害者としてのイメージが強く、とりわけ第二次世界大戦後は、迫害を受けた同情すべき哀れな人々とする見方が支配的でした。否、この同情的な接し方は、全世界を‘監視’するシオニストやサイモン・ウィーゼンタール・センター等の活動による半ば強制であったとも言えるかもしれません。キリスト教世界にあって異教徒故に差別を受け、辛酸を嘗めてきた民族というイメージは、ホロコーストのイメージをもって人々の心に刻み込まれてきたのです。


 しかしながら、マイノリティーは必ずしも弱者というわけではありません。古今東西を問わず、征服者が少数者であった事例は枚挙に暇がなく、かの大清帝国も、満州を故地とする女真族が打ち立てた征服王朝です。弁髪の強制を含め、少数の遊牧系の部族が多数の漢民族を支配したのであり、少数者支配は決して珍しい出来事ではないのです。否、近代のナショナリズム、並びに、その後における民族自決の原則の成立とは、少数者支配となる異民族支配から脱却し、自らの国を取り戻す運動であったと言えましょう。歴史的に見れば、少数者は弱者にもなり得ますし、また、強者ともなり得るのです。

 ユダヤ人の歴史を見ますと、同民族は、全くもって極端なぐらいに強者と弱者の両面性をもっていたと言っても過言ではありません。そして、ここで強調すべきは、キリスト教徒やイスラム教徒が忌み嫌った高利貸しを生業とすることができたため、ユダヤ人は、マネー・パワーを握ってきたことです。マネー・パワーとは、使い方によっては‘権力’の隠れた掌握手段ともなり得ます。この側面は既に中世から見られ、イギリスでは、歴代国王とユダヤ人との間には‘持ちつ持たれつの関係’が成立するケースもありました(もっとも、しばしばユダヤ人は、財産没収を目的としたと推測される弾圧も受けている・・・)。前者が富裕な後者の自らの‘お財布’にした故に、一般国民から保護すると共に、後者は財政難にある前者の資金源となることで、自己の財産と身の安全を計ったのです。


 一般国民に対する国王とユダヤ人との‘共闘’関係は、今日の各国政府と世界権力との関係にもリフレインされるのですが、ユダヤ人のマネー・パワーが政府そのものを動かすに至るのも、今日に始まったことではありません。かのカール・マルクスは、1844年に「独仏年誌」に発表した論文にて、ユダヤ人は政治的権利が著しく制限されているにも拘わらず、政治力を発揮している当時の状況に触れ、「理念的には政治は金力に優越しているが、事実上では政治は金力の奴隷となっている」と記しています(『ユダヤ人問題によせて』)。その解決方法としての共産主義は誤っているとしても、19世紀にあって既にユダヤ人がマネー・パワーをもって政治力を十二分に発揮していた様子が窺えるのです(イギリスでは、大英帝国の全盛期に当たる1868年にベンジャミン・ディズレーリ内閣が誕生・・・)。


 近代にあってユダヤ人がマネー・パワーを効果的に駆使できたのも、ディアスポラ以来、全世界に張り巡らされたビジネス網としてのユダヤ・ネットワークがあってのことなのでしょう。そして、特定の国家に属する‘国民’には持ち得ななかったこれらの優位性は、現代のグローバリズムにあっても失われてはいません。グローバリズムが全世界を覆うとすれば、同環境に慣れ親しんできたユダヤ人が、水を得た魚のように全世界にその政治力を及ぼすことは、容易に予測される未来なのです。このとき、ユダヤ人のもう一つの反面、つまり、迫害されてきた弱者としてのユダヤ人のイメージは、もはや何処にも見出せなくなることでしょう。


 このように考えますと、グローバリズムを歓迎している人々は、囲いの柵を取り払えばオオカミが自由に牧場に入ってくるにも拘わらず、自分たちもオオカミの生息地に出入りして、対等に渡り合える、とばかりに喜ぶ羊たちのように見えてきます。無制限な絶対的な自由は暴虐を許しますので、マネー・パワーと一体化したユダヤ人の政治力の問題は深刻です。この危険性を直視しない限り、アメリカの現状、並びに、グローバリズムがもたらす諸問題の解決に取り組むことは難しいと言えましょう。世界権力の暴走を制御する、あるいは、その支配の魔の手から自国を防御するための手段や仕組みを考案することこそ、人類にとりましては真のグローバルな課題なのではないかと思うのです。


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