クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

クニのウラ部屋雑記(53) ―鬼門のひとⅡ―

2008年12月07日 | ウラ部屋
ロードレース大会のコースは利根川の土手の中腹だ。
そこはサイクリングコースになっていて、
人がすれ違えるほどの狭い道がずっと先まで伸びている。
だから、“彼”がぼくを追い越せばすぐにわかることだった。

5㎞の折り返し地点まで、何人かに抜かれたが、
いずれも彼ではなかった。
ぼくの後ろにいることは間違いない。
そう確信していた。
ただ、その差がどれくらいなのかはわからない。
すぐ背後かもしれないし、ずっと後ろかもしれない。
振り向いて確認することはできず、
ひたすら前を向いて走った。

折り返し地点は、高速道路を横切って少し行ったところだ。
悪意に感じてならないのだけど、
道路を横切るために、土手を2度上り下りしなければならない。
そうする意味が理解できない。
高速道路の手前に折り返し地点を設けることもできるだろう。
そこまで順調に走ってきても、
その上り下りでかなり体力を消耗する。
3度のロードレース大会とも全てそうだった。

ただ、折り返しになれば、嫌でも彼とすれ違うことになる。
モヤモヤした気持ちが晴れる地点でもあった。
果たしてその差はどれくらいなのか?
ぼくはスタート時よりも緊張して折り返し地点を回る。

ところがである。
それからしばらく走り続けても、
彼の姿は一向に見えなかった。
彼は運動が苦手なタイプではない。
たぶん得意でもないだろうが、
それほど足が遅いようには思えなかった。

実は後ろではなく、前を走っているのではないか?
そんな疑念がふとわき起こる。
利根川の土手は緩くカーブしていて、
前を走る生徒を少し先まで見通せる。
目をこらしたが、彼らしき姿はどこにもない。

追いつけないほどずっと先へ行ってしまったのだろうか?
折り返し地点を過ぎても、一向に“彼”とはすれ違わない。
わき起こった疑念はどんどん膨らむ。
ペースが落ち、ぼくを追い越す者がいた。

彼ではない。
すれ違う者を見ても、いずれも別人である。
ずっと先を走っているならもう諦めようか……
そんな思いもふと胸をよぎった。

するとそのとき、ふと思い浮かんだのは“見落とし”だった。
彼はすぐ後ろを走っていて、
折り返し地点のときうっかり見落としたのではないだろうか?
その瞬間ぼくを追い越す者がいてギクリとする。

ずっと前でも後ろでもない。
すぐそばに彼がいる。
その疑念はかなりのリアリティをもって胸に迫った。
ぼくは再びペースを上げる。
全身から汗が吹き出る思いに駆られる。
その疑念の答えは振り向けばすぐにわかるのだけど、
迫ってくる彼を目の当たりにできない。
彼の姿を見た途端抜かれそうな気がした。

※最初の画像は夕闇が迫る利根川の土手。


利根川沿いに所在する“源昌院”(埼玉県羽生市稲子)
禅宗曹洞派。
『新編武蔵風土記稿』によると、羽生城代“不得道可”(鷺坂軍蔵)の開基。


利根川沿いに建つ「田舎教師詩碑」(同市稲子)


利根川沿いに位置する鷲宮神社(埼玉県羽生市発戸)
以前は“桑原社”と呼ばれていた。
鳥居の扁額には「桑原大明神 鷲宮大明神」とある。


発戸遺跡。
ここから“土面”が出土している。


発戸河岸に向かう道。


利根川沿いに所在する“観乗院”(同市発戸)。真義真言宗


利根川沿いに鎮座する“避来矢神社”(同市上村君)
境内には“甲石”がある。
下野栃木邑から飛んできたという……


利根川沿いに所在する“惣徳院”(同市上村君)。真義真言宗


惣徳院の境内に並ぶ石像物


惣徳院の裏に架かる橋は「堀ノ内橋」
この名が示すように、付近に羽生支城“風張城”があった。
城と言っても天守閣はなく、小さな砦であったことは想像に難くない。


堀ノ内橋。
背後には“日清ヨーク工場”がある。
したがって、惣徳院へ向かうときはこの工場が目印となる。


安楽寺(同市上村君)。廃寺。
『新編武蔵風土記稿』によると開基は“今成伊予”と記される。
今成伊予は風張城の城主と比定される人物である。

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