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寺院下0203  猿寺と呼ばれています。悪事災難が去る(猿) 正行寺

2015年09月04日 00時44分17秒 | 寺院

          猿が います

 

 平成28年10月12日  以下の2枚の画像 追加

 

正行院は、天文7年(1538)に円誉上人(1496~1584)が、開山した寺である。円誉上人は、京都北山の中川の里で念仏修行の時、庵に遊びに来る多くの猿たちの首に「南無阿弥陀仏」と書いた名号を結びつけて、お守りにせよと授けられた。お守りを首にかけた猿は、ある日漁師に命を狙われたが、そのお守りのご利益で、猿の命は救われた。

猿の命を狙った猟師は、そうした奇縁から改心して正行院で出家して僧となり、今まで殺生してきた動物たちの供養をして生涯を終えた。

その話が都に広まり、正行院は「猿寺」と呼ばれるようになった。寺には、八百頭の猿の人形が飾られており、その中には、お釈迦さまが説きになった「八正道」を猿が体で表した。

「見ざる、思わざる、言わざる、為さざる、合掌ざる、持たざる、忘れざる、聞かざる」

の八猿がある。

京都市

 

正行院(しょうぎょういん)

猿寺ともいう。天文年間(1532~1555)、

若山正行が円誉上人(1496~1584)を開山に請じて建立した浄土宗捨世派の寺。

亀通山と号する。寺伝では、円誉上人は学徳兼備の名僧であったが、

応仁の乱の戦乱に荒れ果てた洛中を避け、

北山の御室や栂ノ尾・中川あたりの山中に庵をむすんで念仏修行を行い

猿や鹿の獣にまで南無阿弥陀仏の名号を小紙片に書き、災難除けのお守りとして与えたという。

その後、正行院に移って教化中、完又十郎という猟師は、

御室の山中で見つけた猿が上人自筆の名号を持っていたのを見て、

殺生を働く身を深く恥じ、上人を訪ねて弟子となり、後には熱心な念仏信者になったという。

 

 

11月6日が開山忌で「猿寺縁起」が紙芝居で上演される。

このような伝承によって寺を「猿寺」といい、また悪事災難去る(猿)の寺として崇敬された。

本堂には円誉上人坐像の膝上には、高さ15センチの猿像がある。

 

 

墓地には、幕末産科の名医 水原三折、

寺子屋で漢学書道を教えた「横槌先生」、

文楽三味線の4代目豊沢文造、佐川田昌俊の子孫の墓がある。

 

 

 

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