アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

寺院右0424 三寶寺 日蓮宗

2018年02月20日 10時40分33秒 | 寺院

 境内 入口

満願妙見大菩薩 文政8年3月(1825)

金映山 京都

日蓮宗の寺院で、江戸時代初期の寛永5年(1628)に、右大臣・今出川(菊亭)経季と中納言・今城為尚後水尾上皇の内旨を受け、日護上人を開山として創建した。以後、両家の菩提寺として繁栄し、最盛期には十二の塔頭を有し、千宗旦の弟子・山田宗徧も塔頭の涼池院で茶道の研究に務めた。

本堂には釈迦如来像、千体仏堂には六尺座像の釈迦物と三寸

立像の釈迦佛千体が安置され、ともに日護上人の作と伝えられている。本堂脇の桜は、京都御所の旧今出川邸から移植したもので、余りの美しさに帝が車を返したことから「車返しの桜」といわれ、その名のとおり、毎年美しい花を咲かせている。

境内には、仁孝天皇の皇子・常寂光院の墓をはじめ、豊臣秀頼、その子国松丸、淀君の供養塔などがある。

毎年土用の丑の日には、ほうろく灸祈祷が行われ、暑気払いや悪病(頭痛)封じを願う多くの参拝者でにぎわう。

京都市

大黒天

 

 

洛陽十二支 戌

妙見宮

茶道 山田宗偏  四方庵 旧跡

茶道 宗偏流の租 山田宗偏(1627~1708)は千利休の孫千宗旦の四天王の一人で宗旦から「四方の庵」の号を与えられ当山の東谷に茶室「四方庵」を建て茶道の奥義を究めた。

明暦元年、三河城主小笠原家の茶頭となり、元禄10年江戸に出て吉良上野介義央邸に出入する。

これを知って入門した赤穂義士大高源吾に吉良邸の茶会の日を教え主君の仇討を助けたことは有名

 車返しの名桜

菊亭家邸内の名桜

 関連記事 ➡   洛陽12支妙見めぐり

寺院 前回の記事 ➡ 寺院右0423 南殿順興寺 浄土真宗本願寺派

五七五

埋火の夢やはかなきことばかり /子規

京ことば シルイ 道がぬかるんでいる。「道がシルイし、キーつけてナー

 

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます

 



最新の画像もっと見る