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寺院右0423 南殿順興寺 浄土真宗本願寺派

2018年02月20日 06時23分17秒 | 寺院

 

山号を竜華山といい、浄土真宗本願寺派に属する寺である。

寺伝によれば、延徳元年(1489)、真宗の中興の祖蓮如上人が河内の枚方で開いたといわれる。次いで、蓮如上人の末子兼智(実従上人)が永禄元年(1558)より枚方の当寺に住み、寺運は栄えて後奈良天皇の勅願所となり、院家に補せられた。のち、寛永年中(1625)枚方より堀川丸太町の地に移転し、二条順興寺と呼ばれて『都名所図会』に記されていた。しかし、天明8年(1788)の大火に遭って惜しくも焼失し、昔の姿は失われた。

やしょめ やしょめ   京の町のやしょめ

  売ったるものはなになに   

と京都で古くから唄われている地唄万歳があるが、当寺に当寺に因縁が深いといわれ、やしょめの寺の別名がある。昭和49年4月、現在地に移転した。

寺宝には、蓮如上人ゆかりの画像や文献が多く、毎年春季彼岸会中日に蓮如忌が行われている。京都市

『拾遺都名所図会』によれば、天正年間(1573~92)、大坂石山合戦のとき、順興寺二代顕従上人織田信長の軍勢と合戦中、正に危殆に瀕しようとしたとき、味方の中より一土人があわわれ、上人の身代わりとなって見事に討死した。不審に思って、その遺体を調べると、蓮如自筆の六字の命名が2つに切られ、一片は敵の手に、一片は鎧の袖の中に残っていたという。これより「片破れの名号」と称し、末永く寺宝としたという。

寺院 前回の記事 ➡ 寺院右0422 蓮華寺奥院 真言宗御室派

五七五

埋火のありとは見えて母の側 /蕪村

京ことば ショーモナイ (仕様もない)つまらない。「ショーモナイ洒落ヤナー

      ショームナイとも。

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