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寺院東0357 清閑寺  1

2017年04月22日 06時20分39秒 | 寺院

 

歌乃中山  清閑寺

黒田清輝「昔がたり」

「昔がたり」の着想を得たのは帰国直後の京都旅行(1893)のことであった。清水寺付近を散策していて高倉天皇陵のほとりで清閑寺に立ちより寺の僧が語った小督悲恋の物語を聞いたとき黒田清輝は現実から離脱いるような不思議な感動におそわれたという作品は清閑寺山門から高倉天皇陵歌の中山道を背景に描かれ1898年に完成した作品が焼失してしまった現在図の全体を知るにはこの下絵しかない。

謡曲「小督」と清閑寺

「歌の中山清閑寺」といわれるこの寺は、真言宗智山派に属し、延暦21年(802)紹継法師の創設によるものですが、古典「平家物語」に書かれた小督局が、平清盛のため尼にさせられたところといわれています。小督は高倉帝の愛をうけましたが、帝の中宮建礼門院が清盛の娘だったため、嵯峨に身を隠したのは有名で、これをもとにつくられたのが謡曲「小督」です。しかし帝の心は変わらず「私が死んだら、小督のいる清閑寺へ葬ってくれ」と遺言され養和元年(1181)亡くなられたので、この寺に埋葬されたといわれます。

寺の背後の山中に御陵があり、傍らに小督の墓があり、またこのうらにある宝篋印塔は供養塔だといわれています。山号の「歌の中山」は清水寺から清閑寺に至る山路をいヽます。

謡曲史跡保存会

 

大西郷月照 王政復古 謀議舊跡

 

奇術元祖 中村天一 建立

大正8年2月 紀元節

陸軍大将男爵 土屋光春 書

 

茶室 郭公亭 跡

 

清閑寺茶室 「郭公亭」

清閑寺は幕末に清水寺成就院住職の月照上人と西郷隆盛がしばしば勤皇の謀議をした所で安政5年(1858)月照が水戸藩の密使降下に尽力し幕府から狙われた時ここで西郷と密かに会い都落ちの計画が茶室「郭公亭」で行われた
「郭公亭」は鐘楼堂の上方にあったが荒廃によって平成3年に惜しくも解体された。

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