後白河天皇法住寺陵
陵の中央に法華堂がある。後白河天皇は久寿2年(1155)近衛天皇に次いで即位された。
在位3年で二条天皇に譲位された。
その後、5代の天皇の間院政を行い、
平安末期の激動期に顕棒術数を用いて平清盛や木曽義仲、源頼朝を翻弄され、
法皇となってからはまた盛んに造寺・造仏・社寺参詣をおこなうなど、とかく話題の多い天皇であった。
建久3年(1192)3月13日 六条西洞院殿において66歳で崩御された。
後白河天皇の皇女滋子もこの付近に埋葬されたらしいのだが、場所は特定できていない。
昭和4年11月 建立 大阪皇陵巡拝会
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