「日ノ岡宝塔様縁起」には
「桓武天皇奈良より京都へ遷都以来明治に亘る千有余年の間極刑場(粟田口処刑場)が現在の九条山附近にありました。この刑場で処刑されてはかなく消えた罪人の数は約1万5千人にのぼったといわれ千人に一基ずつの供養塔が十五基各仏教諸宗の手で建てられたと伝えられています。明治の初めこの刑場が廃止されたのち廃仏毀釈の難にあい、供養塔は取り壊され石垣や道路などいろいろな工事に転用されてその断片が処々に残っていました。昭和14年法華倶楽部小島愛之助翁(法華倶楽部創設者)が処刑者の霊の冥福を祈るために石塔断片を基石としてここに供養塔を建立し毎年春秋の二季に亡霊供養の法要を行い立正平和と交通安全も併せて祈っています。日蓮宗京都府宗務所」とある。
紀元2600年 京都 東京 法華倶楽部
鎮魂を目的とする供養塔。高さ280cm(基礎を含む)背面の碑文には、京津国道改修中、街道傍らに建てられていた碑の1つと思われる法華塔断片が発見されたので、これを基壇として、昭和15年(1940)12月小島愛之助・法華倶楽部創設者および有志により造塔供養を行ったと記す
基壇の周囲はすべて 車石が配されていました
車石 ⇒ まとめ005 車石 のあるところ
石碑 前回の記事 ➡ 石碑山0068 粟田口の大名号碑 木食上人遺蹟
今回の川柳
まだ何の失敗のない朝が好き /いのすけ
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