洛陽33所観音巡り 第33番札所
第56代清和天皇(在位858~876)ゆかりの寺で、真言宗智山派に属する。平安初期にその後の摂関政治の礎を築いた藤原良房の邸宅「染殿第」の南に仁寿年間既に創建されていた仏心院を基に、清和天皇譲位後の後院として清和院が設けられたのが始まりである。清和院は代々皇子や親王が住し、また在原業平らの歌会の場ともなったが、徳治3年(1308)に再建、仏寺化された。
今も京都御所の東北に「染殿第跡」や清和院御門が現存し、その名残をとどめている。
本尊は、木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代・重文)で等身大・玉眼入り、極彩色の精緻を極めた見事な尊像である。玉体地蔵とも呼ばれている。また、傍らには清和天皇坐像、同皇后像と伝える坐像が安置されている。清和天皇が清和源氏の祖であったことから、室町将軍足利氏も深く帰依し、その保護を受けて栄えたが、寛文元年(1661)の御所炎上の際に清和院も類焼し、後水尾院と東福門院によって現在地に移転再興された。また、一条鴨川西岸にあった河崎観音堂が消失後合併されたため、洛陽観音霊場の結願所でもある。京都市
明治30年代の建立
白梅殿 古跡 爪形天満宮
平成27年5月28日 撮影