野々村仁清(生没年未詳)は,丹波国北桑田郡野々村(現京都府美山町)出身といわれています。名は清右衛門。瀬戸で修業し,京都粟田口に出て製作を始め、正保年間(1644~48)仁和寺門前に御室窯を開き,茶匠金森宗和の指導で茶器を焼き,轆轤成形と色絵付に卓越した才能を発揮した。仁和寺門跡から「仁」の字を与えられ仁清と号した。ここは、窯址
大正4年11月 京都教育会 建立
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石碑 前回の記事 ➡ 石碑中0041 奨学院 平安時代
野々村仁清(生没年未詳)は,丹波国北桑田郡野々村(現京都府美山町)出身といわれています。名は清右衛門。瀬戸で修業し,京都粟田口に出て製作を始め、正保年間(1644~48)仁和寺門前に御室窯を開き,茶匠金森宗和の指導で茶器を焼き,轆轤成形と色絵付に卓越した才能を発揮した。仁和寺門跡から「仁」の字を与えられ仁清と号した。ここは、窯址
大正4年11月 京都教育会 建立
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